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中川楓に野球太郎で取り上げられた足立投手を思う


お断り

今回の記事の中には一部の方に不快な印象を与える記述がございますことを予めお断り申し上げます。あくまで1ファンの私見ですので科学的根拠や歴史的史実に裏付けられた記述でないことをお詫びいたします。

ベイスターズが獲得した中川楓

オリックスを戦力外になりベイスターズに入団することになった中川楓投手はアンダースローでベイスターズの地元横浜出身です。二軍成績は21試合の登板で32回2/3を投げ、34奪三振、防御率1.38の成績で、WHIPは0.67、tRAは1.90と高数値です。ベイスターズには桐光学園時代バッテリーを組んだ大坪亮介がブルペン捕手で在籍しています。

アンダースロー投手が激減したNPB

1845年にアレクサンダー・カートライトがルールを整備した初期の野球では、投手の投球は全てアンダーハンドで行われていました。当時のルールでは「ピッチ(pitch=放ること)」だけが許され、「スロー(throw=投じること)」が禁止されていました。1884年にオーバーハンドピッチがそれぞれ更なる投球ルール改正になり、スピードボールで打者を抑えるオーバーハンドが主流になりました。オーバーハンドは地球の重力を利用して、スピードボールを投げるのに適しており、なるべく横移動を抑えながら効率よく体重をボールに対して重力方向へ掛けていくことでスピードボールが生まれます。日本ではオーバースローでも横への移動を大きくして、体全体を使っているようなフォームが好まれ、アンダースロー投手もそういった流れの中で、スピードガンが主流になるまではNPBの主力投手にかなり多く存在しました。140km/h近い速球を投げる投手は1970年代まで各球団に1人か2人いる20勝近く勝つ投手で、多くは130km/h前後の投手が一軍の主力でした。1970年代のNPBには阪急の足立光宏と山田久志という時代を代表する名手が登場するが、この時代のアンダースローの投手はリリースポイントを下げる為に上体を倒した姿勢で振りかぶり、サイドスロー気味に投球する者が多く、アンダースローであっても速球を武器とした本格派投手も数多く存在しました。しかし140km/hを超える速球を投げるにはアンダースロー投手は手首を立てて、全身を使う必要があり1980年代後半に山田が引退するとアンダースロー投手はNPBから減っていきました。

伝説のプロ野球選手に会いに行く「足立光宏」

野球太郎最新号の高橋安幸さんの伝説のプロ野球選手に会いに行くはアンダースローの名投手足立光宏さんでした。阪急で山田投手とアンダースローの2枚看板として黄金時代を作った投手です。このインタビューで足立さんは「コントロール」が良かったことで173cmの小柄な投手が活躍できたことがよくわかります。右肩を故障してシーズン未勝利でも日本シリーズに先発した大一番に強い男足立さん。シーズン2勝でも日本シリーズで2勝。スピードが回復しなくなるとシンカーを覚え、丁寧に投げて絶妙なコントロールでバットの芯を外して内野ゴロに仕留めたのです。また勝ち負けの結果を考えずに、ゼロで抑えようとせず、「3点まで取られてもいいから」という気持ちで大勝負をものにしてきた足立さんの勝負強さが、高橋安幸さんのインタビューで引き出されています。オリックス時代は故障に泣いた中川投手も足立投手のようなコントロールと大胆な気持ちでベイスターズで活躍して欲しいです。


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