ヤクルトとベイスターズの違い

1980年代は共にBクラス

ベイスターズは大洋ホエールズ時代1960年にヤクルトよりお先に優勝。ヤクルトの初優勝は1978年とそこから18年後でした。1980年代は共にBクラスの常連でした。1990年に野村監督が就任したヤクルトは90年代に92,93,95,97年に優勝し3度の日本一になりました。ベイスターズも97年からは5年連続Aクラスで98年は優勝でした。しかし2001年にヤクルトが優勝したのに対してベイスターズは2000年代、2010年代は優勝できていません。ヤクルトは野村監督退団後は若松監督、古田監督、高田監督、小川監督、真中監督、二度目の小川監督、今回優勝監督となった高津監督と高田監督を除けばチームOBの監督でした。一方ベイスターズは2000年代権藤監督が退団すると森、山下、牛島、大矢、尾花と大矢監督が3年目の5月まで監督をしたのを除けば2年ごとに監督もコーチもコロコロ変わる時代が続きます。OBも山下監督のみ。ヤクルトが着実にチームの土壌を作り上げていったのに対して、監督とコーチさえ変えれば強くなるという安易な方向性でベイスターズは2000年代から暗黒期に入ります。

ヤクルトのドラフト戦略は王道

ヤクルトはドラフト戦略でも王道です。70年代から高校四天王の永川、高校No1打者杉村、サッシーこと酒井、アマチュアNo1右腕竹本、甲子園のスター荒木大輔、大学No1右腕高野、オリンピックの4番広沢、社会人No1右腕伊東、高校トップ右腕川崎、社会人No1右腕伊藤・・・・とその年のドラフトの目玉をくじ運の良さも含めて獲得しています。どちらかというと確実に獲得できる実力派に目を向けるベイスターズとはドラフト路線が違っています。ヤクルトが苦労したのは逆指名時代です。この時代は独特のルートを持っていた若生スカウト、六大学にパイプがあった野口、松岡スカウトがいたベイスターズに分がありました。その後、アマチュアのトップ指導者だった山中GMや村上GMがいたことでドラフトの目玉、準目玉をベイスターズが次々獲得していった時代が来ます。この頃のドラフトによって若松監督の後半から高田監督時代までのヤクルトの停滞があったのかもしれません。逆指名がなくなってからは外れの外れ1位ながらも山田哲人や外れ1位村上、入札抽選当りの奥川など主軸をドラフト1位で獲得して王道のチーム作りをして強くなっています。ヤクルトに学ぶとすれば主軸となる選手を逃げずにドラフトで獲得することが重要だと感じます。

信賞必罰ではなくファミリー球団だからうまくいった

ヤクルトがうまくいった理由はファミリー球団だからです。パワハラの権化たちが良く使う「信賞必罰」といってうまく行っていない組織の揚げ足を過去に遡ってネチネチイジメて組織の総取り換えをすると組織がなんでダメだったのか?なぜそういう動きをしていたのか?根本的な部分がわからなくなります。野村監督が1990年にヤクルトの監督を引き受けた時は野村氏の親しいコーチは高畠打撃コーチだけの就任でした。しかも高畠氏は1年で退団。つまりヤクルトに元々いたOBで固めたコーチ、選手の元に飛び込んだのです。広岡監督の時にファミリー球団ヤクルトが分解され10年以上下位を低迷した記憶があるヤクルトフロントは野村監督がファミリーを連れてくることに反対したのです。野村監督も1980年引退後、各球団が彼を招聘しなかった理由について組織を私物化すると恐れられていたからです。前述した通りヤクルトは野村監督退陣後は高田監督のいた3年弱を除きずっとヤクルトOBが監督をして、コーチもヤクルトOB中心でチームのことがわかった人たちでPDCAを回しています。ベイスターズもヤクルトに倣ってチームの弱いところがわかるOBを使いながらじっくりとチーム作りすることが大事だと思います。

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