打撃コーチ職人 大村巌

大村巌とは?

87年の夏の甲子園で尽誠学園伊良部から本塁打を打ち注目された東海大四の大村氏。投手でしたがロッテからドラフト6位で指名され入団。88年には打者に転向して89年のフレッシュオールスターでMVPに輝きました。長い二軍生活後に95年広岡GMに見出されて一軍へ。96年からは一軍に定着し98,99年にはレギュラーに近い存在でした。ようやく活躍し始めた後に突破性難聴やケガに苦しみ03年に引退します。06年に地元北海道に本拠地を移した日本ハムのコーチに就任すると09年には一軍コーチとして前年まで最下位だったチーム打率、打点を1位にして優勝に貢献します。糸井、中田翔を育て13年にベイスターズの二軍打撃コーチに就任します。13年オフに二軍監督に就任すると筒香を指導し開花させます。15年には一軍打撃コーチに就任しますがその年のオフに退団。古巣ロッテのコーチに就任します。19年までロッテで指導し20年から再びベイスターズの二軍打撃コーチに就任しました。

筒香の育ての親

13年に三塁の守備固め程度でしか一軍出場がなかった筒香を二軍コーチとして見ていた大村氏ですが、当時は右打者への指導しか許されていなく筒香の担当はベイスターズの打撃指導者としてファンからも神として崇められるマシンガン打線の育ての親と言われる名コーチでした。名コーチの指導法と筒香の打撃に対する考え方が合わず筒香は引退を口にするほど悩んでいました。13年オフ大村氏が二軍監督兼打撃コーチという立場になり筒香へ指導できるようになると秋の奄美大島キャンプに筒香は行かず横須賀で大村氏の指導を受けます。大村氏はまず筒香に「思っていること、これまでのプロセスを全部話して欲しい。」と心を開き筒香の考え方を聞きました。名コーチからはポイントを前にして上から叩けと指導され打撃を矯正されたものの打撃が崩れました。大村氏は型や様式を指導するのではなくバットの軌道とポイントが筒香の感覚に合うように徹底的に指導しました。「じゃあ、反対方向だな。」という大村氏と筒香の話し合いで出てきた方向性がレフト方向への筒香の強い打球に繋がります。二週間の大村氏と筒香の秋季練習で筒香は毎日日々打撃の感覚を掴んでいきます。そして14年打率3割22本塁打を放ちます。

コーチは名前ではない

SNS上では〇〇コーチを招聘すればチームが強くなるなどという話題が上ります。ベイスターズのOBでも名コーチと呼ばれる人が何人かいます。筒香を指導したのも名コーチの1人です。そういった名のあるコーチの実績や経験というのはとても大事ですが万人に当てはまるわけではありません。大村氏も筒香を育てたということで20年に復帰することに過度に期待を持つベイスターズファンも多いです。大村氏はDeNAの勝つための組織の一員として13年~15年有効に機能してくれたコーチで、今回の就任もその延長を期待したいと思っています。第二の筒香を作るのではなく、現在ベイスターズの二軍にいる選手の個性に合った指導でその選手を伸ばすことを期待したいです。

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