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ドジャースの戦法から解放されて勝てるようになった


お断り

今回の記事の中には一部の方に不快な印象を与える記述がございますことを予めお断り申し上げます。あくまで1ファンの私見ですので科学的根拠や歴史的史実に裏付けられた記述でないことをお詫びいたします。

野球通の言うセオリー「ドジャースの戦法」とは?

野球通がよく言う「ランナー1塁において送りバントを転がす方向のセオリーは1塁方向に転がすのがセオリーです。そして、ファーストとピッチャーの間辺りを目標に転がしましょう。」なんていう話の基礎は巨人V9の礎となった「ドジャースの戦法」がもとになっています。ブルックリン・ドジャースのスプリングトレーニングにおける訓練係を長年担当してきたアル・キャンパニスが1954年に著した野球技術書かつ野球指導書です。第1部「守備編」、第2部「攻撃編」、第3部「指揮編」で構成されていて、ドジャースでは1998年まで「ドジャースの戦法」がチームの指導の基礎となっていました。MLBでも1980年代まではドジャースでこの戦法を学んだボッジスが1969年ミラクルメッツと呼ばれる弱小メッツを世界一にしたことで、MLB野球の必勝法とされていました。

日本での「ドジャースの戦法」の広がり

日本では巨人の川上哲治監督が本書を読み、監督1年目となった1961年春にチームとドジャースのベロビーチにおける合同キャンプを実現させ、かつての自分を恥じ入るほどその内容に驚かされ、また納得させられすっかりドジャース戦法の虜となり、コーチ、選手にも「ドジャースの戦法」を読ませて、徹底的にチーム教育をしました。中でも野球理論がしっかりしていると中日新聞の解説者から招聘した牧野茂は、この本を暗記した上で、この戦術を更に進化させ、「ドジャースの戦法」で行ったシフトが失敗した時の練習など、「シーズンで1度起きるか?起きないか?」という細かい連携プレーを巨人の春季キャンプで徹底させました。当時日本野球にはなかったブロックサインやヒットエンドランを巨人が初めて採用し、投手の一塁ベースカバーや投手がモーションを起こすと同時に、一塁手と三塁手が本塁に向かってダッシュする、バント阻止のためのバントシフトが巨人の戦法に取り入れられ、バントを守備シフトで封じる戦術が日本に広まったのです。

ベイスターズと「ドジャースの戦法」

巨人が「ドジャースの戦法」で圧倒的に強いチームを作る中で、「ドジャースの戦法」を巨人で学んだ監督やコーチが各チームで「ドジャースの戦法」を広めます。まずはV9の初期に巨人に移籍した金田正一監督がロッテを日本一に導きます。続いて「ドジャースの戦法」初期に巨人で現役選手だった広岡達朗がヤクルト、西武を日本一に導きます。また巨人V9の頭脳と呼ばれた森祇晶も西武監督として黄金時代を作ります。ベイスターズには巨人V9初年度に巨人の5番打者として活躍した関根潤三が1982年「ドジャースの戦法」に基づく連携プレー等をベイスターズのキャンプに持ち込みます。打ち込み、投げ込み、体力作りといったことに主眼が置かれていたベイスターズのキャンプは(当時は横浜大洋ホエールズ)午前中から投内連携などに時間を割くものに代わりました。その後、「ドジャースの戦法」を現役の二塁手として、コーチとして体感してきた須藤豊が監督に就任します。現在一塁コーチの石井琢朗は野手転向初年度、須藤の求める「ドジャースの戦法」を叩きこまれます。その後、ベイスターズ初年度に広岡の元で「ドジャースの戦法」を学び、巨人藤田元司第2次政権で亡くなった牧野コーチの代わりを務めるヘッドコーチをしていた近藤昭仁が監督に就任します。93~95年で徹底的にベイスターズは「ドジャースの戦法」を取り入れるようになります。この時期の野球が、三浦監督、石井琢朗コーチの野球の原点になっているのは間違いありません。96年から監督を務めた大矢明彦も広岡門下生で「ドジャースの戦法」を学んでいます。また相川コーチを見出したのは2001年に監督に就任した森祇晶です。相川コーチも徹底的に森の下で「ドジャースの戦法」を叩きこまれています。DeNAになって初代GMはやはり「ドジャースの戦法」を叩きこまれた高田繁です。そして初代監督の中畑清は1981年から牧野茂から「ドジャースの戦法」を叩きこまれています。ただ、中畑監督時代のベイスターズは「ドジャースの戦法」を体現できる選手はおらず、2010年代にはNPBの野球も変化して、「ドジャースの戦法」では勝てなくなってきていることもあり、ベイスターズはしばらく低迷しました。

「ドジャースの戦法」からの解放がチームを強くした

「ドジャースの戦法」の究極が「スモールベースボール」で、2000年代に入るとアスレチックスがセイバーメトリクスでチームを強くするなど、戦法ではなく、大なデータの回帰分析から「得点期待値(三死までに獲得が見込まれる得点数の平均)」を設定によるものに変わりました。2016年から監督に就任したラミレスは徹底したデータ野球でチームをCSに導き、2017年には日本シリーズに進出しました。「ドジャースの戦法」というセオリーからの解放がベイスターズを強くしたのです。2021年に三浦監督が就任すると「ドジャースの戦法」を強く意識した野球で最下位になります。その後はCSに進出していますが、2024年データ重視をしたいフロントからアナリスト出身コーチを投打のヘッドに据えて、三浦監督の意識を変えたいという編成をしました。シーズン序盤は、完全に監督主導のセオリー重視の野球が、通のファンから見れば「セオリー無視」に見えるような、選手ができない作戦を敷くことで下位に低迷しました。6月はいり、データ重視の選手起用が見られるようになると勝ちだしてきました。70年前の「ドジャースの戦法」に基づくセオリーが大事というファンのために負ける野球をするかのか?データに基づいて勝つ野球をするのか?後半戦の三浦采配が楽しみです。

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