ヤクルトの強さに学ぶ

お断り

今回の記事の中には一部の方に不快な印象を与える記述がございますことを予めお断り申し上げます。あくまで1ファンの私見ですので科学的根拠や歴史的史実に裏付けられた記述でないことをお詫びいたします。

90年代の野村野球があったから強いのか?

ヤクルトの高津監督になってからの強さについて「90年代の野村野球の申し子」だからという意見を聞きます。本当にそうでしょうか?そうであれば野村野球を体現していた古田監督、或いは宮本ヘッドコーチがいた時に優勝してもいいようなものです。野村監督後、2001年、2015年にヤクルトは優勝していますが最下位も多いです。この辺りは組織として強くなった西武やソフトバンクとは大きく違います。むしろ高津監督のMLB流データ野球が今のヤクルトに嵌まったことが大きいでしょう。それと村上、奥川といった投打の軸になるような選手をドラフトで獲得しているドラフト戦略が褒められるべきでしょう。

大洋になくてヤクルトにあったもの

ヤクルトの選手は素直に監督の野球を受け入れる雰囲気があったというのが広岡監督就任時の印象だそうです。ヤクルト本社の意向でファミリー球団として選手同士が仲良く、楽しくプレーできるような雰囲気を作っていたことが個性が強く監督に反発する選手が少なく、広岡管理野球を受け入れ初優勝に導かれたといえます。その後、低迷したのも監督に影響されやすいチームだからといえるでしょう。野村監督のミーティングに愚直に参加し、体現した選手がいたから90年代ヤクルト黄金期が生まれました。一方の大洋はときどきAクラスになることもあり、タイトルホルダーなども出していたため選手が独自の野球観で反発することも多く、監督も嫌いな選手を放出してしまうという土壌ができてしまいました。ファミリー球団を徹底していれば、名将が入団した時に結果を出せたかもしれません。

高津監督的配慮を学べ

高津は広島工時代もエース上田俊治の陰に隠れ、亜大でもエース小池、二番手川尻の陰に隠れた存在でした。プロ入り後日本シリーズで苦しめられた西武潮崎を仮想とした投手として高津にシンカー体得を命じ、リリーフに転向したことで活躍し始めます。MLBで2年間過ごし、ヤクルト復帰後に韓国に渡り、米マイナー、独立リーグを経て台湾野球を経験し、独立リーグのアルビレックス新潟でもプレーし、監督も兼務しました。こういった下積みが若い選手にアプローチする際に非常に役に立っているようです。三浦監督はベイスターズ一筋でエースという位置にずっといたことで見えない部分があるのではないか?そいうった配慮を改めて考慮し、采配してみてもいいのではないでしょうか?決して配慮のない監督ではないのですが、さらに謙虚になってみるというのもいいかと思います。

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