二度放出された男 鶴岡一成

鶴岡一成とは?

神港学園で甲子園準々決勝まで行った鶴岡氏ですが、藤井秀吾がエースだった今治西に敗れます。95年ドラフト5位でベイスターズに指名され入団します。同じ年の4位で杉山捕手も砂川北から指名され、前年入団の相川も含め同年代の捕手がたくさんいる経験をします。プロ入り後最初の4年間は二軍でした。谷繁という捕手がいた上に1年上の相川が二番手捕手に台頭してきたことで出番は当初少なかったです。01年オフに谷繁が退団後もチームは中日から中村、ロッテから光山、西武から中島など他球団のベテランを獲得し、鶴岡氏の出番は多くありません。相川捕手がレギュラーに定着した04年から試合に出始め、06年が第一次ベイスターズでのキャリアハイの60試合出場となります。08年途中にチームの投手陣が壊滅状態の中で巨人真田投手と鶴岡氏は交換トレードになります。ただこのトレードが後にベイスターズを破滅に追い込みます。08年オフに正捕手の相川がFAでヤクルトに移籍して、ベイスターズには経験のある捕手がいなくなります。打撃のいい捕手だった鶴岡氏は08年巨人で二番手捕手として活躍し、阿部が右肩を故障するとCSでは本塁打で貢献、日本シリーズは全試合出場しました。09年からはグライジンガー投手との相性の良さから試合に出場しました。11年オフにFAで古巣ベイスターズに戻ります。ベイスターズは相川不在になり、FAで他球団でレギュラーだった野口、橋本を獲得しますがケガで使えず、ルーキーの細山田や若い武山を正捕手で起用しますが、チームは最下位に沈んでいました。12年、13年鶴岡氏は100試合以上出場し正捕手として活躍します。特に13年は打率も.250と貢献します。この13年オフにベイスターズは阪神からFAで久保投手を獲得します。その時の人的補償としてレギュラー捕手だった鶴岡氏が阪神へ移籍します。14年は阪神で呉投手との相性がよく最優秀バッテリー賞の2位に入ります。阪神でもCSで大活躍し、チームを日本シリーズに導きます。15年も70試合以上出場しチームに貢献します。16年になると新任の金本監督が若手への切替で鶴岡氏を起用しなくなりオフに戦力外となります。17年からロッテの二軍バッテリーコーチに就任し18年まで指導し、19年からベイスターズに復帰しました。

強気のリード

打撃面では、下位の打順で起用されることが多いものの、パンチ力のある打撃を持ち味としていました。守備では若手投手を巧みにリードするインサイドワークに定評があり、投手を鼓舞して引っ張っていく強気なリードを持ち味としていました。さらに洞察力と人間観察に優れており、横浜時代では三浦の状態が悪い時の癖に気付いたり、阪神では若手投手の育成に大きく貢献しています。阪神移籍後の2014年から現役最終年の2016年までは、藤浪が先発する一軍公式戦のうち、通算33試合で捕手としてスタメンに起用されました。この期間に阪神へ在籍した捕手では、最も多く藤浪とバッテリーを組んだ。ちなみに、藤浪とスタメンでバッテリーを組んだ一軍公式戦では、通算で19勝6敗(勝率.760)という好成績を残しています。

若手育成

ベイスターズの一軍捕手は伊藤光、戸柱、嶺井と30歳前後でレギュラー格の経験がある捕手ばかりです。二軍は高卒の東妻をはじめ、益子、山本と20歳前後の若いメンバーばかりです。ここに中間層の高城が復帰したことで鶴岡氏や新沼氏の指導が将来のベイスターズ捕手を作るために重要になりそうです。

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