ベイスターズドラフト回顧 2003年

第39回ドラフト会議

自由枠 森大輔
自由枠 吉川輝昭
1巡目 -----
2巡目 -----
3巡目 -----
4巡目 牛田成樹
5巡目 呉本成徳

2003年のドラフトは早大鳥谷内野手が目玉でした。大学の投手では九州共立大の馬原、八戸大の川島など地方大学に注目が集まりました。社会人では高校時代オリックスの1位指名を拒否した東京ガス内海、東芝の香月、三菱ふそう川崎の森が社会人三羽烏と言われました。ベイスターズは高校時代から高浦スカウトが追いかけていた森投手を自由枠で獲得しました。森は七尾工業時代に23奪三振を奪うなど高校時代から注目されていましたが、早くからベイスターズが囲い込みをして高校出てすぐプロ入りしたかった森の意向とは別に高校時代の監督のつてで社会人チームを紹介されたものの、行く予定のチームがクラブチーム化されることになり急遽三菱ふそう川崎に入社先が変わりました。社会人2年目にはチームをベーブルース杯で優勝に導くなど日本代表にも選ばれる活躍をしました。入社3年目に肘痛を発症し、そこからイップスになりストライクが入らなくなりましたがベイスターズは予定通り森を自由枠で獲得しました。個人練習ではすごい球威を投げ込む森でしたが実戦形式ではボールが投げられず、サイコセラピストに治療を受けるなどしましたが登板することがないまま引退しました。自由枠のもう1人はオリックスが有力と言われていた日本文理大の吉川投手。厳木高~日本文理大と宮崎敏郎の直系の先輩です。体脂肪率が多いなど生活面の改善から始まりましたが1年目から24試合に登板し、2年目は先発ローテに入りますが結果が出ませんでした。3年目以降は登板数が減ります。ただ明るい性格でタニマチと呼ばれる選手を連れ歩く地元ファンに好かれており、不人気時代の潤滑油として重宝されました。ソフトバンクに移籍し中継ぎで活躍しますがベイスターズにトレードで戻されたのはファン施策をDeNAが吉川から学ぶためとも言われました。現在は日本文理大のコーチです。4巡目の明大牛田投手は徳島商~明大と川上憲伸の直系後輩です。日本ハムが自由枠での獲得を検討したほどの投手ですが、明大入学時の明大監督荒井信久氏が翌年からベイスターズのスカウト部長に就任することもあり4巡目でベイスターズ入団しました。入団1,2年目はあまり登板がありませんでしたが3年目には先発などで3勝をあげます。2007年頃からリリーフとなり2010年、11年は41,45試合と山口俊につなぐセットアッパーを務めました。2013年に引退すると地元徳島インディゴソックス投手コーチを務め、2020年からベイスターズにコーチとして戻りました。5巡目の明大呉本内野手は明大野球部主将でした。松商学園時代は遊撃手でしたが明大では一塁もしくは三塁手でした。ベイスターズ入団後は打力が振るわず2007年にイースタン打点王で開眼するかと思われましたが一軍では結果が出ず2009年に引退しました。

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