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B.LEAGUE初代事務局長葦原一正

B.LEAGUEのビジネスをまとめ上げた男

bjリーグといバスケットボールのプロリーグとNBLというプロ化に難色を示したトップリーグが2つあった状態が続いた日本ですが、IOC委員でもあるパトリック・バウマンFIBA専務理事(当時)がJBAに対し、2つのリーグがある状況を早期に改善するよう通告しました。現状のままでは、2020年東京五輪の開催国枠を日本代表に付与しない可能性もあるとして、「今回がラストチャンス」と言及しました。2014年4月バウマン氏が再来日した際に回答期限を10月末とした上で、改めてリーグ一元化と協会のガバナンス改善を求めたました。同年7月、「新リーグ組織委員会」が発足し、JBA・NBL・bjリーグによる話し合いが続けられましたが、期限を過ぎても十分な方向性を示すことはできませんでした。同年11月26日、FIBAがJBAの会員資格を無期限停止し、日本代表の国際試合への出場が不可能となりました。2015年1月、FIBAは両リーグの統合を含むJBAの諸問題を改革するため、1993年に開幕したJリーグの創設に大きく貢献したJリーグ初代チェアマンの川淵三郎がチェアマン(代表)を務める作業チーム「JAPAN 2024 TASKFORCE」を発足させ、その後、TASKFORCEの主導のもと両リーグの統合を検討した上で、同年4月1日にジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ(JPBL)が設立され、川淵が初代チェアマン(理事長)に就任しました。同年8月9日に資格停止処分が解除され、国際試合への出場が可能となりました。実面では葦原がJPBLの初代事務局長となり、2015年から男子プロバスケットボールの新リーグ(B.LEAGUE)立ち上げに参画しました。事業計画を立案し、収益基盤確保のためにスポンサー獲得活動も行いました。採用や人事等の管理面も含む全方位的に組織内を統率し、新リーグは立ち上げ4年で業界市場規模3倍、入場者数1.5倍にまで成長しました。また、リーグ及びクラブと連携し、デジタルマーケティングを推進したのです。個別管理していたチケットプラットフォームをリーグ一括管理へと変更。新しいマーケティングプラットフォームを確立させました。そして2021年4月からは新たに運営を開始する一般社団法人日本ハンドボールリーグの初代代表理事に就任します。

DeNAベイスターズ設立の立役者

横浜DeNAベイスターズ設立時に勝てる組織を作るという言葉の元に強力な組織作りが検討されました。ビジネス面での組織作りの役割を担ったのが葦原です。オリックスバッファローズ時代に事業戦略立案、リブランディング等を推進、パ・リーグ6球団の共同出資会社「パシフィック・リーグ・マーケティング」にてセールス&マーケティングディレクターを兼務していた葦原はベイスターズでその力を発揮します。「横浜DeNAベイスターズ」の運営企業立ち上げメンバーとして入社。 社長室長として、主に事業戦略の立案、プロモーションなどを担当し、2012年1月〜2014年8月まで不人気球団だったベイスターズのプロモーション等の基礎を作りました。

稼ぐがすべて

Bリーグの売上を5倍の20億にしろと言われた葦原が50億を達成した話は有名です。スポーツをビジネスとして捉え、ファンをマーケティングして、最大公約数のファンに満足してもらうということを愚直に実践したからです。直前でのベイスターズの経験は葦原にとってプラスだったといいます。リーグでマーケティング等々を共有化してリーグとしてスポーツビジネスを展開するパ・リーグと違い、セ・リーグはチームがバラバラに運営され広島以外のチームは親会社からの宣伝費で赤字を賄う前近代的なビジネスと言えないものでした。「ファンサービスは勝つこと。」とか「選手補強は親会社のお金で」という思考停止した運営は選手年俸が高騰する現在では通用しないとDeNAベイスターズの事業戦略を立てたのが葦原です。葦原の在籍した2014年までには黒字化できませんでしたが、集客は確実に増えました。これまでスタジアムに来なかったファンを集客し、現地で体験したいことをマーケティングし実現したことが現在のベイスターズの黒字運営に繋がっています。


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