ワクワク情報がない時代の新戦力

お断り


今回の記事の中には一部の方に不快な印象を与える記述がございますことを予めお断り申し上げます。あくまで1ファンの私見ですので科学的根拠や歴史的史実に裏付けられた記述でないことをお詫びいたします。

ヤンキースのスター選手来日?

昔の外国人選手と言えば、情報も少なく、間にブローカーと呼ばれる人を介することが多かったのでよくわからない情報で来日することも多かったようです。そんな中で1968年東京オリオンズはヤンキースと交渉してスター選手だったヘクター・ロペスを獲得したはずでした。右投右打のロペスが来日してみると左投左打。実はロペス違いのアルト・ロペス選手と契約していたのです。結果としてロペス選手は大活躍して6年間で116本塁打を放ちました。

弾丸という名の投手

1977年大洋に入団したボブ・レイノルズ投手はサンフランシスコ・ジャイアンツのドラフト1位の投手で自ら「弾丸のような剛速球を投げる」と売り込んできました。そして弾丸の英語「ブレット」という登録名で大洋でプレーしますが120km/h台前半の速球でコントロールも悪く、3試合で解雇されました。

MLBの4番打者

1987年に大洋でプレーしたレスカーノ選手は1983年フィリーズ時代ワールドシリーズで4番を打った実績もあり、通算1122安打148本塁打で「MLBの4番打者」として入団しました。しかし来日直前の1986年は夫人の看病で野球をしておらず、来日後すぐに「ボールが怖い」と帰国してしまいました。また1984年にオリオールズのメンバーとして来日し、1987年には打率.317、31本塁打という記録を残したラリー・シーツもMLBの主力打者として1992年大洋に入団しました。シーツは打率.308 26本塁打100打点と活躍しますが、1993年横浜ベイスターズに代わるにあたり、契約で揉めて退団しました。代わりに来日したのがローズとブラッグスです。

水島新司さん「野球狂の詩」の主人公を指名

1973年のドラフトで大洋ホエールズは水島新司さん「野球狂の詩」でガッツ10番という回の主人公富樫投手の立場である大橋投手をドラフト2位で指名します。マンガで新潟西のエースは日下部投手。これは作新学院江川投手がモデルです。大学入学後プロ入りします。日下部の二番手投手だったのが富樫投手。実はこれが作新学院の二番手大橋投手がモデルでした。アンダースローから120km/h台の速球と右打者のひざ元を抉るシンカーが武器でしたが一軍では1試合の登板で引退しました。

金属バットを折る男

掛川西の鈴木寛樹投手は1999年ドラフト4位でベイスターズ入りしました。1999年頃にはネット上ですごいボールを放る男として鈴木投手は有名でした。高校3年時は故障でほとんど投げていなかったのですが、たまたま投げた試合のリポートが伝説的なストレートを投げる鈴木寛樹として名を轟かせます。ほとんどのスカウトが見ていない中でベイスターズのスカウトが目撃。嘘か本当か金属バットを折る男としてドラフト4位で指名されました。しかし3年間登板なく、高校時代同様ケガの連続で引退しました。

情報が少ないことはワクワクを呼ぶ

広島の薮田なども亜大時代にほとんど登板していないのに松田オーナーが乗ったタクシーの運転手が薮田投手のお母さんで、それきっかけでドラフト2位指名とか、今でも時々謎のワクワク指名があります。しかしかつてほど情報が曖昧ではないのでワクワク感減少気味かもしれません。

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