青山道雄ヘッドの存在

お断り

今回の記事の中には一部の方に不快な印象を与える記述がございますことを予めお断り申し上げます。あくまで1ファンの私見ですので科学的根拠や歴史的史実に裏付けられた記述でないことをお詫びいたします。

野球名門出身の調整力

青山道雄は静岡の東海大工高から東海大学に進学すると1期上に原辰徳、市川和正が在籍する東海大黄金時代を経験します。そしてプリンスホテルで活躍し西武に入団します。西武では二軍にいることが多かったものの広岡、森の管理野球を学び、二軍での青山の野球に関する態度を評価した須藤豊監督に大洋に招かれます。引退後、西武時代のコーチだった近藤昭仁がベイスターズの監督に就任したため管理野球ノウハウを二軍に定着させるため、青山は球界では当時珍しかった二軍外野守備コーチに就任します。一軍コーチに昇格すると外野守備に問題のあった鈴木尚典のために横浜スタジアムでの試合後、深夜1時過ぎまで外野ノックをするなど青山は熱血コーチとして台頭します。積極走塁の西武野球をベイスターズに定着させるため三塁コーチャー時代はホームに突っ込ませることが多く、アウトになるとファンから「壊れた信号機」と揶揄されました。青山が調整力を発揮したのは2001年に西武時代の恩師・森が監督に就任した時です。権藤の選手任せの野球から監督絶対主義の管理野球に変化すると選手やコーチが混乱しました。監督と選手たちの調整役として青山は奔走します。2西武時代のコーチが森野球をベイスターズに浸透させるための鉄拳制裁が横行します。こういったことに慣れていなかったベイスターズの選手たちでしたが、青山は丁寧に制裁の意味を説明したようでした。しかしそういった指導に反旗を翻したコーチは退団し、チームはバラバラになりました。その後に続く暗黒期のベイスターズでも青山は調整役としてコーチで残ります。しかし評価してくれた山中がフロントからいなくなりベイスターズを解雇されると、バレンタインと瀬戸山球団代表の確執がチームをバラバラにしていたロッテから青山は調整役としてフロントに招聘されます。大学同期の井辺からの誘いでした。巨人原監督からも指導者として高い評価を受けており青山は誘われていましたが、井辺の下でロッテ再生の茨の道に飛び込むと2010年にはヘッドコーチとしてロッテを日本一に導きます。DeNAが親会社になったベイスターズから復帰の誘いを受けたタイミングでロッテから青山が解雇されたこともあり、2016年に青山は再びロッテに戻ってきます。

壊れかけたチームの緩衝材

青山ヘッドコーチは壊れかけたチームの緩衝材としてフロント、監督、首脳陣、選手達のもつれているポイントを1つ1つ解決することができる組織に重要な人材です。2002年の森監督時代はフロントが突如監督解任に動き出し、青山は何もできませんでした。そういった悔しさがロッテでの成功に繋がったのだと思います。ラミレス監督時代の2018年から青山は三浦監督時代も含めヘッドコーチ5年目です。チームの方向性をうまくまとめてもらいたいと思います。

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