斎藤良✖︎蓑輪単志 白河まちなか音楽3days2020 ロックな講演会+ミニライブ

白河市でまちなか音楽3Days2020というイベントが開催されまして、2日目のメイン企画である「ロックな講演会+ミニライブ」に行って参りました。会場は白河文化交流館コミネス。近年完成したキレイなホールで、到着すると会場内のエントランスでは室内合奏団2名によるフリーコンサートが開かれていました。今回のイベントは有料無料、様々な会場にて複数のイベントが行われていまして、特に今年のようなコロナ禍に於いては開催自体が危ぶまれたと思います。そんな状況下であっても、細心の注意をはらい開催に向けてご尽力いただきました関係者の方々には感謝しかありません。生の音楽が日常の暮らしの中に緩やかに戻ってきたことをとても嬉しく思いました。

今回の目的は何と言っても元ハウンドドッグの蓑輪単志さんが御出演なさると知った事。イベントの存在を開催数日前に知り慌ててチケットを購入しました。結果的には想像以上に大入りでしたので良かったのではないかと。入場者特典として様々な資料と共に東北音楽情報誌「EASY ON」の特に貴重な1988年ロックンロールオリンピック特集号が全員に配られ、これだけで既にチケット代以上の価値を感じました。今回の講演会のメイン人物であります斎藤良さんの粋な計らいに感謝です。そして入場すると歴代のロックンロールオリンピックの歴史が刻まれたパネルが展示されてました。

更にステージには巨大なスクリーンが設置され、歴代のロックンロール・オリンピックのダイジェスト映像を開演まで流してくれました。BOΦWY、ブルーハーツ 、ARB、エレカシ、THE BOOM、氷室京介、忌野清志郎などなど。初めて観る映像ばかりで感激しました。

さて、いよいよ講演会もスタート。(有)フライングハウスの斎藤良さんが登壇。白河市で育った経緯からスタートし、ビートルズの登場でロックに目覚め、あの有名な郡山のワンステップ・フェスティバル開催に尽力された佐藤さんとの交流。元々建築業界で仕事してされていた斎藤さんが一念発起し、それまでフォークや演歌系のイベンターしか存在しなかった東北でロック系の興行だけを扱うイベンターの設立させた話や無名のハウンドドッグと契約しデビューさせた話なども濃い内容でしたが、特に今回メインの話となりましたこのロックンロール・オリンピックに関しては貴重な裏話も沢山聞けました。

ロックンロール・オリンピックを開催するキッカケは、自分達の事務所と契約したデビューしたてのハウンドドッグのライブを、夏休みの時期に観たいと言う大学生を中心としたファン層の声が非常に多く届いたのがキッカケになったからだそうです。当時大人気だったRCサクセションやARBにもオファーしたら快諾してくれて、結果的に4000人を超える動員が出来て大成功だったとの事。

ロックンロール・オリンピックが一気に盛り上がったのは1985年から3年間、BOΦWYが出演したのとNHK東北エリアだけライブ放送が始まった(後年はBS放送でも取り上げられてアンテナ、チューナーの普及にかなり貢献したそうな)のが非常に大きかったそうですが、そもそも何故BOΦWYが3年間連続で出演することになったのかと言うエピソードが語られまして、1984年、斎藤良さんの事務所スタッフの方がたまたま新宿ロフトに行った際、高橋まことさんも居合わせていて一緒に飲んだそう。そのスタッフと高橋まことさんが同郷の出身だと判明して意気投合して、その翌日には斎藤良さんの事務所に高橋まことさん側から電話があり、ロックンロール・オリンピックに3年連続で出演させて欲しいと売り込みがあったそう。斎藤良さんの事務所としては、今年の出演者は全て発表してしまった後だったので、来年からだったら良いとお伝えしたそうです。そしたら1年後にはBOΦWYは事務所移籍、ロンドンレコーディング、帰国後の日比谷野音のライブで大ブレイクしてしまい、その直後にロックンロール・オリンピックが開催されたので余計に盛り上がったとの事。しかも当人達の約束通り3年間連続で出演したり、その頃にロックンロール・オリンピックが10年続いたらまた出ますと言ってくれてたみたいで、バンドは解散してしまったけど氷室京介さんがその約束を守り氷室京介さん側から斎藤良さんの事務所に連絡して出演を確約。変名バンド名義で出演してくれたとの事。仁義を重んじてくれた素晴らしい裏話でした。

ロックンロール・オリンピックは日本でも有数のフェスティバルに成長した事もあり、数多くの企業からスポンサーになりたいとの申し出があったそうですが、全てお断りして自前でやり抜くことに強い拘りがあったのだそう。それは、スポンサーが付けば収益性では良くなるけど大体2年もすればスポンサーは撤退してしまうので、スポンサー頼りの運営ではイベント自体の継続が難しくなるとの判断だったそうです。ロックンロール・オリンピックの収益で言えば、毎年レクサスが買える位の金額が赤字だったそうですが、その赤字分は斎藤良さんが毎年の稼ぎから自腹で賄えると判断しての決断だったとの事。建築業界出身だったので、ステージ設営にかかる費用や工程、計画などに明るかったので、儲かりはしなかったけど大きな赤字にもならなかった。そしてチケット代も最後の方は5千円を超えてしまったけど、3千円代から4千円代にほぼ抑えて、沢山の方々に来てもらいやすい環境を作ったと仰っていました。

ロックンロール・オリンピック自体は1994年に幕を閉じてしまった。その理由としては時代的に織田哲郎さんや小室哲哉さんらが作るサウンドが流行して、良いロックバンドを発掘するのが困難になってきたのが1番だそうです。しかしたらればの話になってしまうけど、斎藤良さんの事務所主催のイベントにスピッツが何度か出てくれたり、斎藤さんと関係の深いジュンスカの事務所所属のミスチルも仙台のイベントに出てもらったのに、全く気付けなかったのだけが悔やまれると仰っていました。あの時に才能に気付いてロックンロール・オリンピックに出てもらっていたらまた違った流れになっていたかもしれなかったとの事でした。



ロックンロール・オリンピック自体は閉幕してしまいましたが、その運営ノウハウ含めて遺伝子は様々な方々に引き継がれているとの事。例えばイベント初期に出演してもらったルースターズの所属事務所はSMASHで、今や日本最大のロックフェスとなったフジロックを主催しているし、ロックンロール・オリンピックを地元会津若松から毎年観に来てくれていた菅君は東北のイベンターGIPに入社したらわざわざ自分の所まで挨拶に来てくれて、今では東北最大のロックフェスであるアラバキをやってくれている。また女優になる前の鈴木京香さんや大学生の頃の宮藤官九郎さんも何度も観に来てくれて、列挙した方々とは今でも良い関係だそうです。そう言えばアラバキは今年で20周年で、某放送局の企画で斎藤良さんと菅さんの対談も予定してたらしいけどコロナの関係でアラバキが延期になってしまい対談自体が流れてしまったとの事。これは是非とも来年には実現して欲しいです。

最後は忌野清志郎さんがロックンロール・オリンピックで実際に使用した直筆のセットリストなど斎藤良さん所有の貴重な品々を披露してくれて、第一部の講演会は大盛況で終了しました。

休憩を挟み、後半は元ハウンド・ドッグの蓑輪単志さんが登場。しっかり調律されたグランドピアノの椅子に座り、自分がミュージシャンになろうとしたキッカケなどからお話して下さりました。元々は運送業の仕事に就くつもりだったけど、高校3年生の時に東北学院大学にある著名なミュージシャンが学園祭でライブをやると言うので、それを観たくて行ったのだけど、正直そのライブよりもその前座で演奏をしていた、当時は3人組のハウンド・ドッグに衝撃を受けたのだそう。特にドラムとヴォーカルを兼務してた大友康平氏には強烈な印象を持ち、終演後にバンドに加えて欲しいと楽屋まで直訴しに行ったけど相手にされず。それならば同じ大学に入り後輩と言う立場からアプローチすればバンドに入れるかもしれないと思って猛勉強、無事に合格して大友康平氏と同じ軽音楽サークルに入ったことから全てがスタートしたとの事でした。

この日は何を演奏するかを全く決めてこなかったそうで、最初は即興演奏から始まりメドレー風に様々な曲を演奏。「星に願いを」を演奏して締めてくれましたが、その演奏に合わせて照明も適時変化してまして、照明スタッフの仕事の素晴らしさも感じました。

蓑輪さんがここで斎藤良さんに対しての想いを白露。蓑輪さんと斎藤さんの年齢差は10歳だそうですが、1番ロックが大きく変化した時代を体験されてて羨ましいと。そしてそんな斎藤さんだからロックンロール・オリンピックみたいなイベントを立ち上げられたり、売れる前のハウンド・ドッグを出してくれたりと感謝しかないとの事でした。そんな流れからビートルズの「イエスタディ」を演奏。そして、今までクラシックピアノの複雑な演奏を練習してきた蓑輪さんが、ビートルズの「LET it BE」のイントロを聴いて、簡単なコード進行なのにあんなに心を撃つなんて衝撃だった。ビートルズからピアノを学べたとの事でした。

ここでハウンド・ドッグの話になり、バンドを離れて15年。その間にサラリーマン生活なども経験したけど、それが良かったと回想。人との縁でここまでやってこれた。全ては人ありき。これからも頂いたご縁は一生大事にしたいと仰って、やハウンド・ドッグの楽曲「ONLY LOVE」など数曲をピアノで演奏して下さりました。個人的には最後に演奏して下さりました代表曲「ff」のソロピアノバージョンに胸が熱くなりました。あの印象的なフレーズを生ピアノで聴けたのは本当に貴重です。愛が全てさ。ALL YOU NEED IS LOVE。蓑輪さんのルーツや貴重なお話とレアな演奏を沢山聴けて、久々にライブで高揚感を覚えながら幸せな時間を過ごすことが出来ました。

アンコールはありませんでしたが、カーテンコールという事で斎藤良さんと蓑輪さんが挨拶に再登場。終演後、ロビーでお見送りしますと仰ってくれて素晴らしいイベントは終了しました。

ロビーでは蓑輪さんとお話出来て、サインも頂けました。コミネスのスタッフの方々ともお話したのですが、蓑輪さんの演奏で泣きそうになったとの事。コミネスも今年は本当に大変だったと思います。ライブが当たり前のように開催できる幸せ。このようなスタッフの皆様が居たからこそ実現した奇跡のイベントだったと思います。蓑輪さんの言葉の通り、全ては人ありき。様々な事に感謝です。

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