考え方

私の周りには所謂ワンマンと言われる人が何人か居る。その人達と割りと近くに居るからか見えてくる部分があるのだが彼等に共通する項目がある。

身内に異様に執着し責める。

何故だか距離のある人(初対面だったりやたら歳が離れてたり)には異様に良い顔をしたがる。思われたい理想像をコントロールしているんだろう。実際は理想像な為、自分がソコに達していないと自覚しているからか、周りがその話を鵜呑みにして彼等をチヤホヤしようがその溝は埋まらなくいつも余裕が無くピリピリしている感じだ。

その溝を身内のせいにして、身内に無理難題を押し付けて成果が出なかったとしても身内の不手際でスミマセン。と言う。

この場合の謝罪は自分のせいでは無いけど上の者として謝ってやってる。と言うマウントが含まれる。

そして風呂敷を広げすぎてしまった為自分で畳めなくなり、それも身内に押し付けてしまい。それを何とか解決すると身内には『お前がもっとしっかりしないからだ!』と理不尽に責任を押し付けて他人には『いやー大変でしたよー』なんてさも自分が解決した様に振る舞って、何とかなってしまうから一向に改善されないのだ。

外野の私から見ると、これの原因って別じゃない?と思う事がしばしばある。

後、間違いを認めない。と言う点も共通している。厳密に言うとすり替えを行いやはり責任転嫁しているのだが本人は無意識下で行っているからか全く改善されない。

周りはそこそこの大人なので何となく悟ってしまう『仲良くなると面倒だ』と。

なので緩やかに距離を離し適切な距離を取ろうとする(私も)

そうなってくると次の手は金やモノで支配しようとする。

飯奢る、何か買ってあげる、この辺りが多い。

で実際ラッキー!なんて思うもんならその金額に見合わない気遣いや理不尽を強いられる。

飯は不味く感じるしモノには価値を感じなくなる。結果時間、体力、気力を奪われる。

しかし相手はご馳走してやった!とご満悦で下手したら話を作り替えて、飯に困ってた人に施してやった。まで話を膨らませて広めている。

長々と特徴を書いたが私は何故その様になってしまったのか考える事がある。

彼等の心には何が巣食っているのか。

恐らく彼等は何者でも無い自分を誇れないんだと思う。だから目に見えて分かりやすい結果を早急に欲しがるのだ。

ただ、現実問題能力の向上には時間と手間が掛かる。それを積み上げた人間が称賛や光を浴びる(スポーツ選手とか)なのだが、何も無いが故に眩しく感じるのだろう。だから手っ取り早く逆の仮説を押し付けて自分の意見が正しいと言いたがる。

私もある修理を依頼され金額の割に手間が掛かった。でも直って良かった。と言う話をしたら彼等は総じて

『その部品交換して直すよりも全体を交換した方が金になるじゃん。』

と言った。私もその理屈は分かるのだが依頼内容は特定された部分の交換であり、その交渉をするのは私に仕事をくれた人でありお金を出すのはお客様な訳だ。数多の人間が関わり皆で折り合いを付けて出た結論にその意見は私としては全く的はずれだ。

タイヤがパンクしたから車を買い換えよう。

みたいなもんで。机上の空論な訳だ。

そーゆー人は例えどんな話をしていてもそんな感じで最終金額の大小で判断する。

私のやっている簡単な安い仕事はやる方がバカだと言わんばかりだ。しかし、実際その大風呂敷広げて思いもよらぬ自体が重なったりして結果、儲からず余計な尻拭いをさせられ、お客様に迷惑をかけた事のある自分としては背伸びは良いけど浮くのは違うと思っている。

勿論、その考え方の結果たどり着いた結末が予想を越えた何かを産み出す場合もあるが私は彼等のいつもピリピリして余裕の無い感じ、身内に怒号を飛ばしてる感じを見ていて幸せそうだと感じる事は出来ないのだ。

私は彼等に直接この言葉を浴びせる事は無いが少しだけ広げるのを狭くして少しだけ思い止まって少しだけ身内に優しくなれんかね?と思ってしまう。

私は金額や見栄の大小より楽しく過ごしたいのよ。その為に生きてるのよ。

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