うつ病の時に書いたけど病んでるすぎて後に抹消したヨウツベ概要欄の文章。





わたしは満員電車に乗れません。



通勤は電車しかなかったので無理して乗り続けてある日気が付いたら駅の救護室で寝てました。それでも無理して乗り続けていると何度か救護室に運ばれるようになりました。死にたくなりました。社会人としておおよそ皆当たり前に出来ているただ満員電車に乗ることさえもが出来ないじぶんが嫌になりました。ある日耐えきれずに駅のホームから降りようとしました。もう電車に乗るくらいなら死んだほうが楽だとさえ思えていました。運良くひきとめてくれた人がいたので私は生きています。その夜は警察に保護されて牢屋みたいな無機質で冷たい場所に泊まりました。タワシみたいな掛布団が3枚だけで寒かったです。「証拠は全部揃ってんだよ!」と言い放ち机を強く叩く音が取調室から聞こえてきました。ドラマみたいなことは現実にあるのだと勉強になりました。翌朝父が警察署まで迎えに来ました。広島から関東なので仕事を休み始発で来たそうです。それから父は私のために精神科を一緒に探してくれましたが、父はググることをしない人で、放心状態の私はググることが出来なかったので近所を歩いて探しました。歯医者と整骨院しか見つからず(そんなわけないんですが)わたしはどんどん死にたい気持ちが歩いてる間に増していき、地べたに座って死にたいと泣き続けました。結果広島に帰って実家で2ヶ月療養しました。これはおそらく2019年末の出来事です。実家での2ヶ月楽しかったですが、ふと死にたい気持ちが増した時に「なんで死んじゃいけないの」と言った時に母から「甘えだ」「がんばれ」と言われたことが苦しくて悲しかったです。血が繋がっていても理解できないことや受け入れられないことは多々あります。甘えていいじゃないですか。無責任で良いじゃないですか。無能でいいじゃないですか。頑張れなくて、頑張らなくて良いじゃないですか。嫌われていいじゃないですか。傷付けていいじゃないですか。いいんですよ、ぜんぶ、人は人、自分はじぶん。割り切るところは割り切るしかないんです。母の言葉や態度は時にわたしの死にたいを助長させましたが、それはそれ。わたしは母が大好きです。ただ、ひとは経験していないことや想像が及ばないことはわからないという事実を知れました。わたしも母をたくさん傷付ける言葉や態度をとってきました。故意にしたこともあれば無意識のものも数えきれないでしょう。それでも結局側に居てくれたのです。だからわたしもただ側に居るだけの歌を
なんて良い話はできません。
わたしの音楽はわたしのエゴでしかありません。けどそのエゴでも誰かのそばに居られたらこれ以上素敵なことは

無いとも言えません。

人間の気持ちも嗜好も移り変わるものなので

なんとも言えません。


一言いいたいのは
生きるって、死ぬよりぜんぜんキツいっしょ!!

わっしょい!!

他殺は断固嫌だ!!
私の人生の主導権はわたし
つづけるのも終わらすのもわたししかいない
他殺は断固嫌だ!!


いただいたサポートは楽曲制作の為に使用したり思い出のモノへと変換し、素敵な思い出をたくさん作っていきたい所存です( ˘ω˘ )♡