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他人の不幸

”シャーデンフロイデ”と言う言葉をご存知でしょうか。

ドイツ語で、他人の不幸を喜ぶ気持ち、とか”毒のある喜び”という意味の言葉なんですが。 
調子に乗ってそうな芸能人とかyoutuberが不祥事を起こして。テレビから追放されたり。ネット上で炎上したり、もしくはお金がもらえなくなったりするのを見ると、やっぱり「ざまあみろ」とか「スカッとした」っていう人が 案外多いですよね、みんなの中にもいるかもしれないというよりは、多分誰の心の中にもあるんでしょうね。大なり小なりね。

こういった。悪そうなやつとか。なんか調子こいてるやつにバチが当たると嬉しい。こういう感情のことをドイツ語でシャーデンフロイデというらしいです。 


ちょっとそれますが、人類は進化の過程で”みんな”っていう概念が分かってきたらしいです、そしたら、みんなと比べてっていうのが分かっちゃったんです。  
サルの場合は、目の前のやつは美味しいバナナもらってるのに、俺は味のしねぇきゅうりかよっていう風に しか悩まないです。

メスの取り合いしてる時に、目の前の猿に負けて、俺はこのメス猿から振られた。これは分かるんですが。みんなそこそこ彼女ザルいるのに、俺、この年になっても彼女ザルいないなんてって、こんな悩みを猿は持たないんですね、みんなっていう抽象概念がないから なんですよ、男ってっていう抽象概念もないからなので、こういう、シンドさみたいなものを持たないんですね。

  
平均というのを考えてしまうようになって、人類は同時に。平均より上でないとなんか辛い感じがしちゃう、と
なんかもうほとんどの方が苦しむことになるんですね。
人類はその”みんな”という概念があって、ほんで、俺たちとかグループとか仲間っていうのが分かったんですが。
それのおかげで、自分は仲間の中でどの辺にいるのか?っつうことで、 平均以上じゃなきゃ苦しいから、大半の人が苦しむことになってしまった、こういう代償を受け取ってしまった、 これが1つの猿と人との差です。


ほんで、猿は、得をしたもの、ずるいものって言ってもいいですが。
そいつらが罰せられても別に喜ばない。シャーデンフロイデがわからないわけです。あくまで自分が損したことだけに起こるんです。 
で、この得したもの。それが不当に、なんか不公平に得した感じがするというものに対して、そいつが罰を受けたら喜ぶ。これがシャーデンフロイデです。


僕らはなんで平均というものを考えてしまって、自分が。平均以上だという風に見積もってしまうのか

レイクウォビゴン効果というものがあります、 レイクウォビゴン効果って言うのは、この効果はアメリカの作家ギャリソン・キーラっていう人がいるんですけど、その人の作品「レイク・ウォビゴンの人々」に登場するレイク・ウォビゴンという町についての記述もしくはプレーリー・ホーム・コンパニオンというラジオ番組に登場する架空の村の話。

そのレイクウォビゴンに住んでる人たちは、 みんな優しくていい人で、地域がちょっと 固まりすぎてるから、若い人は逃げ出したがるが、後で絶対に思い出して帰りたいなと思ってしまう、という、そういったなんかいい田舎の街みたいな典型っていう風に語られます。

んで、これを聞いた人は、みんな 「俺の街のことじゃん」って思うらしいんですね。
この、いい人ばっかりでこんなことがあったら、まるで俺の街みたいだっていう風に思う。つまり、この自分たちっていうのをですね。平均以上 に良く見積もってしまうものをレイクウォビゴン効果という風に呼ばれるようになったんですが、
んで、なんだか自分は特徴的で個性的で特別な存在で、その他大勢の人みたいに同調圧力に負けて同意したり、流されたりしないっていう風に 考えて、自分の考えで自分を決めてるんだっていう風に思うこと。

まぁだいたいそんな感じのことを、レイクウォビゴン効果とか平均以上効果って言われてますで、これを証明するのにマークアリックっていう人が実験をしました。

1から7までの数字を学生に選ばせるんですが、100人ぐらい学生を呼んで。
「あなたはユーモアのセンスがどれぐらいありますか」って聞くんです 
で、そうすると多くの学生がかなり高く見積もるんですね、
次に、「あなたは数学の能力がどれぐらいありますか」と聞きます
1が普通の学生よりかなり悪い、7が普通の学生よりかなり良いっていう風に選ばせる、そうするとめっちゃ当たり前の値が出てくる。
つまり、数学の能力のように客観的に測れるようなものというのは、みんなそこそこ正しく評価するんです、いわゆるベル曲線に近くなるんですけど。ところがユーモアのセンスみたいな。もう本人が言ったもの勝ちの、ほぼ自己評価しかないものでは、例外なく、高めに答えてしまうわけですね。
平均上効果の実験っていうやつですね。

こっから分かるのはどういうことかって言うと、人間ていうのは、どうしても自分を 高く評価してしまうということなんですね。
ところが、高く評価してしまうんですが、それは数学の能力みたいに、客観的な数値に当てはめてしまった場合必ず、違う結果が出てしまう、 そのため、人間の心にはねじれっていうのが発生するんですね。
無意識に高く評価するから、ごく当たり前のことにちょっとイラッとしたり。

だから、ちょっと運が悪かったりしたらすごい心の中が傷ついてしまうと、で、この避けられないのに、なんか、こう認めようとしない。 
その平均の下の場合もあるっていうことを、なんかこう認めようとしないと認知のねじれっていうのが発生してしまうわけです。
認知のねじれっていうのは、どういうことかっていうと、

たとえ話です、秋山さんと小野川さんという人がいます、二人は昔からお隣さん同士で既婚者で包茎です。
小野川は、もう9年も隣に住んでるのに、秋山のことがなんとなく気に食わないんです、 で、秋山に、「ウチ来るけ?ビール冷えてるよ」と言われて行くと。ものすごい豪華絢爛な部屋に案内されます、そこで、キンキンに冷えた、わざわざオランダから取り寄せたビールを飲まされて、
ごく普通の会話をしてるだけなのに、なんか喧嘩売られたような気分になって、小野川は帰っちゃいます 
小野川は夜彼女と寝てる時に、「今日は本当に秋山に腹が立った」と言う
彼女が「え、なんかひどいこと言われたの」って聞いたら、
小野川は考えて「いや、言われてない」
彼女は「え、じゃあ、なんかひどいことされたの」って言ったら、
小野川はしばらく考えて「いや、されてない」
彼女「じゃあ、私たち無辱されたの?」
小野川「いや、そんなことはない」
小野川「でも、なんかあいつの言いたいことが腹立つんだよ」


っていう。なんか、小野川には。自分が何に怒ったのかっていうのが認められない、それは、もう見てる人は明らかなんですよ。秋山の方がいい生活をしていて、で、小野川に親切にすればするほど、もう出前とってくれて、冷えたビールを注いでくれて、で、なんか色々親切に行ってくれたりする。
で、秋山の子供が、パパ!パパ!って懐いてるゴールデンレトリバーも懐いてる、てのを見せられると、そうすると、そのたびになんか小野川は自分が平均以下だ、お隣さん以下だという風に言われてるような気がしたり 。
夜、散歩に行ってくるって言って、秋山の家の前を通ると、家の中から笑い声が聞こえてきて、なんかそれでムカムカしてしまうんですね。で、 こういう風に。言っちゃえば、なんかお隣さんすげえよな。いや、もう俺叶わないわって言ってしまえば、心の中がすっと軽くなるのに、
そういうことを羨ましいと思ったことを認めたくないというあまり小野川の心の中でねじれが発生してしまうんですね。 


じゃあ、そういうねじれが発生したらどんなことになるのかということです。 
もう、こういうことの心理学実験は1950年代、60年代に。ヨーロッパとか、アメリカでやり尽くしてるみたくいろんなデータが出てきます、つっうことです。

例えばオランダの心理実験です
被験者はまず、テストを受けさせられます実はこのテストは嘘なんですが。 
で、結果を出されると 、ランダムに2つのグループに分けるんですね、1つのグループの方は、もう完全に嘘の結果なんです、
1つのグループには、テストの結果、あなたは頭が悪い、視力が劣ってることが分かりましたっていう通知が来ます、もう1つのグループは、あなたは別に大丈夫です、普通ですというような結果がくる。
その直後に、次は新聞記事を読んで、その感想を書かされるんです。 
その新聞記事が何かっていうと、なんか大学生の若者がはしゃいで、大学でやってるパーティーにいい格好しようとして、高級車を借りて、イキリながら、ガーっと乗ってて、そんで、駐車場に止めようとしたら、そのまま滑って運河に車を落としてしまった、て内容なんですが。
運河に高級車を落としてしまって、パーティーはめちゃめちゃになって、大恥を書いたっていうような記事を読まされるんですね。
で、どう思ったかっていうのなんですが、さっき2つのグループに分けてあなたは知的に劣ってると言われたグループに限って、全員がざまあみろと思った、と回答。
ランダムなので、2つのグループは全く その差は関係なく、ある一方は、この記事を読んだ時に、気の毒に思った、なんとも思わないと回答した、
ところがその直前のテストで、あなたは頭が悪いと言われた人たちは ほとんど例外なく、みんないい気味だっていう風に思ったっていうんですね。


つまり、このいい気味だと思うシャーデンフロイデという心の中の現象っていうのは、なんで起こるのかというと、その人の個性とか、元々の性格と関係なく、その直前に自尊心が傷つけられるようなことが あったかなかったかで、心の中に発生してしまう現象だっていうのが、このオランダの実験で実証されてるわけで、
僕らはついつい、いや、 俺人のことを羨ましいと思わないから、とか、
いや、なんかそういうやつは心がねじれてるから。
とか考えると思うんですけど、
もう、オランダの実験が指し示してるんです。 
その直前に、自分が傷つけられたかどうかにかなり関わってくる、っていうのがわかってくる 。


こういう感情は何で起きるのか。
脳内科学現象の話です。 
オキシトシンというホルモンがあります、オキシトシンの発見は早く1906年イギリスでヘンリーデールという科学者が、野蛮なことに脳下垂体、つまり人間の脳みそを、すり潰して発見しました。
これは女性の、出産とか、授乳の時に分泌されるホルモンです。 
で、この物質を注射されたマウスは、ストレスに強くて、傷の治りも早い
別名、愛と絆のホルモンという風に言われています。 
で、このオキシトシンはしばらく前にも日本でブームになりました。


オキシトシンは、幸せな気分になる、脳や心が癒されストレスが緩和する、不安や恐怖心が減少する、他者への信頼の気持ちが増す、 社交的となり、人と関わりたいという好奇心が強まる、親密な人間関係を結ぼうという気持ちが高まり、学習意欲、記憶力向上、心臓の機能を上げ、感染症防止に繋がると、嘘みたいですがこれ基本的に全部本当なんです、
ググったら、もう、ほんとにいいことばかりがバーっと出てきます。


で、オキシトシンを注射したマウス、そのマウスを他のマウスに混ぜてみると、注射されたマウスは、リラックスしてるんですね、で、そうすると、他のマウスにも、そのリラックスが伝染していくんです。
別に 注射されてないマウスたちもそのマウスの影響で。徐々に落ち着いて、餌の取り合いとかが少なくなるというですね。

まあ、割といい影響が出てくるのがわかってくるわけですね。
で、おまけに。以前に会った個体の識別能力が増す。 
どういう意味かというと、マウスっていうのも一応記憶力があるんですけども、前にツガイになった。つまり、セックスをしたオスとか、メスのマウスを覚えてるとは限らないんですね。 
ところがオキシトシンを注射したマウスっていうのは、自分が以前にあったマウスっていうのをちゃんと覚えるようになって、もう1回ツガイを作る確率がすごく上がるといいます。

まぁなので、オキシトシンは愛と絆のホルモンという風に言われてます。
つまり、個体の、それぞれのカップルの、寿命が長くなるというのか、長く付き合うようになるので、まあ、よくあるのが、こういうものが分泌されると、カップルが仲が良くなります、とか、夫婦がいつまでも仲が良くなります、という風なことをいっぱい書いてあるわけですね。

オランダはえぐい実験をいっぱいします、アムステルダム大学の実験では、不思議な実験をやりました、いわゆる、
5人を助けるか、1人を助けるか問題みたいなやつあるじゃないですか。 
つまり、5人が乗った暴走列車っていうのがあって、それを助けるためには、1人を見殺しにしなければいけないと、
どういう風にするのかっていう道徳的倫理的に 大変難しい問題っての、


2つのグループに分けて実験します、1つのグループは、普通に問題を出し、もう1つのグループは、オキシトシンの匂いを嗅がせて、同じ問題をさせたと、そうすると、どういう風になったのかっていうと、
オキシトシンを嗅いだグループは、オランダ人をフランス人やドイツ人より優先して助けるという結果が優位に現れたのですね。
どういうことかというと、つまり、同法愛が目覚めたんですね、 
オキシトシンを嗅がせない状態では、 いや、人間の命は平等だとか、例えば、子供がいる方とか、老人がいる方とかいうような、当たり前な人間判断だったんですが、この愛と絆のホルモン、オキシトシンの匂いを嗅がせると、
統計的に明らかに傾向として、自分の国民、オランダ人だけを優遇するという結果が出てきたんですね。 
つまり、裏を返せば、自分のグループに属さない人を排除することでもある、という風に、この実験の研究発表は言ってます。 
つながりを否定する個体を排除しようとする、愛と絆のホルモンであるオキシトシンのダークサイドというのが見えてきました。

次は、サンクション、報復ですね、復讐と言ってもいいと思いますが、報復の欲望の話です。
東京の地下鉄、千代田線で、朝のラッシュ時に女性専用車両に男性数名が、無理やり乗り込んで、電車間に合わないからじゃなくて、わざと乗り込んで、中で停止ボタンを押して、その結果電車が止まっちゃって、ダイヤが乱れる事件がありました。
で、なんでかというと、その乗り込んだ人たちってのが、女性専用車両は、男性差別であるという風に主張し、あえて女性車両に乗り込んだ 、で、「ここは女性専用車両ですよ」と、女性が注意する、そういう人たちがやることは何かって言うと、その様子を動画で撮影して、ネットにアップすると、 女性専用車両は差別だとか、女性しか乗車できないという法的根拠を述べよとかって詰め寄って嫌がらせするっていうのが、まあ、上等手段だそうです。

で、 こういうことをやる人たちっていうのは、まぁなんでやるのかというと、やっぱそれは正義の怒りなわけですね、女性は不当に利益を得ているとかですね、それに対して、男性は、自分は不当に損をさせられている、公平でないっていう風に考えるからです。 
男性専用車両を作れ、という風に言ったりすると、なので、こういう迷惑行為を自分はして当たり前、自分はそういうことをする権利があるという風に考えると。

で、こういう風な、正当性を主張する仕返しのことを、サンクション制裁という風に言います。 
報復ではないんですね、報復は、自分がやられたことをやり返すんですけど、サンクションは制裁です、つまり、正義の鉄槌を下すことがサンクションなんですね。 

んで、まぁ特に煽り運転みたいなものを見ると、僕らもこういうやらに、 こう、罰を与えたくなるわけですね、あおり運転してるやつも、痴漢をするようなやつも、youtubeで迷惑動画を公開して儲けてる軽薄なやつにも、
なんか、正義感というか、怒りみたいなものが湧いてくるんですが、これが愛と絆のホルモン、オキシトシンのダークサイドです。
で、じゃあ、なぜこのオキシトシンが このような正義感を出すのか。
トゥキャッチアプレデターっていう番組があります、NBCのアメリカの番組で、もう終わっちゃったんですが、過激なドッキリみたいな番組です、
少年少女を引っかけようとする性犯罪者を、逆に引っかけるドッキリ番組なんですね、snsで少年少女に近づき、それ目的で言葉巧みに会おうとする大人を捕まえてやろうという番組、
まず、スタッフが モデルか俳優、もうとりあえず若く見えるやつを探してくるわけです、
そいつが13歳だとか、14歳だという風に自分で言って、snsに登録して、
「ちょっと寂しいの」とか、「家出した」みたいなやつをバンバンバンバン上げるわけです。
それに食いついてきた男たちがいたら、やり取りをどんどん交わして、相手の誘うままに会う約束をすると、 いわゆるロンドンブーツが、昔やってたブラックメールみたいな内容ですね。 
で、実際、このメールのやり取りから、実際に、のこのこと会いに来るところまで、一部始終を隠しカメラで撮られてるわけです、13,14歳に見えるけど、実は成人のあの男女の俳優さんとかスタッフが、出迎えてきて、もうそのロリコンのワクワク感が頂点になるんです。 
そこで、ちょっとその女の子、男の子が場を外した瞬間に司会者のクリスハンセンが 現れて、「ここで何をするつもりですか」っていう風に言うんですね、でも、ロリコンは一生懸命言い訳するんですけど、「じゃあなんであなたコンドーム持ってんですか?」。っていう風に言って、「彼女13歳だと言ってましたよね、だから、あなたはそれを知ってるわけですね」て、どんどんどんどん追い詰められた相手はパニックになり、そこに、カメラやらクルーが山ほど現れて、ライトで照らされて外へ逃げると、
その外には あらかじめテレビ局が通報していた警官が待っていて、その場で逮捕されて御用になるっていうのを、毎週やってたわけです。

これをやった上で、このクリスハンセンっていうのは、少年、少女を狙った犯罪から子供たちを守るヒーローとして取り上げられ、講演会とかで大儲けして一躍スターになったんですね、
 ところが2008年に、テキサス州で、州の検事が引っかかっちゃったんですね、別に検事だから、それで逃れたってことじゃないんですが、それで、あのクリスハンセンが現れて、問い詰められた瞬間に自分の部屋に入ってしまって、で、中で拳銃自殺しちゃったんです
で、拳銃自殺をしたことによって、検事の家族が、あの人は別にまだ犯罪を犯していないどころか、あなたたちは、その彼を自殺するように追い込んだ、犯罪者に対して罰があるのは当たり前だが、犯罪をしようとしていた段階であって、まだ犯罪者じゃない、
それに対して自殺するぐらい追い込むようなことをしていいのかどうか、ということで、大論争にになって、結局、この番組は打ち切りになってしまったんですね。 


いわゆるネット上の吊るし上げみたいなもんなんですけど、この事件があるまで、アメリカの国民というのは、この番組を大喜びで見てたんですよ、で、 この番組についてある留学生、日本からの留学生がブログで、ちょっと書いてるので、長いですけど、引用します。


この間、久しぶりにカルチャーショックのあるものを体験した、倫理のクラスでトゥキャッチアプレデター、 このプレデターを捕まえろというリアリティ番組の是非を問うディベートしたけども、アメリカ人の犯罪者に対する意識の違いに驚いた、性犯罪者をチャットで誘って、指定された場所までのこのこやってきたプレデターを、ニュースリポーターのクリスが尋問するって内容、アメリカ人なら誰でも知ってるNBCの人気番組だけど、自殺者が出て、番組は打ち切りになった、この番組を再開すべきかどうかっていう内容は、倫理的かどうかっていう討論をクラスのみんながするっていう機会があったんだけども、驚いたことに、クラスの大半がこれを再開することに賛成だった 、私は反対派だった、その理由が犯人にもプライバシーがある。それを言ったのは、反対派でも私1人だけだった、 反対派の人は他にいるんだけど、その理由は、法の執行は警察の役目であるとか、なんかこうメディアはそういうことをするべきではない、
一般人的なアメリカ人の意見がこうだったわけじゃないけども、彼らは犯罪者にはプライバシーなんてものはないと考えてるみたい。 
私は、どんなにクソみたいな人間でも守られるべき権利はあって、顔も実名もアメリカ中に公開されて、本人や家族の人生を破滅に追いやるような。 
しかも、それをエンターテイメントって扱ってる番組は非倫理的だと思うんだけど、これは日本人的な考え方なのかな

っていう風に言ってます、僕らも共感できる内容ではあると思います、つまり、このトゥキャッチアプレデターという番組が面白そうだっていう、このゲスな感情はあって、 いいぞやれ、っていう感情はあるんだけど、同時にこれでいいのかという疑問点は必ずあるようなもんなんですが、実は大半のアメリカ人は、そこのところにあんまり頓着がない。
それはなんでかって言うと、 西洋文化というか、キリスト教文化、まぁアメリカ文化なのかが強く、ある人を正義と悪との方に単純に分けてしまう考え方なんですね。

つまり、この世の中には正義というものがあるイコール、この世の中には悪っていうのがある 100パーセント正義、100パーセント悪っていうのは存在するから、絶対に許せないやつっていうのがいてもいいんだ、っていう価値観を持ってしまう。
なので、 子供相手に性犯罪をしようとする連中は、その段階で、もう一生涯裁かれても当たり前だっていう風に考えてしまうわけですね。

で、これもサンクションなわけです、で、シャーデンフロイデですね。
こういうやつが 罰を受けて当たり前だ、気持ちいいという感情は、 
さっき、あの小野川の例で説明した相手のことが羨ましいと思ってるだけではないんですね。
このプレデターのやつで分かるんですけども、プレデターを捕まえると、引っかかってる人っていうのは、テキサス州の検事みたいな人は、割と例外中の例外で、大半が生活に困ってる、とか、あと、家族もいないとか、なんか他に知り合いもいないような男とか、そういう風な人がいっぱい出てくるんですね。
つまり、見下げて当たり前、自分はこいつらのことを馬鹿にして当たり前、でも表だって馬鹿にすること自体はなんか心の中に引っかかりがある、
そういうな奴らが性犯罪みたいなことを起こそうとしてくれると、堂々と。「ほら、やっぱり1人で住んでるやつは危なかったんだ」とか、 「ほれ、やっぱり俺より友達が少ないやつにはこんなやつがいるんだ」みたいな、こういう喜びがある。
人を見下げる喜びっていうのもあるってことが分かります。「不細工なあいつが幸せそうになんかこう、飯食いやがって」とかですね。「俺より貧乏の癖して、友達がいる」とかですね。
そういう、実は見下げる行為も、見下げた相手に対して持つ感情もやっぱり、シャーデンフロイデの原因になるわけですね。



以上です。

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