大洋感情について

 私たちは連続しているのか、不連続なのか(2)

ロマン・ロランとフロイトの往復書簡

 「あなたが私」となる、バタイユの「連続性」にアプローチするため、今回は「大洋感情」について考えたい。
 「大洋感情」とは、ロマン・ロランのフロイトとの往復書簡の中に出てくる用語である。フロイトに比べ、ロマン・ロランは今では半ば忘れられた作家になっているかもしれない。しかし、「大洋(的)感情」という用語は宗教学の領域などで、今でも時々使われることがある。

 フロイトは『ある錯覚の未来』(1927、旧訳『幻想の未来』)で、さまざまな宗教的教義を「錯覚」とみなしていた。彼によれば、宗教は、他の文化的制度や産物、学問や芸術、イデオロギーなどと同じく、人間が性的欲動を抑圧し、昇華して創り出した幻想であり、虚構である。こうしたフロイトの宗教観は、基本的には近代の啓蒙主義、合理主義に添ったもので、愛弟子ユングとの決別にも見られたように、彼は一切の神秘主義を否定している。

 この著作を読んだロマン・ロランは、フロイトに次のような手紙を書く(1927年12月5日付)。自分は宗教を幻想とみなすあなたの判断にまったく賛成するが、しかし教義から離れた、「宗教の源泉」ともいうべき「大洋的」感情を十分評価していないのは残念です、と。
 ロランはこの時期、インド研究に力を注いでおり、その研究を『ラーマクリシュナの生涯』(1929)と『ヴィヴェカーナンダの生涯』(1930)にまとめていた。ラーマクリシュナは、バタイユにも影響を与えた近代インドの神秘家で、しばしば忘我・恍惚(サマーディ)の神秘体験をもった。そのサマーディとは、塩が大洋に溶けてしまうように、自我が世界と一体化する体験で、ロランの「大洋的」という表現は、そこからヒントを得たと私は推測している。

 フロイトはロランの批判に「少なからぬ困惑を覚えた」という。彼は、さっそく次作『文化の中の居心地悪さ』(1930旧訳『文化への不満』の冒頭で、その批判を次のように紹介しつつ、反論している。
   「大洋的感情」とは、ロランによれば、多くの人々が共有しているはずの「永遠性」の感覚、何か無窮のもの、広大無辺のもの、いわば「大洋的」なものへの感情である。それは宗教的教義や死後の永生などとは無縁の、純粋に主観的な感情であるが、どんな宗教もそれをエネルギーの源泉としている。「いかなる信仰も錯覚も拒むにせよ、このような大洋的な感情さえあれば、それだけを根拠に、人は、自分は宗教的だと名乗ってよい」とロランは言っている(『文化の中の居心地悪さ』p. 68)。
 
 しかし、フロイト自身は、この「大洋」感情なるものを自分の中に見いだすことはできないと断言している。ただ彼は、そうした感情が他の人に生じうることまで否定していない。たとえば、恋する人が相手と一体感を覚えることがある。また幼児は自我と外界をはっきり区別せず、成長するにつれてその区別を学び自我を確立していくが、そうした初期の一体感が成人後も消滅することなく、自我の底に保存されていることがある。それは丁度、ローマの地下に眠る過去の古代遺跡のように、機会があれば掘り出され、復活してくることもある。それを「大洋感情」と呼ぶことができるかもしれない、とフロイトは認める。だが彼はその幼年期の名残の感情を「宗教的欲求の源泉」とみなしうるか疑問だという。
 彼は、むしろその源泉を、幼年期に幼児が感じた寄る辺なさと父親への庇護の欲求に求めている。そうした「父」への憧れが、やがて「父なる神」として擬人化され、さらに彼が『トーテムとタブー』(1912-13)で述べたように、息子たちによる原初の「父親殺し」、エディプス・コンプレックスに由来する罪の意識などの精神分析理論となったのである。
 
 こうしたフロイトの精神分析が、どれだけ普遍性をもっているか疑わしい。なぜ母親ではなく、父親を重視するのか。それは父性的なユダヤ教の影響なのだろうか。ラテン諸国のマリア信仰の強さを見るなら、母親の庇護を求め、幼年期の原初的一体感を求める方が自然ではないか。それは果たして周囲の世界と未分化であった頃の感情の「名残り」にすぎないのだろうか。

 フロイト後期のエロスとタナトスの二元論を私流に解釈すれば、エロスは同一性、連続性を求める欲動であり、タナトスは逆に個体を全体から分離しようとする不連続性への欲動となるだろう。前者は大洋感情につながり、後者は否定的な死と破壊の衝動につながる。さらに、その否定的な衝動は、ヘーゲル弁証法の原動力としての「否定性」にもなりうる。それは対象を否定し、破壊しながら新たな創造をもたらす力となり、例の「死を担い死のなかで自己を保持する精神の生」(『精神現象学』序論)となるのである。

戦争はなぜに

 
 フロイトは「戦争はなぜに」と題されたアインシュタインへの手紙の中で(1932年9月付、『フロイト全集』20)で、エロスとタナトスの対立を、物理学の引力と斥力の双極性になぞらえている。書簡の中では、「タナトス」の語は使わず、「死の欲動」「攻撃欲動」「破壊欲動」と表現しているが、その欲動さえ取り除けば、人間は戦争をしなくなるわけではない。二つの欲動は混じり合い、互いに促進し合ったり、対立し合ったりしながら、生命のさまざまな現象が生じているからである。
 では、戦争を防ぐためにはどうすればよいのか。フロイトがアインシュタインに答えた二つの提案は、少しも目新しいものではない。一つは、やはりエロスによる感情の絆を呼び覚ますことである。愛や一体感、帰属意識を共有できれば、争いは少なくなるだろう。いま一つは「文化」を発展させることである。フロイトによれば、文化が発展すれば、人間の知性は強化され、欲動をコントロールできるようになる。心と体も全体的に変化し、攻撃的欲動は「内面化」され(倫理道徳となるのか?)、外的な残酷さは耐えがたいものになるだろう。
 フロイトの長い手紙は、「文化の発展を促せば、戦争の終焉へ向けて歩み出すことができる」という楽天的予想で終わっている。しかし、この書簡を交わした後、この二人のユダヤ人学者に襲いかかったナチズムの嵐、そして第二次世界大戦の未曽有の殺戮は、彼らの希望を徹底的に踏みにじってしまうものだった。

 アウシュビッツとヒロシマ・ナガサキの惨劇を経て、これらの往復書簡から何が残されているだろうか。また現在、ウクライナやガザで破壊と殺戮が続いているとき、どんな思想的提案が可能だろうか。
 文化が発展すれば戦争は無くなる? 悪魔も大笑いするだろう。なるほどドローンは、オモチャかと思ったら、便利な殺戮兵器になった! 知性によるコントロールだって? AI、ITが進歩しすぎて、私たちは皆、制御不能の魔法を使い始めた「魔法使いの弟子」になったのだ! AIが人間の知性を超えるシンギュラリティの地点は、私たちの知らぬまに、もう過ぎてしまったのかもしれない。

その大洋であれ

 だが、フロイトが交わした手紙のなかにも、希望のかけらがないわけではない。まずロマン・ロランの「大洋感情」。すべての宗教の源泉だった存在の連続性の感情だ。もうひとつはフロイトも認めたエロスによる感情の絆。それもまた連続性の感情だ。
 「大洋感情」とは無縁のフロイトだが、彼自身がローマの古代遺跡の例をあげているように、世界中の宗教の「廃墟」や「遺跡」を、精神の考古学者となって発掘すれば、誰でも、その源泉を再発見できるかもしれない。最近、中沢新一がチベット仏教の「精神の考古学」のお手本を見せてくれたところだ。仏教以外でも、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、その他、制度や教義とは無縁の素朴な信仰に至るまで、人間が、狭い閉ざされた不連続な個人の壁を越えて、結びつきを感じるところには、すべて連続性の「大洋」へと注ぐ流れが見出される。『神秘哲学』から『意識の形而上学』に至る井筒俊彦の著作は大いにその助けとなるだろう。彼とともに「エラノス」に集った研究者たちも含めれば、その射程を測ることは容易ではない。
 フロイトの精神分析も、20世紀の「精神の考古学」に一つの役割を果たしたが、それ以外にも多くの可能性が残されているのだ。

 最後に、ニーチェの「その大洋であれ」という断章を、バタイユが引用している箇所を読み直してみよう。今やその意味するところは明白である。

  「人間の中にある偉大なもの、崇高なものの一切の波は、最後にはどこに流れこむのだろうか。これらの激流のための大洋はないのだろうか。——その大洋であれ。そうすればひとつの大洋が存在するだろう」(ニーチェ、1880~1881年の断章)。
 ディオニュソス的哲学者のイメージよりも、この大洋へと呑み込まれる人、”その大洋であれ”という剥きだしの要請のほうが、体験と、体験のめざす極限をより良く指し示している。
 体験のなかでは、もはや限定された実存は存在しない。ひとりの人間は、他の人間たちといかなる点でも区別されない。彼のなかに、他の人たちにおける激流的なものが呑み込まれていくのだ。”その大洋であれ”という簡潔きわまる命令は、極限と結びつけば、ひとりの人間を、同時に群衆にもすれば砂漠にもする。それは、ひとつの共同体の意味を要約し、また明確にしている。私は、ただ体験だけを目的とする共同体について語ることで、ニーチェの願望に答えることができる(だが、この共同体を示しつつ、私は”砂漠”について語るのだ)。」

拙訳『内的体験』Ⅴ. p. 40

 バタイユは、みずから「内的体験」を追求しつつ、共にその「非知」の体験を追求してくれる人々の共同体を夢みていた。それは彼がニーチェから引き継いだ夢でもある。だが1940年代初頭、秘かに始められた「ソクラテス研究会」においても、その真の協力者は誰ひとり現れなかった。
  たしかにブランショは理解を示し、「体験はみずからを権威とするが、その権威を贖う」と重要なヒントを与えてくれた。だが彼自身は内的体験を追求したわけではない。

 ニーチェが思想的な友を、生涯求めながらも孤独であったように、バタイユもまた絶望的なまでに孤独であった。それが「砂漠」である。しかし奇妙なことに、内的体験の極においては、この「砂漠」は同時に「大洋」となるのだ。なぜなら「私」は「あなたたち」となり、「あなたたち」は「私」となるからである。その意味をしっかり理解しなければならない。

 その大洋であれ。あなたは「群衆」であると同時に「砂漠」となるだろう。そこで見出された「共同体」は、しかし不可視の共同体となるだろう。
 バタイユは後に、それを「否定的共同体」、「共同体をもたぬ人々の共同体」と呼んだのである。


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