『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』の感想

 去年の映画をアマプラで視聴。1時間40分にいろいろ無理なく詰まっててとてもすごい映画だなと思った。ただ、子供のころ目玉おやじがとても好きだった人間からすると、これがおやじには見えねえ…って感じだったね。

鬼太郎はほぼ出てこないぞ

目玉おやじ最強説

 子供の頃よく鬼太郎の漫画読んでたんだけどその頃から思ってたんですよ。「目玉おやじ強くね?」と。
 まず鬼太郎が戦うときにおやじの知識が役立つ回が多すぎる。頭脳キャラとしての描写も多いし、実はあの体のくせに戦闘能力も高い。敵の妖怪が鬼太郎を倒すためにおやじを誘拐するけどおやじ自身が単独で頑張って妖怪自体倒すみたいな回とかすらあったと思う。
 その目玉おやじの全力状態が描かれるとしたらそらもう鬼太ちゃんを軽く凌駕する最強キャラだろうと思ってたんですよ。それが初めて(本作の伏線的に6期14話で夢の中で戦う回があるだけ)描写されたのが本作だったわけです。

目玉おやじの活躍の少なさ

 ところがなんかねえ、普通に「デカくて仲間の少ない鬼太郎」みたいな感じでガッカリっすよ。
(一応補足すると本作はアニメ6期(ほぼ見てない)のスピンオフなので昔の漫画とかとは繋がっていない世界観である。しかし本作は6期とはデザインラインも違うし原作のエピソードを下敷きにしている以上、原作からの繋がりで見られることを想定していると考えて鑑賞した。)
 制作陣のやりたかったこととして「体を使ってめちゃくちゃフィジカルで戦うおやじ」というのがあったと思う。それはまあ目玉のおやじのイメージを覆すものだしカッコよかったし良い作画だった(太田晃博さんらによる作画)。
 でもそれだけじゃなんか驚きに乏しいっすよね。特に嫌だったのはリモコン下駄(下駄をファンネルみたいに飛ばす鬼太郎の遠距離攻撃)を使うシーン。ありがちな「親の活躍シーン」って感じだった。新鮮さが無いし、今まで見てきた鬼太郎のリモコン下駄はただの継承物だったんかいってなる(そこにサーガとしての良さを見出せる人もいるとは思うが)。
 せっかくなら鬼太郎にまったくない戦い方を見せてほしかった。いちおう後半で髪の毛をめちゃ長くした攻撃とか少しあったけどそのくらい(あそこまで長くなくとも髪の毛使った攻撃は鬼太郎もできる)。
 そして何より敵のデザインのダサさ!中盤に出てくる裏鬼道衆なる敵はショッカー戦闘員みたいな感じで強そうじゃない(作画のおかげでカッコよくはある)。そして戦闘シーンにおけるラスボスは凶悪化した狂骨(骨つきの幽霊みたいなの)なんだけど、本作でのデザインには水木しげるっぽさもないし、かといって現代っぽくもない中途半端さ。こんなダサい敵におやじがボロボロにやられるなんて信じられないよ!
 さて、おやじがどのようにして目玉になるかは書かないでおくが、安易に敵にやられた結果ではないのは良かった。だがおやじの強さをあまり見れなかったな…という思いは残る。

めちゃくちゃよくできた脚本

 さて一方、ストーリーはたしかに良かった。因習村のサイコサスペンスが展開される前半はずっと緊張感がある。その元凶として「戦後の経済発展のために強いられる犠牲」というのがテーマとして語られるのもうまい。
 主人公は戦争で無駄死にさせられかけた(パッチワーク的に「総員玉砕せよ!」の1シーンが使われている)上に戦争で様々なものを失った人間で、生き延びたからこそ戦後は周りを利用してでものし上がろうと生きているサラリーマン。
 出世のために舞台となる村にやってきて、いろいろ大変な目にあう。中盤、敵対するやつらが自分たちの狂行を正当化するために「経済発展のために必要な犠牲」という趣旨のセリフを吐く。そこに自分たちに「戦勝のための必要な犠牲」を強いてきた軍人を重ね、そのようなファシズム的姿勢に決別し、鬼太郎の父とともに戦う、というのがまあなかなかによくできていた。

 で、そういう物語を組むにあたって、まだ何も起こる前の序盤のタバコの演出がとても良かった。東京から村へ向かう鉄道内、大人の男たちがすぱすぱとタバコを吸ってもくもくと煙が車輛中に充満する。喘息ぎみなのか女の子がずっとせき込むのを母親があやしているが男たちは誰も気に留めない…という光景が挿入される。席についた主人公もそこに一瞥もくれずにタバコを取り出してマッチを擦ってスパーとふかす。遠くでずっと咳き込む声がする…。
 これがとてもよかった。こう文に書くと演出意図はあからさまだが、タバコの煙と咳の音は単に緊張感と微妙な不快感を与える映像上の道具としても機能していて非常に巧妙。気づかない人は気づかないかもしれん。

 中盤の展開として、沙世という女が出てきて「こんな不自由で女を道具として使う村から私を連れ出して!」的な、なんかエロゲみたいな展開が起きるんだけど、それも別にファムファタル幻想みたいにならずに終わる。(友達のヤムニャン学園が「左翼のエロゲみたいだった」と言っていたのだがかなり的確だと思った)

 そういう風に戦後の日本は女の扱いもなにかもひどかったずぇ…ということを語ってくる感じはとてもよかった。だからこそ主人公が弱肉強食的な価値観を持ってしまうことの説得力と、人間界のアウトサイダー的な存在であるおやじとの出会いによってその価値観が変化することのすごみが出るのである。終盤に悪玉が一人で勝手に内実をぺらぺらしゃべるのはあんまり好きじゃないが、まあそれより前にいろいろと見せることができてたのでそこまで唐突な感じもない。

 だから本当に良い映画、良いポリコレ映画なんだけど、「目玉おやじ映画」という一点で微妙だったので…なんとも言えない。
 アクションシーンを完全に廃してサイコサスペンスに振り切るという手もあったような気もするが…、元シリーズが子供向け冒険活劇であることを考えると「よくやってる作品」とは思う。

補足的な話

 ちなみに個人的な話をすると、僕は鬼太郎アニメ全然見てこなかった。小学生のころ鬼太郎の漫画にすごくはまったんだけど当時やっていた五期は途中で切った。自分の思う良さがなかったんですわ。

 鬼太郎作品は連載時期と連載媒体で大きく雰囲気が変わるので一括して語るのは難しいんだけど、水木しげるの描く鬼太郎とおやじって(人助けするとしても)結局のところ人間のことナメてるし、死について酷いことだと思ってない。ねずみ男でさえなんかどっかで達観している風があったりする。そういうドライさに感動したのですわ。
 それは本当に戦争で死にかけて(というより一回死んで)ありえないレベルで無常観を獲得した人間にしか書けないことなのでほかの作者に求めるのも愚か。
 とはいえやっぱ「ゲ謎」の後半で「子供たちの未来のために…」とかいう目玉おやじもなんかヤだったね。原作と違うから嫌というのじゃなくて、ありがちなお父さんキャラ造形に縮退している気がするから。

みんなが好きなシーン

 しかし原作的な無常観やドライさはないものの、かなり水木作品を意識してうまく作られていると思った。先ほど述べた「戦後日本における女性の扱いのひどさ」みたいなものが明確に書かれた水木作品は俺は知らないんだけど、何も縁がないわけじゃない。本作で主人公の戦争の記憶として部分的に使われている「総員玉砕せよ!」だが、原作には戦場や兵営の描写だけでなく慰安所(作中では『ピー屋』という兵隊用語で呼ばれていたはず)の描写が入る。1人で80人以上を相手しないといけなくて疲れた女たちが女郎の歌を歌う。そこには戦争のために駆り出されて身心を犠牲にさせられる女性たちに対するまなざしが入っていた。そしてその歌が最後に死に損なった兵士たちの歌として再登場する。つまりマッチョな社会システムのために女子供とそして弱い男性が搾取されるという社会構造への視点が描かれる。そういう共通部分で本作は水木しげる作品的でもあった。
(まあ『悪魔くん』では大望のために他者に対して平気で犠牲を強いるやつがなかば理想的に書かれたりもするので水木センセの思想はそう単純に理解できるものではないですが。)

 あと良かった点と悪かった点を一個ずつ言うと、まずチャンチャンコの誕生がめちゃくちゃ壮大に描かれたところ。鬼太郎に登場するアイテムでぶっちぎりで最強であるチャンチャンコ。それがイデオンみたいな演出とともに、壮大にアレンジされた「ゲッゲッゲゲゲのゲ~」をバックに爆誕するところ、かなり面白かった。
 悪かったところは歩きの作画が甘かったところ。前半で水木が歩くシーンが何か所もあるんだけど、ちょっと作画ゆるかった。歩く姿勢とか微妙な表情の変化とかで人物を見せたくてコンテ切ったんだろうけどうまくいってないと思った。でもただの移動シーンに枚数使おうとしていること自体が東映アニメーションの作品とは思えない、意欲的な作品だった。


にょ