木村恭子『きみのことがだいすき』を読んだので同性婚について語る


りぼんの読み切り同性愛漫画がブルースカイでバズってたので読んだ。7月25日まで公開中。もとは昨年末の増刊号に載った作品だそうです。

 読めなかった方向けにめちゃくちゃ端折ったあらすじ。人を恋愛的に好きになったことがないという主人公。親友(ヘテロ)にキスの練習を頼まれたので応じたら好きになっちゃった。で、色々悩む末に自己の同性愛を受け入れるも親友のことは諦めようとした…が結局付き合うことになった!という感じです。


なるほどたしかにすごい。
まずなによりテンポが良くて良い漫画。無駄な説明パートとか無くて読みやすい(この読者を信頼している感じも凄い)。
主人公がひとりで逡巡した末に諦めるのと「(親友に)ぜったい彼氏できるコーデください!」と虚勢を張るパート、絵的には緩急つけつつ一帯の人物描写になっているのとか、うまいなあと思った。

少女漫画のこと全然しらないけど、同性愛をテーマにこんなしっかりした読みやすい話があるのはすごく意義があるだろうなと思った。

がしかし、終盤ですごく違和感があった。

 「総理大臣になって法律変えてあげる!!」!!!!
まず良い点がある。
これは仮想のロマンスではない、社会に生きる人の話なんだってことですよね。そして今付き合いはじめたばかりのはずの恋愛と「法律変える」とが対置されることでその凄みが出る。
 さらに「少女漫画」でこういうことを言う意味もあると思うのだがこれは最後に補足として述べます。

 というわけで明確な意思のもと描かれた良さがあると思う。だが私はこんなセリフは嫌だ!!!

 「お嫁さんにしてあげられないよ」→「法律変えてあげる!!」という流れ。これはまあまず同性婚の法制化を示唆していますよね。
 なんにせよこの『法律を変えないと結婚できない』という認識はつまり『恋愛の結果を承認する権力が国家にある』ということを前提としている。
次の、日本と海外と異星で何度も結婚するという話もそう。つまり結婚は場所を変えることで複数回できるということは『結婚するという行為は土地と行政府に縛られる』という認識を補強している。

 あえて嫌な言い方をするなら、これは飼い慣らされた奴隷の観念だ。

 まず言っておくが私は同性婚の法制化に賛成である。しかしそれは社会システムの不備を修正するという目的によってのみ正当化されると思う。
同性カップルは賃貸・保険から病気のときの家族同行や遺産相続に至るまで、異性婚者にくらべ圧倒的に不利な立場にあるとはっきりわかっている。平等な人権が担保されてないのだ。
そうした社会システムの不備を手っ取り早く修正するには、同性婚の法制化くらいしかない。また、公的な証明によって差別を減らす効果を期待する気持ちもわかる。

 しかし家族を国家が承認し、戸籍などと言う非合理なシステムで管理監視することは本質的にどうしようもない暴力である。
かつて日本の徴兵制には戸籍に基づいて長男は免除される規定があり、跡取りではない次男三男を死地に送ることを国家システムとして要請した。また戦後まで尊属殺人規定があった。
 戸籍によって管理される「家族」とはこのように人の命の価値に不平等を強いるために使われてきたものである。

 現代日本にはそこまで狂ったシステムはないが、今の家族制度にも子供の人権や夫婦同姓、様々な問題がある。改善の余地はあるが個人の関係性を役所が管理すること自体に矛盾がある。そういう不条理の塊に認められるのが良いことなのか。

 さらに国際的な話で言えばホモナショナリズムとピンクウォッシュの問題が現にある。昔は米軍もユダヤも同性愛者を弾圧していた。
しかし米軍もゲイの入隊を許可するようになって多様性をアピールするようになったし、イスラエル軍はガザ虐殺の片手間にレインボープライドに共感をしめすSNS投稿をした。

 これは単なる優しさではなく、お前たち同性愛者の生存を承認するから命を捧げろということだ。結局それは現代の奴隷闘士じゃないの。
 最終的にそのようなホモナショナリズムを肯定する立場があっても理解できる。しかしそれは国家の畜群として飼い慣らされることではある。

 すこし飛躍しちゃったが、同性愛を伝統的な家族制度に組み込むと言うことは、そうしたリスクをはらむ国家統一事業なのだ。一種の同化政策と言ってもよい。
 平等な社会制度と人権はなにより大事だから同性婚法制化を受容する…としても、そんなことは本来的に同性愛の成就とは関係ないことなのです。

 そもそも文明なんてものが生まれる前から地上には同性愛も異性装もあったんだ。いっぽう主権国家なんてたかが500年くらいの歴史しかない。そんなものに承認される必要も承認できる正当性もない!権力に依存するのは退廃だ!

 さて作品の話に戻ると、えーと、結婚や法律とか出しても良いのだけど、そこまで価値を見出さないことがわかる描き方になっていたらよかったな〜。社会がどんなものであれ主人公は彼女を「お嫁さんにしてあげ」られるのだ。

 まあ、言いたいことはそんな感じです。子供向けの漫画(の未成年のキャラのセリフ)にそんなにごちゃごちゃ言うなよって思われたらそうなんだが、こういう無邪気な優しさが新たな地獄への道を舗装する可能性だってある。
 もちろん自分の視点や意見が絶対正しいとは思わない。国家や政治を信じて生きる人がいたっていい。あと最初に言った通りこの作品は良い作品です。
 ただ国家に取り込まれることのリスクというものについて、億兆の赤子のみなさんにも少し考えてもらいたいので書きました。

 作品についての補足。少女同士の恋愛漫画において「結婚」を語ったことの良さがもう一つある。
 明確なタブーとして語られてきたゲイセクシャルに比べて“百合”はソフトに消費されてきたが、それは「未熟で儚い少女性」と微妙に紐づける形で描かれてきたと思う。たとえば戦前-戦後のエス文化およびそれをテーマにした文学。エス文学の掲載されていた少女雑誌は少女漫画雑誌の源流とも言えるはずなので、本作とも無縁ではない。
 だからややもすると本作もそうした「子供同士の愛らしい恋愛ごっこ」とも読まれかねない。
 そういうものと一線を画すことは途中でLGBTQIAKP+といった語が出てくることでもある程度言えるが、しかし最後に結婚とか言っちゃうことでこれは子供のちょっとしたエピソードではなくて大人になるまで続きうる恋愛の話です、ということが明確になる。
これはジェンダーにまつわる話としても漫画としても素晴らしいことだと思う。こういう試みがそのジャンルの漫画の中で描けるものを拡幅していくんじゃなかろうか。

にょ