9.11と小田急デパート

毎日夕暮れになると憂鬱になる。いつの間にか雨雲レーダーに出現する何故か相模原や練馬の上空などを主戦場とするヤツらのせいでもある。短時間に降るそら恐ろしい雨や、車を直撃したら1820年とかに戻されそうな雷… 明らかに子供の頃体験したソレとは違う。さすが、都会。

ヒマが出来るとネットのニュースを見てみる。まぁだいたいトップと芸能を少しとスポーツをチェックするくらい。ロクなニュースしかないから。政治家のよしなしごととコロナ関連とつまらん雑学、プラスちょっとホンワカするネタ。どなたかが妊娠・出産とか。対するコメントを見てみると、「誰?」とか「そっとしておいてあげて」って、…じゃああんたもコメントするなよ。と思うわけです。あんなインチキな記事ばかりでメディアが成立する時代が来るなど想像もしていなかった。恐らく最近のメディアは国語の成績が「2」くらいでも採用になるんだろな。必要なのはブラインドタッチか。精度の低いブラインドタッチでもOK!

ともかく、そんなラインナップにも世紀の惨事「9.11」はほとんど見当たりません。気のせいかな。ま、阪神淡路、ともすれば東日本大震災クラスすら風化傾向は避けられない世の常だから他国のことなどケもなしなんだな。太平洋戦争だってもはや「語り部」の存続すら危ぶまれているし。しかし、それらは歴史の教科書から省かれることはなく、その教訓をもってして今後到来する苦難に対峙していかねばならんのです。なんか、おじいちゃんみたいな言い方になった。

ときに、

新宿の小田急デパートが取り壊され、たいそう立派なものが建つらしいです。ついでで申し訳ないが、大ガード抜けて西口行く途中のLABIも閉店らしいです。あのおっきいネオン…っていうの?…は継続らしい。「君の名は」大好きっ子はご安心下さい。

うちの家内の実家は小田急線沿いにあり、子供の頃に小田急やら京王やらに連れてこられたという話をさんざ聞かされた。この手の思い出話には必須の「お子様ランチの旗を持って帰った」逸話ももれなく聞いております。私とて田舎の小さいデパートのレストランから都度お子様ランチの旗を持ち帰っておりました。不思議なのは、それらの“行く末”に関してさっぱり記憶が無いのですね。まさかね、父親があれで食事後にシーハーするわけない。目撃したらエラい勢いで文句言うから。まして、会社や外食用にわざわざ持ち出して使うワケないし。サラリーマン時代によく目撃した、エレベーターの中で爪楊枝を咥えながらゲップする上司。つまらん… 本当につまらんことを同じくして食事から戻ってきた使えない上司仲間や部下にベラベラ飛沫させながら喋り倒すというね。あの爪楊枝が「旗」だったら絵的にかなり面白かったと思いますよ。

それましたが、

田舎からのこのこ出てきて、人生の半分以上が東京での生活になっております。シティボーイです!と言っても、もはや誰も文句は言わないでしょう。笑われはしても。そんな自分が東京で目にしたあれやこれやが消滅していきます。あった筈のものが無い=無かった筈のものがある。駅が無い。なんだ2階か…。 駅が無い、2階にも無い。なんだ地下か…。 という塩梅。学生時代に住んだ街に随分前に行ってみたが、右に行くか左に行くかもわからなかった。白蟻と爬虫類のパラダイスだった下宿も見事に消滅していた。

東京の変貌はどんどん加速している。整備不良とも思われる地下部分は蔑ろにされ、ウワモノはニョキニョキ生えてくる。その勢いたるや、必然性が先行して必要性という根本的な考え方をまるで無視した暴走特急かのように。新宿の黒い水をよもや忘れたか。

シンボルを失ったアメリカ、シンボルを破壊していく日本。

例年とは違った2020年へのアプローチは国ごとに見事に違っており、国民性をも炙り出す皮肉な結果をも露呈した。今まである程度、こと非常時においてはコンセンサスがとれていると思われた国民から国や自治体は清々しいくらいに裏切られた。地域により、人により程度は違えど、考え方が全くの個人主義だったとわかってしまった。日本人は「誠実で秩序正しく行動する」「民度の高い」人間だと海外の少なくない人々から考えられていた。軽い思いつきで始めたようなことすらまともに実行出来ない国と、その無計画無防備な施策につけこむ銭ゲバ。良き昔を回顧する必要などないのだ。小田急デパートも要らない。

自分が快適に住む場所はほとんど無くなったな… と思う今日このごろ。まぁ未来を担う世代の理想郷にすればいいと思う。成人したくらいの年齢ならばあと60~80年程度は生きてゆかねばならないのだから。面倒をみるオスやメスも居なくなり、野生に放り出された動物のように餌を求めて数日歩く。時には他人の餌をも奪う。人類の原点にある意味戻るような… 歩く場所は何も無い平原か。

ニョキニョキと生えたオブジェは何も無い平原に等しい無味乾燥のシンボルに思われ、ニオイを嗅ぐくらいでまともに住み着く動物すら居ないという結果はかなり明らかであるような。確かなことは結果を見る前に自分がこの世とオサラバになってしまうことくらいか。満足な人生だから全く構わないのだけれど。

ただ、あの世に行ったらやっぱりとしまえんで遊び、小田急デパートで買い物をして暮らすのだろうな。そうありたい。


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