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いつのまにか、宙に浮いている人々へ。『君と宇宙を歩くために』レビュー

今回、マンガ大賞として『君と宇宙を歩くために』が選ばれた。
この作品が出た当初からめちゃくちゃ気に入ってたのでこれきっかけに書いてみることにする。


・『宇宙』に浮いている感覚。社会が遠い感覚。

まずはここで一話が無料で読めるため読んでみてほしい。
以降この一話の内容に触れていく。
一応、読んでいない人にもわかるようには書いていく。

こういう言い方だと少し失礼かもしれないが、作品の設定そのものは特に目立つものではない。普段勉強もバイトも続かずサボりがちなヤンキーの小林と、転校生の変わり者の宇野の交流を描いていく作品である。

この漫画の特筆すべきは、人間描写、心理描写の丁寧さだと思う。

宇野は自身がなかなか人との交流や学校、社会でうまくやっていけないことから、自分でノートを作ってメモしていた。細かい日常のこと、寝る前にすること朝起きたらすること、みっちりと小さなノートに書き尽くしてある。

朔「朝起きたら布団をたたむ!? 幼稚園児じゃねぇんだからさ
こーゆーの全部書いてあんの~⁉ ウケる~‼」

そのノートをクラスの朔にバカにされてしまい、取り上げられてしまう。
宇野がびっくりして逃げてしまったため、気になった小林はノートを宇野のところへ返しに行く。

そうしてその流れで宇野の家に二人は行き、そこで宇野と小林がしゃべっているシーン。

小林「宇野ってさ何でメモしてんの?それ大事なの?」
宇野「…僕は記憶することが得意なのですが 沢山のことを同時に行ったり
   臨機応変にすることが苦手です
   ~中略~
   わからないことがあるときは一人で宇宙に浮いているみたいです
   聞いても教えてもらえない時もあります
   上手にまっすぐ歩けない
   それを笑われたり怒られたりすると
   怖くて恥ずかしい気持ちになります」

皆はこういった感覚、ないだろうか。
僕はとてもわかる。
何かこう、劇的に浮いている!全然別世界にいる!というより、自分はなんだか、人と話しているうちにふわ~~っと浮いていって、もがいてもあがいても勝手にどんどん無重力空間に放り出されて行って、なすすべもなくふわふわと浮いていって、どっちが上か下かもわからなくなるような、そんな感覚がある。
宇野も、小林も、何かわかりやすい、言葉に表しやすい決定的な欠点があるかと言われると、説明が難しい。『全くしゃべれない』とか、『頭が悪い』とか、そういうわかりやすい欠点があるかというと、それで括れなくはないかもしれないが、それで括ってしまわないのがこのマンガの真髄である。

人が社会から浮いてしまう、馴染めない時、原因はわかりやすい一つが存在していて、それを解決すれば万事OK、だいたいそんな都合のいいことはない。その一つに向き合い続けていれば治る!そんな話ではない。
ひとつずつ、ひとつずつ、ちょっと難しいことがたくさんある。
ちょっとだけできないことがたくさんある。
それらのたくさんの積み重ねで、社会から浮いていってしまう。
僕が『少しずつ浮いていく』と言ったのは、そういうことだ。
地に足ついて、それとなくこなしている風に見えて、気づいたら、少しずつ、少しずつ重力を奪われ、ふわふわ~っと社会が自分の手から逃げていく。地に足のついた生活が逃げていく。
皆は大地の上を、当たり前のように歩いているのに。

この漫画は、そういう小さなひとつずつを、丁寧に拾い上げる。
そうして、ひとつずつ丁寧に解決していく。
人とは、人生とは、そういうものだ。
劇的なストーリーによって社会からつまはじきにされ、それがこれまた劇的な出来事によって社会に戻ってこれるようになる。そんなことは、漫画の中でしか起こらず、人生では、人は少しずつ少しずつ、宇宙に近づいていってしまうのだ。

・なぜ、宇宙に浮いてしまうのか

そうやって、劇的な一つの要因がわからないからこそ、自分が何故こうもうまく大地を歩けないのか、わからないからこそ、人は悩む。

『なぜ、自分は宇宙に浮いてしまうのか』

と。
そうすると、逆にわかりやすい解決策に捕まって。
わかりやすい、何かの枠組みに囚われる。
それで、全てが解決するとか、
あるいは、それのせいだと思って逃げてしまう。
自分はバカだから何もできないんだとか、
自分がキレやすいからなんだとか、
無能だからなんだとか。
自分が集中力がないからだ、とか。

これは、これらを言い訳にするなという話ではない。
それらは原因の一つではあるだろう。
ただ、『これさえ改善してしまえば何もかもうまくいく劇的なもの』ではない。そして、括ったからといって解決できるものではない。バカだから何もできない。じゃあ、そのバカを治すって、どうやって? その括り方では、わからない。なにも。知力が足りないのか、判断力が足りないのか。数学だけが苦手なのか、国語も苦手なのか。
括ってしまうことで、色んな社会から浮く原因の、細かな要素をたくさん取りこぼしてしまうのだ。括ってしまうことで、問題が見えなくなってしまう。それでも、それらをひとつずつ分解していくことはとても大変なことなので、人は括ってしまう。

それでも、我々が宇宙を歩くためには、ひとつずつ、小さなものを丁寧に拾い上げていく必要がある。分解していく必要がある。

小林「俺 バカなんだ」
~中略~
小林「小学校の頃二桁の割り算わかんなくてさ
   ムズくて 母ちゃんに言ってもあんたバカだからで終わりで
   なんか多分そのあたりから学校嫌いになったんだよな
   「バカ」って思われるのがイヤで
   マジメに授業受けるのが怖くなって
   フケって逃げてた
   その方がカッコつくかなって…」

小林は「バカだから」と問題を一括りにされて、わからなくなってしまった。自分が宇宙に浮いてしまうのがなんでか。
そうして授業や学校から逃げるようになった。
けどここで「バカなんだ」と改めて振り返っている。
小林は、宇野がノートを書くのを見て、自分も真似してみて、バイトもちょっとずつだが出来ていくようになった。
そうやって、強大な一つの怪物のように見えていた『バカ』という欠点が、少しずつ、その手が、足が、はっきりと見えるようになってきて、それらを少しずつ削っていけるようになった。

人は、ひとつずつの積み重ねで形成される。
だから、悩みも、苦悩も、色んなものの積み重ね。
悩みは、一つの大きな岩が塞がっているわけではない。
今までの経験という名の砂が、細かな砂粒が、重なって、砂の山となって塞いでいるのだ。
だから、それを取り除くのも、一つずつ、少しずつ、やっていくしかないのだ。
大きな岩を爆弾で壊すように、一撃で解決することはできない。
できないからこそ、人はストーリーにそれを求めたりする。
ゆえに、そういったストーリーは、漫画は、必要だ。

だが、逆にこの『君と宇宙を歩くために』は、そういった漫画とは一線を画し、宇宙に浮いていく人のために、真摯に向き合い、一般的な漫画では大きな岩としてしまいそうな話を、細かく砕き、その一粒一粒を丁寧に描いている。
そういう、とても繊細で、丁寧なお話だと感じた。

少しでも中身に共感できた人はぜひ読んでほしい。
改めて再掲するがここで無料で2話まで読める。

気になった人は単行本も買ってみてほしい。
ぜひ、一緒に宇宙を歩こう。みんなで。


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