これはあなたの意志ではない。スマホの意志だ。

スマートフォンはあくまでもツールなのだが、スマホのために生きてるんじゃないかと疑問に思ってしまうことがある。主客転倒、本末転倒っていうか。

朝の電車でのラッシュアワーの時間、スマホに目を落とす通勤客の視線の先を垣間見るとなんとなくそのように感じる。

満員電車で体を寄せ合い、ギスギスしながら電車にいる時間のストレスを緩和するために、スマホに集中するのだろうが、それは自分の自由意志でコンテンツをみているのかと問われると、イエスといえる人はそんなに多くないのではないかと感じる。

例えば、通勤中の、仕事をしているであろう女性だど、その視線の先に映るスマホの画面はファッション関連の画像がとても多い。オンナのファッションは、同性にナメられないための戦闘服なニュアンスもあるから、ある意味で仕事のためにそれらを閲覧しているとも言える(かな?)。

ビジネススーツに包まれた男性の場合、どちらかというとYou Tube動画を閲覧している人が多い印象がある。それも年齢が中年になるに向けて。その動画は、ビジネススーツのフォーマルさとは異なり、その人となりなり、精神世界を垣間見る事ができるコンテンツとなる(言わんとすることは、幼稚)。

これが学生だと、試験が近いこともあるのか、紙のテキストを読んでいるのが多くて、何かよくわからない事態となる。

総じて言えるのは、時間を潰すための手段としてのスマホ利用であり、それは人生の貴重な寿命の浪費となるのが悲しいところ。果たして、スマホは人間の福利を助けているのかと問われると、少し疑問なところがある。

だからといって、いまさらスマホの無い生活へは戻れないけども。

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