見出し画像

時代の終焉

かつての王者も、過去の栄光・プライドを全て失いどん底まで落ちた時がある。

過去の貯金と選手の努力で何とか徳俵で2、3年は踏ん張っていた智辯和歌山なのだが、2015年シーズンは新チーム結成後の県下新人戦決勝でライバルの市立和歌山高校に2-11と屈辱的な敗戦を喫する。秋季和歌山大会では準々決勝の高野山高校に4-5で力負け。10月末にして、早くも選抜甲子園への出場は絶望的となり、長い冬季練習がスタートしていた。

この世代の秋季シーズンの主将は野口春樹【現関西学院大学硬式野球部主将】

中学界で有名な選手であった野口は、高校では少し伸び悩んでおり、そこに主将の重圧も乗っかり、ストイックに自分をいじめ抜く物静かな彼は、責任感の強さから空回りしている様に見えた。

その主将の状態がまさにチーム状態に反映されるかのごとく、強い想いとはうらはらに秋季大会では結果を残すことができなかった。そして、このチームの現状を打破し夏の甲子園への出場を目指し、大会直後から厳しい練習内容、厳しい言葉でひたすら選手たちを追い込み、精神的にも技術的にも強くなるように指導していった。

野口主将の状態を察して、秋季大会終了後に髙嶋監督は主将の交代を命じ、高垣鋭次【現日本体育大学硬式野球部主将】が新キャプテンとして任命された。

高垣新主将で厳しい冬季練習を黙々とこなし、長い冬を乗り越えた選手たちは期待と不安の中で球春を迎える。そんな智辯和歌山を他所に、2016年選抜甲子園に和歌山から出場した市立和歌山は、甲子園1回戦で敗れたものの素晴らしい経験を積み、実力と自信を獲得、そして新たな課題が見えたことにより非常に充実していた。しかし、それは県内での話。実はこの市立和歌山の甲子園1回戦の敗退で和歌山県勢甲子園8連敗となり、近年の和歌山県全体の野球レベルの低下が著しく起こっているという課題がいよいよ深刻化してきたのであった。

一方、智辯和歌山は2016年の春季大会で接戦を勝ち抜き優勝を果たした。決して楽な戦いではなかったが成長が感じられた大会だった。市立和歌山や秋季に敗退した高野山高校との対戦はなかったものの、少し自信を取り戻した大会となった。

一度主将を離れた事によって、自分の事もチームの事も客観的に捉え、本来の姿を取り戻しつつあった野口を、髙嶋監督は春季大会後に再び主将に戻し、この世代の盤石の形に戻して挑んだ近畿大会。1回戦の京都翔英戦は、智辯和歌山の選手たちが実力を発揮する事ができ、8-1でコールド勝ちをおさめた。そして2回戦は履正社高校。大阪桐蔭高校と並び、大阪2強時代を形成し、ともに全国制覇を実現できる実力同士のライバル関係で鍛えられている全国屈指の強豪である。

結果は2-9のコールド負け。点差以上の実力差と、全国クラスとの距離感を痛感させられた。5月末にこの様な現状を突きつけられ、このような結果になることは薄々感じてはいたが、この時とてつもない危機感に襲われたことを今でも鮮明に覚えている。

昨年の甲子園を経験したメンバーもある程度残っている智辯和歌山が、ここまで苦しいチーム状況であり、当然この時期からは新チームの構成を考えながら選手起用や育成も並行して行う中で、新チームは今のチームよりも実力的に劣ってしまうという懸念も日増しに大きくなっていくのであった。

6月に入り、智辯和歌山恒例の夏前の追い込み練習がスタートした。この6月練習に僅かな希望を託し、選手たちの急激な成長にかけるしかなかった。ひたすら、体力的にも精神的にも選手たちを追い込み、夏の大会を戦い抜く力を養う為に、選手は勿論、指導者も限界まで追い込まれていくこの6月。これを38年間繰り返し続けてこられた髙嶋監督は、なるべくして日本一の監督になっているという事を、近くでいれば容易に感じられる。「日本一の練習をすれば、日本一のチームになれる」というとてつもなくシンプルな発想だが、とてつもなく的を得た発想である。あとはそれができるかどうかのところをずっとやり続けてこられた髙嶋監督だからこそ、日本一になるのは必然なのだ。

しかし、そんな髙嶋監督のロジックも近年は通用しなくなっており、原因を突き止めなければ、智辯和歌山が再び、全国トップクラスの戦いができるチームへと復活することは不可能である事も気付いていた。

2016年の6月、当然毎年のように熱く厳しく指導する日々が続く中で、少し客観的に6月を乗り越えていく智辯和歌山を見るという課題を自ら設定し、「ただ限界まで追い込む」のではなく、「どの手段で追い込むのがベストか」「どれぐらい追い込む必要があるのか」「そもそもなぜ追い込む必要があるのか」という多様な視点を持って学びながら指導にあたるようにした。

そして、例年通りの厳しい6月を乗り越えた選手達の2016年の夏が始まった。

1回戦は、新鋭校の和歌山南陵高校。スポーツに力を入れている私立学校の初めての夏。1年生集団の怖いもの知らずの伸び伸び野球に苦しめられ、7-2で無事に勝利をおさめるも不安が残る試合内容だった。2回戦の新翔高校には12-2とコールド勝ちし、次の3回戦で、早くも選抜甲子園を経験した、ライバル・市立和歌山高校との対戦となった。春の和歌山王者・智辯和歌山と秋の和歌山王者で選抜出場・市立和歌山との対戦は事実上の決勝戦といっても過言でもなく、この山場さえ乗り越えれば甲子園がぐっと近づくというのは両校とも感じていた。

結果は5-10の力負け。攻撃力はほぼ互角だったが、投手力で上回る市立和歌山に実力でねじ伏せられた試合だった。和歌山県内での勢力図は、もはや智辯和歌山一強の時代は終わり、どこが優勝するかわからない戦国時代へと近年の流れを見ると感じられ、この夏の和歌山大会で、それが雰囲気的なものではなく、はっきりとした構図へとなった。そして、市立和歌山はその後も順調に勝ち上がり、甲子園の出場を決めた。しかし、智辯和歌山を実力でねじ伏せた市立和歌山も、甲子園では1回戦で星稜高校を下すも、2回戦で日南学園に敗れる結果に終わった。その勢力図の構成要因は、和歌山県全体のレベルが上がったものではなく、智辯和歌山が和歌山県の他校のレベルまで低下していることを意味していた。

そんな甲子園での市立和歌山の試合を知ってか知らずか、智辯和歌山の新チームは負けた直後からスタートし、秋季大会・選抜甲子園への戦いはすでに始まっていた。

新チーム結成後も、例年と変わらないメニューと流れで、夏休み中の練習試合と並行して実戦経験を積みながらチーム作りをしていく中で、やはり夏前の懸念通りに明かに戦力ダウンしたチームの現状がそこにはあった。

そして、迎えた県下新人戦の準決勝では、和歌山東高校に実力差を見せつけられ0-11のコールド負けで完敗。続く秋季大会でも準決勝で高野山高校に2-11のコールド負けで完敗。何とか県3位で出場した近畿大会も、1回戦の滋賀学園高校に6-13でコールド負け。

日々の練習で自分のできる範囲で懸命にやっているつもりだが、全くチームの成果に影響をもたらす事が出来ず、試合ではベンチに入って共に選手と戦う事もできずにスタンド観戦である自分の立場と力のなさを改めて感じると共に、言い訳ばかりして責任転嫁している自分に情けなさを感じた。

滋賀学園戦の紀三井寺球場の内野スタンドから、人目をはばからず大きな声を出し続ける指導者がいる智辯和歌山の異様な光景。当時の試合を球場に来ていた方々はすぐに思い出すはずである。あの時の自分の精神状態ほど、馬鹿げていることもわかっていながら、しかし一生懸命何かと戦っているものの、どうしょうもないもどかしさが集約さている状態はないだろう。

羞恥心もプライドも全て投げ捨て、今目の前にそれぞれが全力で挑むも、智辯和歌山は無惨に散り一時代は終焉を迎えた。

そして、試合を終え智辯グラウンドに帰ってきたチームは、来春の選抜甲子園が絶望になるというショックと共に、途方もない真っ暗な未来に向け、どう進み出していいかわからずにいた。

それは髙嶋監督でさえも同じであった。いつもならどんな時でも負けた直後から厳しい練習を再開するのだが、1シーズン3回のコールド負けは、これまでの監督自身の高校野球生活を全否定されるような状況であり、髙嶋監督もまた次の一歩を踏み出す気力が失われていた。

それは1年360日10年間、監督と一緒におり、迷いながら試行錯誤を繰り返す姿を見てきた私だからこそヒシヒシと感じられ、一時代の終焉を感じたと同時に、新たな時代への幕開けと捉え、教え子として、監督の力になるということはどういう事か。OBの指導者として母校に最善の恩返しをするということはどういう事かの答えを出し、覚悟が決まった瞬間でもあった。     〜つづく〜