虹の水たまり~後編~
翌日、僕から謝ろうとタカセを待つが、奴は学校を休んで来なかった。その次の日も、次の日もタカセは来なかった。
風邪でも引いたのかと、同じ町内の奴に聞くと「あれ?知らないの?タカセの家、夜逃げしたらしいよ。」と軽い口調で教えてくれた。
夜逃げの意味がわからなったけど、逃げるという言葉から大体は想像が出来たが、家に帰ってから母に夜逃げの意味を聞くと、困ったような表情で引っ越しみたいなものだと教えてくれた。
その日の夕方、タカセの家へと自転車を走らせた。
タカセの家は小さな工場をやっていた。自宅は工場の隣にある。
玄関で呼んでも、工場を覗いても人の気配はなかった。本当に何処かに行ってしまったと頭では理解したのに、心が納得しない。
「泣く寸前」
「勝負ついてんじゃん」
「お前とはもう喧嘩出来んわ」
あの日、タカセが最後に言った言葉が蘇る。
なんだか、勝ち逃げされたみたいで悔しさが湧き上がったと同時に「お前とはもう喧嘩出来んわ」の「もう」という部分が心に引っかかった。
もしかしたら、あれは奴なりの別れの挨拶だったのかとも思えて、なんだか、悔しさとは違う、胸のざわつきだけが残った。
うつ向き、見るともなく見ると小さな水溜りがあった。水面には工場の油だろうか、虹色の膜が張っていた。
悔しさにも悲しみにもまとまらない、釈然としない気持ちが込み上げ、虹色の膜がかかる水溜りをおもいっきり踏みつけた。
靴とズボンの裾(すそ)が濡れるだけで、虹色の膜はゆらゆら乱れるけど消えることはなかった。
唇を噛み締め、逃げるように自転車に飛び乗り、必死でペダルを漕いだ。汗も拭かずに漕ぎ続けた。
汗が目にしみて、チカチカして痛いような、熱いような。
炎が燃え上がるようなオレンジ色の西の空が、揺れた。
目元を手で何度拭っても、沈む夕陽は濡れて揺れた。
……………………………
何故、奴のことを突然思い出したのか自分でもわからない。会いたい理由もないし、衝動的に会いたくなったわけでもない。
張りと艶をなくした頬を手で軽く撫でながら、見るともなく見ていた水溜りをそっと踏んでみた。
虹色の膜はまるで思い出のように、ゆらゆら乱れはするけど、消えることはなかった。
『お前は今どこで、何やってんだ?っていうか、生きてるか?お互いおっさんになったから、偶然、街ですれ違っても分からないだろうな。』
息を吐き、苦笑いした。柄にもないことを思った自分が、何だか恥ずかしい。
感傷的になってる自分をからかうように、「パチンコも人生も負け続きで、今では俺が夜逃げ寸前だよ。」と心の中で呟くと、緩みかけた頬を隠すように、また軽く頬を撫ぜた。
凝り固まった背筋を伸ばしてから車に乗り込みエンジンをかける。赤いペンキが所々剥がれ落ちて茶色いサビがマダラ模様に見えるアーチ状の出口ゲートをくぐり抜け、道路に出る手前で一旦停止した。
車の切れ間を待ちながら視線を空に向けると、雲が夕陽を浴びて紅く染まり、西の空は炎が燃え上がるようなオレンジ色に染まっていた。
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