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No rain,No rainbow.(前編)

永遠に降りつづく雨はない。しかし、人は一度も雨に遭わずに生きていけるわけでもない。




(『その次の雨の日のために』より)



…………………………



2011年6月13日 午前1時



「もう、最低!!悪いことばっかして!!」子供を叱るように彼女が俺を叱りつけた。





夜中に突然甘いジュースが飲みたいと彼女が言い出した。俺は甘いものが苦手だから、当然、甘いジュースの買い置きなんてものはない。



仕方なく、歩いて5分程の所にある自動販売機に2人で買いに行くことになった。



田んぼに挟まれた細い道、カエルの合唱を聞くともなく聞いて自動販売機に向かう途中に悪戯心で彼女の方を向き くしゃみをしたら、子供を叱るように彼女に叱られた。




自動販売機から缶ジュースを取り出し彼女に手渡すと、申し訳なさを笑みで隠すような微笑みを浮かべ、ぽつりと言った。




「ありがとう。でも、あかんね。わがままばかり言って、あなたに甘え過ぎやね。」




『甘え過ぎ』、自分をたしなめるように彼女がよく言う言葉だ。




とかく、人に甘え寄りかかることを世間では弱さや傷の舐め合いだと非難されることが多いけど、それは時と場合によると思う。



無条件で甘えさせてくれる人の存在は人を駄目にすることもあるけど、安らぎや勇気を与えられることもある。




………………………………




二人で居て感じる寂しさは、ときに独り身で感じる寂しさよりも遥かにつらいものだ。形式上は夫婦であっても、心の距離がすっかり離れてしまっている夫婦は珍しくない。




俺の彼女も、その一人。戸籍上は既婚者で子供もいる。しかし、事情があり子供と一緒には居れなかった。



どこから話せばいいか分からないけど、簡単に言えば、肉体的暴力、DV(ドメスティック・バイオレンス)や精神的虐待とも言われるDV(モラル・ハラスメント)に耐えず家を出た。




浮気を繰り返す旦那の理不尽な言い訳を聞き、都合のいい常識を押し付けられ、最終的にはキレられ殴られる。



ただ機嫌が悪いという理由で引きずり回され、顔に青タンを作る日も多々あった。




自分より弱いものを常に確認していたいのか、自分の思い通りにならないことへの恐れが暴力という形で現れるのか…。



どちらにせよ、想像力に欠ける憐れな男だ。




そんな旦那にどんなことをされようと子供の為に耐え、胸の底に重石(おもし)が沈んだような日々が数年続いた、ある日、子供に言われる。




「ママ、逃げな。このままだと、ママ死んじゃうよ。」



この言葉で心が大きく揺らいだ。しかし、逃げるなら子供は連れていけない。



母親が子供を置いていくということが、どれ程、辛いことか…。



苦汁の決断だった。その日、気づけば靴すら履かず、何も持たず家を飛び出した。




その後、旦那は心を入れ換え やり直したいと口先では言うものの全く熱意がなく、寧(むし)ろ、自分の体裁やプライドを守りたいだけの言動に感じとれた。




その証拠に自分の思い通りの答えが返ってこないと、彼女の仕事場に乗り込んで騒いだり、仕事帰りを待ち伏せ暴力をふるった。それは、いつ鳴り響くかわからない空襲警報に怯えるような生活だった。




いっそうのこと仕事を捨て、身を隠したかったが逃げ込む実家も親も無いし、お金どころか着替える服も何も持たず逃げてきた上、仕事まで無くしてしまったら…。




雨が降るたびにじくじく疼(うず)く古傷みたいに、旦那はいつまでもしつこく彼女を苦しめ続けた。




そんな生活に疲れた彼女は次第に塞き止められた水がゆっくり腐っていくように、生きる気力を失っていった…。





そんなとき、俺と彼女は出会った。

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