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「君たちはどう生きるか」に見る、トイレと鳥の糞の考察 ※ネタバレ含む

「君たちはどう生きるか」を観た。

個人的には「おお、宮崎駿、やりおったな」と思う内容だった。
ネタバレを大いに含むため、以下の内容は映画を観た人とだけ共有したい。


私が強烈に印象に残ったのは「トイレ、排泄物」の存在感。
眞人がトイレに行くシーンが、今作ではなんと2回も出てくる。
私の記憶では、ジブリ映画で登場人物らがトイレで用を足そうとするシーン自体、かなり珍しい。

なんとなく、この便所というのが「人間の(今作では眞人の)内にあるどす黒いものを吐き捨てる場所」のような比喩を孕んでいる気がした。

眞人が己の悪意を自覚したからこそ、清らかな心を持つ世界と眞人が結ばれ、便所で木刀が音を立てて崩れることで異変を知らせる。
「あちら」の世界ではキミコの家の庭にある便所に行ったことがきっかけとなり、ワラワラ達の旅立ちの月光に照らされる。
人間として生まれるはずのワラワラを無情にも食い荒らしたペリカンの老鳥は翼が折れ、酷いことをしていることを認めながら「自分たちもまたこの世界の被害者である」というようなことを話し、便所の片隅で息絶える。

余談だが、このペリカン達も家や財産を奪われ翻弄された人間の姿なのではないかと思っている。

また、塔から現実へと飛び出してきたインコの糞が、父親・夏子&眞人へとそれぞれ降り注いだ場面もあった。

私はふとライフ・イズ・ビューティフルを思い出していた。

医者が主人公に戦争を悲観していることを遠回しに伝えるシーン。
「クイズをしよう。歩きながら糞をボタボタ、煩い声でガーガー、これは何だ。『子ガモ』…だろう?私はこのことを考えると夜も眠れん」と言いながら涙を流す医師は、機関に命じられる身でありながら自身もまた機関に盗聴されていた。

増えすぎてエゴイズムに満ちたインコ達は、こちらの世界で言う私達人間の姿。
そして、鳥の糞は人間が撒き散らす爆弾、つまり塔の内外で繰り広げられる不思議な出来事のほとんどは、戦争とそれに随伴する人間の生のメタファーなのではないかと思った。

夏子たちを探しに来た父親は、おびただしい数のインコにただただ不快を示し、日本刀で切り刻もうとする。
あちらの世界から戻ってきた夏子は、顔や髪に糞が付くのも気にせず「可愛い」と愛でる。

この世で戦争をきっかけに大儲けしている者は、敵との争いに果敢に立ち向かい倒そうと試みる。
あちらの世界と繋がっている者は、敵に爆弾を落とされても安寧を願い人を愛し生きようとする。
どちらが正しいとか良いとかではなく、ただただ夫婦の対比が鮮やかに描かれていた。

王にお供した二羽のセキセイインコたちが「天国だ…」と呟いて涙するシーンでは、凶暴で利己的な彼らもまたペリカン同様に「何者か(おそらくは石の力)によって連れてこられ、どうにか必死に生きてきた」被害者なのだと知る。
セキセイインコの原産地はオーストラリア。そこには非常に鮮やかな森林が存在するのだろう。キラキラと生物たちが舞う。
兵隊インコの魂を揺さぶるのは、気高い王に統率された世界ではなく、自分たちが進化を遂げてきたオーストラリアの密林、生まれ故郷の風景だというのも切なさを煽る。
だってインコ達は、自分の祖先が生まれたはずの地を「天国(死んだら行ける所)」と表現しているのだから。


全編を通して、宮崎駿がスクリーンの向こうから「君たちはこんなにも薄汚い現在(いま)を、ハッピーエンドではないかもしれない未来を、どのように生きるつもりなのか?」と問いかけてくるような、心のファスナーの内側を見せてみろと言われているような、そんな作品だった。




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