えぬのみんなへ(今思っていることなど)

はじめに断っておくと、この文章に、誰か特定の人を非難したり、逆に擁護したりする意図は一切ない。その上でお読みいただけるとありがたい。

こんなことを不特定多数の人が見られるような場所で書くことではないとは思うが、自分の気持ちの整理を含めて、今の感情を言葉にしてみようかなと思う。(削除依頼があればすぐに消します)

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ついさっき、ビッグバンドを引退した。

正直、「終わりたくなかった…」という気持ちと「ようやく終わった…」という気持ちが同居している。もう終わったことなのだから、きれいさっぱり区切りをつけてもいいはずなのに、なんでこんな文章を書いているのか。自分でもよくわからないけれど、今思っていることをちょっとだけ深掘ってみようと思う。

BADのきっかけはなんだったのか

学バン生活の最後の半年くらいは、ずっとBADに入っていたように思う。具体的に言うと、ステラが終わった後の対バン(はまち)くらいまではなんとかこなせていたけど、正直、それ以降は楽しい瞬間よりつらい日々の方が多かったかな。ステラでは指揮なんかやらせてもらったり、ハイメンとか結構(個人的には)よくやってたな、と振り返って思う。

転機はSPFなのかな、やっぱり。その辺りから、自分がジュニアの活動に貢献できている感覚がなくなってきて、なんなら足手まといなのではないかと思うようになってしまった。SPFなんていうのは、みんなキャパオーバーで精神が壊滅するわけわからんイベントだったけど、その時の病みを今になるまで引きずって、さらに日に日に増大させてしまったのが僕の現状なのだろうと思う。

ビッグバンドに僕の居場所はなかった

端的に言えば、僕は、ピアノの某先輩・Y氏やM氏(すべて苗字)の足元にも及ばなかったし、ピアノの某C年の後輩・N氏やM氏(すべて苗字)みたいな基礎力とか練習の熱意みたいなものを持ち合わせていなかった。(こんな自分の性格は大嫌いだけど)自分より優れている人間を何人も間近で見るのがしんどかった。理想を言えば、後輩であっても自分より格上の人間から学んで吸収して、成長につなげればいいだけの話だ。が、僕にはそれができなかった。そのことが全部自己嫌悪につながって、負のスパイラルにどんどんはまっていった。もともとの自分のスキルは変わっていない(むしろ少しづつ向上していた)はずなのに、すごく劣等感をおぼえてしまった。

ピアノという鍵盤楽器は、幼少期から習って身につく「基礎体力」みたいなものがかなり重要だと思う。僕も5歳からピアノはやっていたが、コンクールみたいなものに出たことは1度もないし、正直そんなにのめり込むほど練習した記憶は無い。そういう今まで20年間の積み重ねみたいなものを「絶対に越えられない壁」のように感じてしまった。ピアノは「楽器の王様」と呼ばれるだけあって、ビッグバンドにおいてはとにかく自由度が高い。だからこそ個人の技術力による部分がデカすぎる。なおかつ、1曲のなかで基本的に1人しか乗ることができない。同じ楽器を演奏する「同士」と思えず「ライバル」とか「敵」みたいな気持ちになっていたのは、ぶっちゃけ事実である。

そういえば、えぬのピアニストは企画バンドとかで活動してる人も多かったよな。学バン界隈は多少、個人事業主みたいなところがあると思う。自分の持っているスキルによって、コネクションをつくっていき、他のバンドの人たちと交流したり、企画バンドをつくったりする。僕にはそれはできなかった。良くも悪くもスタープレイヤーが集まっていたんだな(盲目的に崇拝するのも違うとは思うが)。どう足掻いても僕の居場所なんて最初から存在しなかったのだ、と自分を納得させてみたりする。

リサイタルの終わった直後に、周りのみんなは「来年どうする」だとか「企画バンドの話」だとか「どこどこのトラとかオーディションで忙しいみたいな話」だとかで盛り上がっているのは、実はかなりメンタルに来たな。やっぱり僕はどこからも必要とされないのだな、とまたもや落ち込んでしまうよ。

話を戻そうか。つまり、あらゆる意味で僕は半年間ずっとコンプレックスを抱えてしまっていたのである。

夢を持つことって、現実を見た時につらくなるだけなんですかね

そんな頃自分は、この窮地を打破する方法を考えた。

「自分の技術力を上げて来年レギュラーに乗れば報われるのでは?」

なかなか難度の高い話ではあったが、叶えたい僕の「夢」になった。多少時系列は前後するが、夏休みの終わりにレギュラーに乗せかえでお邪魔したり、レギュラーの本番を(えぬに限らず)聞きに行ったり、色々自分なりに勉強した。自分のビッグバンド史におけるいわば「修行編」で、なんだかんだこの時期(11~12月くらい?)に学べたものは多かったかなと思う。

が、結果から言えばオーディションには落ちた。当然、実力不足だ。(オーディションについて思うところが0かというとそれは嘘になるが。) 試験課題が提示されてから、正直言って本気になることができなかった。

そもそも「博打に勝って逆転すればすべてが解決するかも」と思ってしまったのが、運の尽きというか。暗黒面に落ちている時期に「逆転思考」になっても、状況は改善するどころかどんどん悪化する。

そして、11-12月くらいからジュニアの活動に熱を入れなくなってしまった。「逆転のためには馴れ合いを犠牲にしなきゃ」だとか「ジュニアで学べることなんてたかが知れてる、効率が悪い」だとか、そんなことを考えていたのかな。この選択は本当に後悔している。もっとみんなとの時間を大切にすればよかった。

同時に、僕は悟ってしまったのだ。
「ああ、自分って努力ができないんだな。」

努力ができない人間

思えば、これまでに「努力らしい努力」ってしたことがあるのだろうか。僕の思う「努力」というものは、他の人から見ると「ただ滑稽なだけ」なのではないのだろうか。努力したとて、他の人よりも成長の傾きがなだらかすぎるような気がして、意味を感じられなくなってしまった。自分は努力するだけ無駄なんだな、という無力感を学習してしまった。

今まで気づいていなかったわけではない。受験も失敗したから浪人も経験したわけだし、努力によってADHD的なアレが改善するには限界がある。

僕はやっぱり、これまでの人生で「勝ってきた」経験があまりに乏しい。ずっと「負け癖」がついている。「挫折した人間は強い」みたいに言うけれど、「挫折した経験は次なる挫折につながり負け癖がついていく」というのがこの世の真理だと思う。

「居場所なんて自分で見つけるんだよ」← その通りである。居場所を自分で作るために自分自身を磨く、それができればいいだけなんだろうな。だけど、成功体験が皆無(に思えてしまう)から、努力も無駄に思えるし、そもそも努力のしかたを改善することもサボってしまう。あらゆる側面で、もはや向上心みたいなものを持ち合わせていなかった。本当にダメになってしまった。率直に言って、体力(HP)ゲージも気力(MP)ゲージも枯渇している状態だった。

“できない奴”というレッテル貼りをするな

「逆転したい!」とは常に思っていたが、SPFくらいから「自分の身の程」みたいなこともだいぶ気にするようになってしまった。「後輩の方が上手いから、俺はどうせ…」みたいな卑屈な発言も増えていった。ステラ前くらいから薄々感じてはいたことだったんだろうけど、これを何度も何度も言葉にしてしまったことでその考えが増幅されどんどん精神が蝕まれていった。

さらに言えば、何度も言うことで、サークル全体にも「そういうムード」ができあがってしまった。フューチャー曲も全部投げてしまったしね。全員が全員、ジャズピアノに対する審美眼を持っているわけではないし、そういう発言をしなかったら誤魔化せていたかもしれないのに…。とはいえ、その場合はその場合で、自分の気持ちに嘘をつくことになっていただろうから、つらくもあったのかな。

先輩・同期・後輩には本当に恵まれた

何度も言うけれど、誰かを非難したりするつもりも権利もこの文章には毛頭ない。むしろ、人間関係だけは本当に恵まれたよ、と思っている。えぬの人たちは、みんな優しい。久しぶりにえぬに行ったりすると「ばるす!」と笑顔で声をかけてくれたり、僕が落ち込んでると心配のLINEをくれたり、その度に感動して誇張なしで泣きそうになった。本当にありがとうございます。

「自分に居場所がなかった」なんて悲しいことを言ってしまっているけれど、「居場所を自分で狭めてしまった」という部分も大きいよなあ。そういう意味では後悔してもしきれない。ステラの後からの半年を丸ごとやり直したいような気持ちです。

後悔で言うと、同期・後輩のなかでもっと仲良くなりたかった人が何人もいる。自分はコミュニケーション能力も雑談力も高くないので、引退を機に人間関係を総リセットする傾向にあるんですよ。

リサイの練習も病んでばっかりで限界を迎えていたから、ずっと1人で居てしまったし、仕事もろくに活躍できなかった。正直羨ましそうにみんなの姿を見ていたよ。(その輪に入るのは現実的に厳しかったけど、羨ましかったのは事実。)

つらいよ、えぬのみんなから離れたくない…。笑いながら他愛もない話ができる関係でありたかったよ…。楽器の上手い/下手とか、練習がある/ないとか、そういうの関係なく、本当にこれからも仲良くしてほしい。メンヘラみたいなこと言うけど、僕を1人にしないでください…。

より自分らしく輝けたifの世界を考えてしまうよ

あの時どうしていれば、もっと学バン生活、ひいては大学生活を、健康で前向きに過ごせていたんだろう、と最近よく思う。

オーディションで負けたあと吹っ切れて楽しめていれば、「努力」の仕方をちゃんと知っていれば、コンプレックスを理由に先輩後輩に引け目を感じなければ、レギュラーなんて目指さなければ、コンテンポラリーにハマらなければ、人数不足故にレギュラーに勧誘された時に快諾しておけば、C年の頃から学バンに友達をたくさん作っておけば、ピアノなんていう楽器を選択していなければ、そもそもビッグバンドに入っていなければ、入る大学が違っていれば…………

もっと自分らしく音楽ができたifの世界線ってあったのかな…。でも、自分が生きてきた実際の歴史全部を否定したくはない。いつかこの日々を自分が認めて、肯定できるようになるのかな…。

この世で生きていくにはどうすればいいんだ

若干ビッグバンドから逸れる話も含むが、11月から2月までの間に、アルバイトをクビになったり、恋愛関係で色々あったり( “恋愛” の軸が入ると一気に人間関係がややこしくなるよね )、留年の可能性がちらつき始めたり、親とも上手くいかなくなったり、企画バンとか他バンとかに挑戦しようとするも結局失敗したり、そもそも遅刻が多かったり他人との約束を守れなかったり、さまざまなことがあった。その全部が僕のもともと低い自己肯定感をさらに下げ、「この世で生きていく価値がない」と思うにまで至ってしまった。

中学生くらいのときからぼんやり「将来生きるのに苦労するだろうな」とは思っていたが、ここまで大変だとは思わなかった。大学生でこのザマなのだから、この世でこれから生きていける気が本当にしない。別に今すぐに死にたいとは思わないし、死ぬ勇気もないけれど、心の底から「俺がこの世でこれから生きていくにはどうすればいいんだ!」と叫んでいる。

すみませんでした、そして、ありがとうございました

この文章が僕の気持ちのすべてを言い表しているわけではないけど、だいたいこんなことを日々考えていました。劣等感とかコンプレックスが自分を呪いつづけて、こんな結末になってしまいました。

こんなこと言っても信じてもらえないかもしれないが、僕はやっぱりビッグバンドというものがいまだに好きだし、えぬにバカデカい愛情がある。メンバーひとりひとりに本当にお世話になったので、最高レベルで感謝している。ありがとう。

だからこそ、こんな精神状態で引退をむかえてしまって、本当に申し訳ない。僕が凹んでいることによって、全体の士気にも多少影響を及ぼしていたかと思うと、謝罪の気持ちでいっぱいだ。

最後の演奏、MonthもTime Checkも全曲とても楽しかったよ…。いつまでも曲が終わってほしくなかった…。つらいことも多かったけど、やっぱりえぬに居れてよかったなと思ったよ…。

先程も書いたけど、もう少し精神状態が改善して僕に笑顔が戻ってきたら、ぜひぜひ仲良くして欲しいです。これはガチの本音です。みんなほんとに大好きだよ…。

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長文・駄文にお付き合い頂きましてありがとうございました。

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