ジュゴンの見える丘
27歳は、なんかいそがしかった。
こころをこめることをだいじにしたかったせいで、もしかしたら、1か月が1年分ぐらいの濃厚さだったり。した。
この1年で、すっかり変わりました。
帰るはずだった場所は、昔いた場所になったり。しました。
すぎていくじかんのはやさは、いっしょにいるひとや場所によって、ぜんぜん変わってくる。
どういう速度ならじぶんのリズムをたもてるのか、
どんな空気のなかでならちからをぬいて 深く息をすえて、だれの声をきいたら しあわせを想うのか、
なにがじぶんをきもちよくさせてくれるのかを いっぱい考えたせいで、
なくしたものやあたらしく出会えなかったものは、きっと多かった。
これくらいのしあわせでじゅうぶんだと思えたものを、一気に失って。
迷子になって、まぎらわすために、これ以上の隙間もないくらいに、いろんなことにちからを込めてみた。
じかんもあたまも、もう、ぎゅうぎゅうづめだった。
いそがしい いそがしい 目がまわりそうななかで、無理やり 沖縄にいきました。
もっといろんなじゅんびをしながら、待ち遠しくなったり、たのしみにして飛ぶ予定だったのに、
バックパックひとつで、まるで家出みたいにばたばたと飛び出すことになって、あいかわらずで笑えました。
撮ってもらったじぶんの写真をみて、あんなにちからのぬけたかおで笑うんだって、驚いた。
まいにち、力みすぎてた。
じぶんの近しいひとたちに、暗いとか影があるとか言われて、はっとしたのも最近でした。
ひろい空と海の青のパワー、風がとおる音、草と草がかすれる音。
じぶんが中心になんて到底なれるはずもない、すこし寄り添うことですら とてもむずかしい、圧倒的なもののなか。
ここににあうのは、自然のリズムだけ。
きこえてくる音のじゃまにならないように、ちいさく うたってみた。
それが、いちばんしあわせでした。
じぶんのなかの毒素をぬいてくれる、いちばんの方法は、もうずっと変わっていなかった。
うたう声があってよかった。ひとりよがりな、じぶんのためだけのうた。
まいにちは、とてもしあわせで。
できることや、知っていることが積み重なっていく日々がとてもたのしい。
いろいろ想うけれど、いつだって正直に。
またひとつ歳を重ねるまえに。
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