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月に 負け犬
いちばん どんなじぶんでいたいのか、
なにが優先したいことなのか、
さいきんは、前よりもよくそれをかんがえます。
そのせいか、出会うものに いつも以上に敏感で。なにかメッセージがあって、それが目の前にやってきたようなきもちがしてしまう。
いい食材と優れた技術だけでは、美味しいパンは生まれないこと。
そのあいだに、どれだけの意識を注ぎこめるか。膨大な時間と根気。
食べた瞬間わかる げんきがでる味のひみつは、きっとそこにあります。
ここのパンがほかより値がはろうが、満足させられてしまうのも。
それなりのもの で満足できるなら、誰だって、なんにだってなれる。
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どんどん、こわくなってきています。
お金を稼ぐ、そのことを、すきなことでやれるようにするための努力は、たぶん ずっとつづいて、おわりがない。
ひとりでやってると、認めてくれたりほめてくれたり、もういいよって区切りをつけてくれたりするひとも、いない。
さきがみえないから、いつまでがんばることになるんだろうって、ふとしたとき、とてもこわくなります。
ぜんぶ、じぶん次第で、じぶんの責任。
だけど、そのちいさな生業の連続が、仕事になれば、、って考えずにはいられない。
「ゆっくり はたらいて、ゆっくり生活したい。」
スウェーデンから帰ってきたわたしから、でてきたことばです。
今だからこそ きちんといえるその意味は、怠けたいわけでも、責任をおいたくないわけでも、ない。
こころをこめる を、じぶんは、それなりの じかん をかけてやりたいんだということ。
すこしでもいい結果をうむのなら、かけるじかんや手間ひまを、惜しみたくはないんだということ。
そのために寝るじかんを削ったりすることは、なんの苦もないです。
こころをこめたいことを仕事にするならば、そのこと、その価値をわかってくれるひとを相手にしないと、きっと、なりたたない。
そして、そうでない場合に認められないのは、じぶんの力がたりないから以外、言い訳ができない。
そういう世界に憧れがあって、そこにいきたいのかなとは思うけれど、やっぱり びびってます。
いままでやってきたすきなこと、ひとつひとつ、欲張って抱えてどこまでいけるのか。
すきなことをやる には、こころがこもる。
こころをこめる には、じかん が必要。
そのうえ、すきなことでお金をもらうには、相応な 努力がいる。
だから、覚悟がいる。
いろんなひとのおはなしが、ききたいです。
会いたいなって思ってくれる人、連絡をくれる人を、とてもたいせつにおもいます。
だから、わたしも、会いたい人には会いに行きます。
うたうときがいちばん、こころがこもると言ったら、うたって って言ってくれた。
とってもうれしかったです。
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