薔薇の木にどんな花咲く? 第4回(Webマガジン『ヒビレポ』2013年7月25日号掲載)

こないだBSジャパン(テレビ東京の衛星チャンネル)の大竹まこと氏の番組にちょこっとコメント出演したんですが、僕の出たコーナーのテーマは、
「最近、新宿二丁目からゲイ客が減っているらしいが、その理由は!?」
というものでした。

そしたらシンクロニシティでもないんでしょうが、オンエア直後に参加したゲイ&レズビアンのワークショップの席で、おなじ話題がとびだしたんですヨ。そこに集った彼ら彼女らは、

「頭の悪そうな女連れサラリーマンがキャバクラ感覚で騒いだり、馴れ馴れしくカラんできたりしてウザい!」

「男にまともに相手にされなさそうなイタい女が泥酔しながら、わがもの顔でのさばっていてムカつく!」


等々の不満を口にし、「だから以前のように行く気がしなくなったのだ」と云うのです。
要約すると、「最近の二丁目はマナーを心得ないノンケ(=異性愛者)の客がどんどん増えつつあって、店側もそれを黙認しちゃっている」というわけであります。

僕が出させてもらった番組でも、二丁目から遠ざかるゲイが増えている大きな理由として、
「看板に大々的に『ノンケ男女歓迎!』なんて掲げるようなゲイ・バアが多くなって、当事者同士でマッタリ過ごせる店が減った」
というのを挙げていましたが、そういう店が急増している背景には、バブル崩壊後の「出口の見えない不況」があります。
景気の良かった時代には、たいていの人間が馴染みの店を一晩に2軒、3軒とハシゴして、そういう“回遊客”によって新宿二丁目全体にお金がまわっていました。1人あたりの単価はたいしたことがなくても、回転率の良さで各店の商売が成り立っていくのです。
だからゲイ・バア稼業は長いこと、「贅沢はできないが、食ってはいける商売」と云われてきたのです。

ところがバブルがはじけて以降、そうしたスタイルにもほころびが生じはじめました。以前のようにハシゴ酒はせず、「いちばん馴染みの1軒だけで済ましてしまう」タイプのお客が多くなったのです。結果、「特定少数の有名店にはお客が集まるが、それ以外では閑古鳥が鳴く」という“二極化現象”も起こりだしました。
回遊客が多かった時代には、店から店へ移動する人たちで深夜でも二丁目の路上はにぎやかでしたが、“1軒呑み”で完結するお客が多くなった今日ではそうした活況も“今は昔”です。

そんなキビシー状況下で、有名店以外のゲイバアが生き残る方法は、もう「本来のお客(=ゲイ・レズビアンの当事者)ではない層を呼び込む」以外にありません。
幸いなことに、非異性愛の世界に好奇心をソソられる好事家はいつの世でも一定数存在しますし、昨今は“おねェブーム”というヤツで、テレビメディアに踊らされた、
「きゃ〜〜〜〜ッ、ナマのオカマを見てみたァ〜〜いッッ」
というミーハー女性はコンテナに詰めて海外輸出できそうな位いますから。
そのテの女性は「オカマにくっつく」というダジャレで“おこげ”なんぞと呼ばれていますが、社会ではソレナリの地位にあって裕福だったりする人が少なくない。だから金ばなれも良くて、経営難にある店側にとっては「いまどき貴重な太い客」なわけですネ。

先に述べた「当事者のお客が集まる特定少数の有名店」は、確かに“正統派のゲイバア”ではあるかも知れませんが、必ずしも潤っているとは限りません。
「子どもがいない同性愛者は可処分所得が高いのでリッチである」
という、一見もっともらしいマーケティング論を口にする識者もいますが、現実の彼ら彼女らの中には生活困窮者も少なくありませんので(まァ、僕の周囲だけかもしれませんけどネ)。
だから「当事者よりも非当事者でにぎわうゲイバア」というのは、云うなれば「試合に負けて勝負に勝った店」のかも知れません。

回遊客についてもうちょっと解説しときましょう。
バブル前夜の80年代なかばには、「ナンパした若い子を引き連れてバアを何軒もまわる」ような太っ腹なゲイたちがザラにいました。
若い子にしてみれば、「最初の1杯だけ自腹で飲んでいれば誰かしら声をかけてきて、あとは相手のオゴリで豪遊できる」わけですから、そうしたお大尽たちはじつにアリガタイ存在だったわけです(えェ、お察しのとおり、僕もそうしたタカり小僧の一員でしたヨ。はいゴメンナサイ反省してます)。

若い子をナンパした側というのは、相手に“行きつけのバアを何軒ももったイキな遊び人”と印象づけるべく、けっこう高くて面白い店に案内したりします。
僕が連れていってもらった中で最も印象的だったのは『(金)多磨霊園』という店で、「まるきんたまれいえん」と読みます。店名から想像がつくかと思いますが、そこは店員サンたちが“WAHAHA本舗”も顔負けのお下劣サービスを提供するコミック系のバアでした。けれどスタッフはいずれもイケメン揃いで、見た目と行状のギャップが売りだったのかも知れません。
……と、次のブロックは思いっきり下ネタですので、そーゆーのが苦手な方はとばしてくださいませ。

カウンターに座るや、僕をナンパしたアニキは、なぜだかニヤニヤしながら2人分の水割りをオーダーし、それを受けたスタッフはそそくさと準備をはじめました。
グラスにウイスキーを注ぎ、水で割って……と、そこまでは万国共通の作り方なんですが、その次の工程がこの店独自なのでした。他店であれば、酒は“マドラー”を使ってかきまぜますが、そこではなんと下半身の“ナニ”を使って、こう、クルクルクルッとやらかすわけですヨ。
まだウブな(でもなかったかな?)10代だった僕は、「すっげェ世界だなァ〜」と感心したモンでした(ちょっと前にバラエティ番組で観たのですが、爆笑問題の事務所社長で太田光夫人でもある光代氏も昔、あのお店に行ったことがあるんだとか!)。
ちなみに僕がその水割りを呑んだか否かは……答えは墓場まで持っていきますのでお答えいたしかねます。

――はい! 下ネタゾーンはぶじ通り過ぎましたゼ。
話は「当事者離れが続く2013年の新宿二丁目」に戻りますが、そうした流れはもはや止められないだろうと個人的には思っています。

これは以前、とある週刊誌のインタビューで語ったことなのですが、まだ「お仲間たちの秘密の花園」だった時代のあの街は“迷える同性愛者のシェルター”的役割を果たしていましたが、いまでは「二丁目族のための街」へと変貌しています。ここで云う“二丁目族”というのは同性愛者・異性愛者の別を問わない「あの街に居心地の良さをおぼえる人間たち」の総称です。

都内には新宿二丁目以外にもいくつかの“ゲイ・バア密集地帯”がありますが、いずれも外部メディアの取材を基本的に受けつけません。
それに似た話を以前、上野の出版社に勤める友人から聞きました。あの界隈にもコリアン街があるのですが、そちらは“新大久保”とは対照的に、昨今の韓流ブームとは一切交わらないのだそうです。
たぶん、メジャー化することのメリット(=お客がワッと来ておアシをどんどん落していく)と、デメリット(=目立つがゆえに嫉妬されたり、プライベートまで土足で踏み荒らされたりする)とを天秤にかけ、あえてブームとは一線を画す道を選んだのでしょうネ。

何十年間もメディア露出を続け、ソレナリの恩恵も受けてきた新宿二丁目は、いまさら他のゲイバア街のような“知る人ぞ知る存在”に戻ることはできません。また、ゲイバアができはじめた当時(昭和30年代)には “大都会の秘境”だったあの一帯も、いまでは交通至便な“都内屈指の一等地”です。
そうした現実のなかで新宿二丁目がこれからどのような変化を遂げるのか——果たしてこの先もゲイ・バア街でありつづけられるのか——は、神ならぬ身には知る由もありません。
でもまァ、たとえいかなる結果になろうとも、僕はただ「観て、感じたことを記していく」だけの話なんですけどネ。

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