薔薇の木にどんな花咲く? 第9回(Webマガジン『ヒビレポ』2013年8月29日号掲載)

第一期『薔薇族』(1971〜2004)の屋台骨を支えていた二大コンテンツのひとつが〈文通回送コーナー〉でした(残るひとつは、もちろんヌードグラビアです)。
それは『薔薇族』のみならず、ゲイマガジン界全体の目玉コンテンツであり、「アレがあったからこそ市場が確立できて発展も遂げられた」といっても過言ではありません。
文通回送じたいはゲイマガジン特有のものではなく、他ジャンルのマニア誌でも取り入れられていたシステムなのでご存知の方もおられるでしょうが、まったく知らないマジメな方のためにざっと解説しておきましょう。

『薔薇族』おけるそのコーナーは〈薔薇通信〉と呼ばれていました。
「回送番号」「居住地」「ニックネーム」「年齢✖身長✖体重」そして「求める相手への心をこめたメッセージ」が簡潔に記された投稿文が、都道府県別にビッシリ掲載されているのです。
その数は1ページに15件ほどで、最盛期(90年代半ば)にはなんと毎号1000件以上も載せられていたのだからビックリです。

恋人や友人を求めている読者は、自分の居住エリアから発信されたメッセージをじっくり吟味し、ビビッとくるものがあれば投稿の主へむけて自己アピールレターを書くのです。
つつがなく書き上げたら、雑誌に付いている〈回送チケット〉に逢いたい相手の掲載番号を記して手紙を入れた封筒に貼り、それをさらにひとまわり大きな編集部宛封筒に入れてポストに投函します。
それを受け取った編集部は、書かれている掲載番号の投稿者の宛名を手紙に記して回送するのです。

昔の一般雑誌の文通コーナーを見ると、投稿者の住所・氏名がそのまんま載せられていて驚かされますが、それは僕が〈個人情報保護〉という概念が一般化した現代に暮す者だからであります。
良く云えば「性善説にのっとっていた」、悪く云えば「大雑把だった」昭和期の雑誌には、「○○先生に励ましのお便りを!」みたいな感じで、人気作家の住所がフツーに明記されていたのです。

とはいえ、それはあくまで一般誌のばあい。
同性愛に対するタブー感が今より数百倍(?)も強かった当時、自身の氏素性を誌面に載せられる豪傑なんているわけがありません。
だから「編集部が回送してくれる」という薔薇通信は爆発的にヒットしたのです。
『薔薇族』では当初、初代編集長だった伊藤文学氏の夫人が回送のあて名書きを担当していたそうですが、後から後から山のように手紙が届くものだから、しまいには腱鞘炎になってしまったんだとか。
当時の読者たちが恋人や友人たちと出会えていた背景には、文学夫人の涙ぐましいほどに献身的な奮闘の日々があったわけですネ。

じょじょに改良が進み、やがて文字数なども定められた〈規定フォーマット〉が作られた薔薇通信。
しかし当初は投稿形式にいっさいのルールがなかったため、『薔薇族』創刊号に掲載されたそれは、良く云えば「フリーダム」、悪く云えば「無秩序」な感じにあふれていました。

後年のスタイルに近い短文のメッセージもありましたが、なかには自身の不幸な生い立ちがえんえんと記された、ちょっとした私小説みたいなものもあったのです。
でも、それにはそれで一読の価値があって、僕のようなゲイ風俗文化の研究者にとっては、当時の読者の人間像を垣間みられる貴重な資料としてアリガタイものでした。
そして同時に、「まだ信頼に値するかも判らない新興の雑誌に個人情報を送付する」という巨大なリスクを冒してもなお恋人や友人を欲していた読者の心中を察すると、柄にもなく目がしらが熱くなってもきます。

とはいえ〈不心得者〉というのは、いつの時代のどんな場所にも存在するもので、「薔薇通信を悪用する輩」にも一定数いたそうです。
回送で知り合った相手を恐喝して金品を巻き上げる……というのがそいつらの手口で、わざわざ地方から上京してきたオヤジさんを食いものにするような卑劣漢もいたといいます。

泣き寝入りしてしまった被害者も相当数いたでしょうが、なかには勇気をもって文学編集長に相談してきた人もいました。
そんなとき、文学氏は、知り合いの刑事に連絡して張り込み捜査を行なってもらい、悪党を検挙していったそうです。
犯人の1人について以前に訊いたことがあるのですが、とても恐喝なんてするタイプには見えないようなヤサ男だったといいます。
逆に云えば、そんな生っちろいヤツでも犯行を思い立つくらいに、当時のゲイたちは気弱で非力なイメージを持たれていたわけですネ。

ちなみに文学氏に救われた読者は何人もいたものの、事件の解決後に改めてお礼を云いに来た人は皆無だったんだとか。
「オレは読者サマなんだから、編集部がサービスをするのは当然のことだ!」くらいに思っていたのかも知れませんが、それはちょっと人間としていかがなものか、と僕は思います。
「まァ、そーゆーモンだとハナから思っていれば、べつに腹も立たないヨ」
文学氏はよくそう云って笑いますが、そこまで割り切ることができる人だから、精神の安定を保つことができたんでしょう(相応の見返りを望む人ならば、イライラがつのって心を病んでしまったかも知れません)。
そのあたりは僕も二代目編集長として、しっかり見習っていこうと思っています。

冒頭でも述べたように、文通回送コーナーはゲイマガジン各誌の花形コンテンツでした。
僕は研究資料として全ゲイ雑誌を毎月買っていたのですが、初対面の相手にそのことを話したところ、「エッ! そんなにオトコが欲しいの!?」と驚いた声を出されて、こちらがビックリしたことがありました。
その人にとってゲイマガジンとは、おそらく「回送を利用して恋人を探すツール」でしかなかったんでしょうネ。

いや、それはかなりの数の読者に共通していた認識であったのだと思います。
それが証拠に、インターネットが普及して〈出会い系掲示板〉が全盛期を迎え、手っ取り早く相手を探せるようになるや、文通回送コーナーの利用者は右肩下がりで減っていき、それに比例して雑誌の売上も激減したのです。
『薔薇族』の凋落に拍車をかけたライバル誌に『バディ』というのがあるんですが、そちらでは2009年に誌面を全面リニューアル(A5からB5へのサイズアップ)した際に文通回送コーナーを廃止してしまいました。
最盛期には『薔薇族』同様、毎号1000通以上あった投稿が、最末期にはわずか50通程度にまで減ってしまったんですから、まァ商業誌としては妥当な選択でしょう。

第一期『薔薇族』が休刊するちょっと前、僕は自分のHPに、
「文通回送コーナーと出会い系掲示板とでは、人足がエッサエッサと担いでゆく駕籠(かご)と新幹線くらいの差がある」
という内容の文章を載せました。
文通回送コーナーだと、投稿メッセージを投函し、雑誌に載せてもらい、それを読んだ読者からの手紙が編集部を経由して投稿主の手元に届くまでに、ヘタをすれば3カ月以上もかかるのです。
それに対してネット掲示板だと、メッセージを載せてから3分で返事がくることだってありえます。

そう考えたら、両者の差は「駕籠と新幹線」どころの話ではなく「カタツムリとリニアモーターカー」くらいのモンでしたネ。
うわァ〜、これはすたれるのも当たり前だワ。
とはいえ効率性とはまた別の次元で、
「まだ見ぬ恋人・友人候補からの手紙が届くのを何週間もドキドキしながら待つ、という風情が文通回送にはあったなァ……」
というふうにも思うのです。
手間ヒマをかけて届けられた手紙を郵便受けの中に見つけたときの喜びの、いかに大きかったことか!
そういう気分を知らないデジタル世代は、ちょっと気の毒な気すら僕にはするのです(いや、べつに負け惜しみじゃないスよ)。

最後にまったくの余談ですが、僕が歴史ある『薔薇族』の二代目編集長になれたのは、じつは「文通回送コーナーがすたれたから」なのであります。
さきほど話したHPコラムを読んだ文学氏から「編集後記に引用させてほしい」という連絡をもらい、そこから氏との交流がはじまって現在に至っているのです。
つまり第一期『薔薇族』にとっての不利が、僕には有利にはたらいたというわけですネ。
いや〜、世の中というのはホントに面白いモンですワ。

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