薔薇の木にどんな花咲く? 第7回(Webマガジン『ヒビレポ』2013年8月15日号掲載)

同性愛者の世界の90年代のトレンドに〈ゲイリブ〉というのがありました。
リブとは「解放」を意味する英語「Liberation」の略で、つまりゲイリブとは「同性愛(者)の解放運動」のことなのです。
戦後の風俗史に詳しい方ならば、70年代前半に日本でも話題となった〈ウーマンリブ〉を思い出すかもしれませんが、まァ、あれのゲイ版と考えてくださいませ。

ウーマンリブほどメジャーにはなれなかったものの、ゲイリブもそれなりには健闘しました。
以前には為されなかった様々なチャレンジが行なわれるようになったのです。
94年には本邦初の〈ゲイパレード〉が東京で開催されました。
男性同性愛者のサークルが、東京都を相手に裁判を起こしたのもこの時期でした。都立の宿泊施設で「合宿勉強会」を行なった彼らが、他の利用者から様々なイヤガラセを受けたうえ、面倒を嫌った施設側から次回以降の利用を断られたことを不服とし、運営者である都を訴えたのです。
ちなみに結果は94年の1審、97年の2審ともにサークル側の勝訴となりました。

毀誉褒貶(きよほうへん)相半ばするものの、90年代ゲイコミュニティのメインテーマであったことだけは間違いないゲイリブ
けれども、それは90年代になっていきなり現れたモノではないそうです。

以前に僕を訪ねてきてくれた50代の男性「80年代にゲイリブをやっていた」そうなのですが、「自分がやっていたゲイリブは、90年代にブームとなったそれとは根本から異なる」と語っていました。
「80年代のゲイ・リブには特に決まった方法論はなく、各人がイイと思ったやり方を好きに実践すればよかった。しかし90年代ゲイ・リブは、かなりの部分がマニュアル化されていて全体主義的だった」
その人はこのように語ったのです。

90年代ゲイリブを象徴するアクション「カミングアウト(Coming out)」というヤツで、世間にまで広まった結果、とうとう一般語になってしまいました。
いまでは単に「告白」といった軽いニュアンスで用いられているカミングアウトですが、本来の意味は、
「これまで公にしていなかった自らの出生や病状、性的指向などを表明すること」
というような、かなり重たいコトバなのです。
それを90年代ゲイリブは推奨し……などと云うと「そんなことはしていない!」と関係者筋はいきり立つでしょうが、カミングアウトを〈リッパで素晴らしいこと〉と感じさせる空気を醸成していたのですから、「勧めていた」と云っても過言ではないと僕は思います。
だからこそ、「カミングアウト=英雄的・美談的行為」と定義づけて無責任に煽るようなテレビ番組だって色々と作られたのです。

いえ、単に「カミングアウトを推奨する」だけならば、べつに僕だってウルサイことは云いますまい。
しかし、「カミングアウトに否定的・懐疑的な意見の持ち主のことを白眼視する」みたいな傾向が生じてしまったことは看過できない問題だと思うのです。

カミングアウトをよしとしない意見を「臆病者の云いわけ」としか見ない風潮の中で、いつしか「カミングアウトするか否か」が、〈高い意識を持った先進的なゲイ〉と〈日陰者的気質から脱却できない旧態依然としたホモ〉とを区分する〈踏み絵〉となっていたのです。
ゲイリブが発展するのと同じくらいの勢いで〈反ゲイ・リブ〉の気運が高まっていったのは、踏み絵を作ってしまうような狭量さへの怒りであったのかもしれません。

80年代ゲイリブをやっていた男性に話を戻しますが、そちらではもちろん踏み絵的なものなどは存在せず、だから誰でも気軽に手を出せたといいます。
冒頭で解説したように、リブというのは「解放」の意味ですから、それが当然なわけですネ。
自己解放のやり方は人によって様々なのですから、全体主義的になるほうがどうかしています。

「いまや〈ゲイリブ〉というと90年代のものだけを指し、自分たちが行なっていたものは無かったことにされているのはどうしてなんでしょう?」
その人からこう訊かれた僕は、次のように答えました。
「それはたぶん団塊世代が、戦前の価値観を〈切り捨てるべき因習〉として扱い、黙殺してしまったのと同じ理屈じゃないですか」

黙殺すると云えば、90年代ゲイリブの推進者たちは『薔薇族』のこともかなりのシカト状態でした。
実質的編集長だったカリスマ編集者・藤田竜氏が、彼らのやり方にかなり批判的だったこともあってか、〈同性愛者の進化をさまたげる悪書〉というふうに見て敵視していたのです。
けれどもじつは『薔薇族』は、1971年・秋発行の創刊2号にすでに「かくれていないで表に出よう!」という、ニューヨークのゲイパレードの紹介コラムを伊藤文学編集長が書いていたり、欧米の同性愛コミュニティのリポート記事を積極的に掲載したりしていました。
つまり、ゲイ・リブに関してはかなり先駆的なメディアであったのですが、90年代の活動家の中に、その事実を知っている者はほとんどいませんでした。
「単に無知なだけだった」のか、はたまた「意図的に隠ぺいしていた」のか、それは定かではありませんけれども……。

恥をしのんで〈カミングアウト〉しますが、90年代ゲイ・リブには、いっとき僕も若気のいたりで乗りかけたことがあったんです。
しかし、じきに違和感をおぼえて離脱しました。
どうして染まりきらずに済んだのか、後々よく考えてみたら、70〜80年代に〈オタク・リブ〉に傾倒していたことで、体内に〈リブ抗体〉ができていたからではないか? と思います。

今でこそ〈クール・ジャパン〉の筆頭としてもてはやされているアニメですが、当時はまだ「イイ歳をしてそんなモンを観るなんて!」とコバカにされていました。だから僕は、
「子供ダマシとせせら笑う前に、まずは『ヤマト』を観よ! 『ガンダム』を観よ!」
と、周囲へのロビイングに励んでいたんです(いま考えるとイタいなァ)。

ちなみに僕が、それほど血道をあげていたオタクリブから離脱したのは、某アニメ誌の読者ページに掲載された、とある『サイボーグ009』ファンからの投書がきっかけでした。
「先日わたしは玩具店で、体内のメカ部分が露出したサイボーグ戦士の人形が売られているの発見し、泣きだしそうになりました。このオモチャを作ったメーカーは、〈悪の組織によって強制的に改造されてしまった人たち〉の悲しみが判らないのでしょうか!?」
この手紙を読んで、
「うわっ、気色悪ッ! こんなのと同類に見られたらかなわんワ」
と感じた僕は、それまでの熱が一気に冷め、無事にカタギのオタク(?)に戻ったのでした。

オタクリブであれゲイリブであれ、やっぱり狂信的になってしまうのは考えものですネ。
度が過ぎて〈信者〉になってしまうと世の中から浮いてしまい、その事実に苛立った果てに被害妄想をこじらせた例を、僕はいくつも見てきました。
まァ、幸か不幸かゲイ界というのは僕の想像以上に移り気なようで、もはや若い世代にとってゲイリブというのは半ば〈死語〉となっているようです。
2、3年前に「当然、知っているもの」という前提で20代の子と話をしていたら「……ゲイリブってなんですか?」と怪訝な顔をされて唖然としたことがありました。
こうした状況を、いまなおゲイリブ熱を維持している人たちは「なげかわしい!」と感じるのかもしれませんが、僕から見れば「やっぱハードルの高すぎることは持続できるモンじゃないネ」というだけの話に過ぎません。

しつこいようですが、「異性愛社会の固定化した価値観に抑圧されている同性愛者が自己解放をはかる」という行為が〈ゲイリブ〉であるはずなのです。
ゲイリブ団体に抑圧される同性愛者が急増し、
「いまこそゲイリブからの解放を!」
なんてヤヤコシイ運動が起きてしまったら笑い話にもなりません。
そんな悪いジョーダンみたいな状況にならないよう、僕および竜超版『薔薇族』では、90年代風から80年代風へのゲイ・リブの転身を推奨しているんですが……さて、どこまで受け入れられるものやら。

いただいたご支援は、今後の誌面充実に反映させていきます。発行を継続させていくためにも、よろしくお願いいたします。