薔薇の木にどんな花咲く? 最終回(Webマガジン『ヒビレポ』2013年9月26日号掲載)

3カ月にわたってお届けしてきた当連載も、いよいよ今回でラスト!
記念すべきフィナーレなんで、それにふさわしいゴージャスでスペシャルなネタでも一発ブチかまそうかと思ったんですが……気負えば気負うほど何もわいてこないんで、結局これまで通りのテンションでやらしていただきます。
まァ、それがいっちゃん僕らしいってモンですよネ?

9月10日分の〈レポTV〉にまたぞろ出演させていただいたのですが、その時、
「かりにも『薔薇族』の編集長をやってるような人間が、ゲイにたいして『甘ったれンな!』的なことを云ってるのに驚いた」
という旨の感想を、えのきどいちろうさん&北尾トロ編集長から頂戴しました。
う〜〜ん、まァ、そこまでスポ根チックでもないんですが(なんせ筋金入りの文化系男子なんで)……しかし、近いことを口にするような場面は確かにありますかねェ。
ただ、それは「自分を〈絶対的被害者〉だと思い込み、〈異性愛社会〉全般に〈際限なき賠償請求〉を続ける」ような困ったチャンに対する場合のみです。

逆に、「どんな悪質な差別に遭っても反論・反撃を放棄する」ような弱気なヒトに対しては、「云うべきことはちゃんと云わないとダメだぜ!?」とハッパをかけたりもしています。
僕の印象では、そうした弱気なヒトは「昭和50年代以前にヤングだったホモ」に多い気がします。
いっぽうの困ったチャンは、「平成以降に思春期をむかえたゲイ」が中心的な感じがするです。
こういうコトを〈世代論〉で語ってはいけないのは百も承知していますが、過去の『薔薇族』を読み返してみると、そういう思いが払拭できません。

昭和50年代以前の同性愛者は〈隠花植物〉に例えられる脆弱な存在でした。
自身の存在を肯定できず(あるいは嫌悪し)、不当な扱いを受けても抵抗は試みず、だから悪質な連中の食い物にされるような悲劇がしばしば起こりました。
そういう状態を見るに見かねたからこそ、先代編集長の伊藤文学は、周囲の反対を押し切って『薔薇族』というメディアを起ち上げたのです。
その後、時が流れて平成になったあたりから、かつての隠花植物の逆をゆくようなタイプが現れはじめました。
キャッチコピーをつけるなら、さしずめ「モノ云う同性愛者」という感じでしょうか。
彼らは自分たちを「ゲイ」と呼び、みずからの性的指向を公言することに〈プライド〉を見出しはじめました。
今ではすっかり一般語となりましたが、〈カミングアウト〉というコトバが流行しだしたのはこの時期ぐらいからです。

〈モノ云う同性愛者〉の評価は、正直、当事者間でも大きく分かれています。
僕もまた、その扱いに困ることがしばしばあるのです。
たとえば「極端に不当な扱いに対して反発の声をあげる」というのならば、素直に「がんばれ!」と云ってあげられます。
けれども、免疫機能が暴走して花粉症を引き起こすように、
「権利意識と自己防衛本能が肥大化した結果、ささいな不快すらも〈耐えがたい虐待〉に感じられてしまって、そりゃもー大騒ぎサ!」
みたいな困ったチャンとなると話は別です。
「ちょっとは落ち着けや!」〈愛のビンタ〉の一発もくれてやらねばなりません(いや、あくまで比喩ですヨ。じっさいに手をあげるワケじゃありません)。

そんなビンタをくれてやったうちの一人から、
「なんで非難されなきゃいけないんだ! 足を踏まれたら『痛い』と声をあげるのはアタリマエだろが!?」
と反論されたことがありました。
えぇ、理屈的には全くその通りなんですけれどもネ、しかし声をあげるにしたって〈適切なあげ方〉というのがあるのです。

足先をチョンと踏まれた程度のモンならば、相手の耳元で、
「……あのォ、踏んでますよ」
と小声で教えてあげれば済むはずでしょ?
しかし、そこで、
「アイテテテテテテ……!! 骨が折れたじゃねェかヨ、このヤローッッ」
相手の胸ぐらを掴んだりしたら、それはもう〈反社会的勢力の構成員〉以外のナニモノでもありません。
僕が批判しているのは、そうした「不要な騒ぎを起こして話をこじれさせている輩」なのです。

蓄積されてきた誤解や偏見を払拭するには、かなりの戦略を必要とします。
ちょっとでも多くの非当事者に自分たちの実相を理解してもらい、サポーターを増やそうとするのならば、まずは〈パブリックイメージ〉の大幅改善が急務となるわけです。
たとえ内側はドロドロ&グチャグチャであっても、とりあえず外部にむけては「知性と良識ある理性的人種」といった好ましいイメージを発信しなくてはなりません。
そのくらいの政治能力がなくては、これまで積み重なってきた汚名を返上することなんかできるハズないのです。
極端な権利要求ばかりを続けて〈プロ市民〉的に見られてしまったら、それこそ元も子もありません。

昨今は長びく不況のせいか、世の中から〈寛容さ〉というのがどんどん減りつつあります。
寛容さを失った人間は、ちょっとでもイイ思いをしているふうに映る他人がいると、それを過剰にやっかむのです。
やっかみは敵意を生み、敵意はじき憎悪に変わります。
だから、同性愛者たちがなんらかの社会的権利を得ようと現実的に考えるのならば、ムダに世間のやっかみを買わない工夫が必要です。
「ホンネでは10個の要求を通したいんだけど、あえて6個くらいで留めておく」ぐらいの知恵が必要となります。
〈完全勝利〉にこだわって足踏み状態を続けるよりは、実現可能なところで折り合いをつけて一歩でも着実に進んだほうが得策である、と僕は思うのです。

話がちょっと飛びますが、僕は〈反論しない隠花植物〉〈声を上げるゲイ〉狭間の世代にあたります。
『薔薇族』をはじめとする当事者メディア発のポジティヴ情報を受け続けたことで、同性愛ライフをエンジョイできるようになった〈ニュータイプ世代〉なのです。
当時は世間で〈ネアカ〉という新語が流行してましたが、まさにそんな感じでした。
……まァ、屈託がない代わりに総じてノンポリだったので、「ケーチョーフハク」と云われれば返す言葉もないンですけどネ。

それはさておき、だから僕は前後の世代を客観的に眺められる立場にいて、それが現在のスタンスに通じているのです。
アクの強い男なんで、こちらの想定よりもキツい印象を相手に与え、反発を食らうようなこともあるんですが……しかし他人に嫌われることを怖れていてはモノカキ仕事なんかできませんからネ。
ブレることなき信念を貫きながら、「コレは絶対みんなに知ってもらうべき!」と信じる事柄を伝え続けるつもりです。

とはいえ、モノカキとしては『薔薇族』関連だけでなく、もっと色んなジャンルにも着手したいと思っています。
〈散歩〉とか〈ジャンク系古本〉とか〈特撮ヒーロー物〉とか〈街ネコ〉とか〈珍奇ハウス探訪〉とか、そういった自分の趣味領域のコラムとかも色々と書いてみたいんです。
あと、フィクションなんかも久々にやってみたいなァ。
2005年の復刊版『薔薇族』で連載していた小説(休刊によって8話で尻切れトンボになってしまいました)も完結させたいし。

でも喫緊の課題としては、やっぱり〈児童ポルノ法改悪〉の警鐘本ですかネ。
じつはいま、論点が〈コミック表現規制〉ばかりに偏りがちなアノ問題の真の危うさを知らしめる本を世に出すべく奔走しているところなんです。
もしも首尾よく出版にこぎつけられたら、そのときは是非ご購読ください(軽視されてますが、日本のメディア文化と表現の自由を瓦解させかねない重要問題なんです!)。

というわけで、ついにシメです。
レポ関連では次にいつお目にかかれるか判りませんが、これまでお付き合いくださった読者のミナサマに心よりの感謝を捧げつつ……See you again!!

いただいたご支援は、今後の誌面充実に反映させていきます。発行を継続させていくためにも、よろしくお願いいたします。