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ノライヌよ、さらば

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(Photo: Hiroaki Aikawa)

「今回ばかりは、無理かもしれん」
KAKUTA公演「或る、ノライヌ」の台本を書いていた頃はオリンピックの真っ最中で、新規感染者のグラフは日ごとに急速な山で登り、合わせてイベント全般への逆風も増していた。
気晴らしにSNSを開けばいろんな人がいろんなことに怒っていて、もちろん私もいろんなことに怒ってしまい、もう何も情報を得るまいと始めた魚のスマホパズルゲームが虚しくもレベルを爆上げしていく、そんな日々。
「半分、(上演できないと)諦めながら描く」
・・・という行為を、初めてやった気がする。

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昨年の「ひとよ」の頃は、絶対上演するという硬い意志がなぜか最初から最後まで貫いていたのだけど、その強靱な思い込みに走れないほど、今回の状況は怖かった。
なぜかといえば、今年4月に出演していた「シブヤデアイマショウ」という舞台が、緊急事態宣言によって残り一日の千穐楽を前に中止になってしまった経験からで(同時期に上演していたカクタラボも)。
もちろん、多くの中止・延期を余儀なくされた公演に比べたら、たった一日だけできなかったのなんて、という話かも知れないけれど、されど一日、あの時の、突然千穐楽を迎えた土曜日のカーテンコールで抱いた、なんともやるせない気持ちは忘れられない。
急に、突然、幕が閉まるこということ。

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その、半分諦めながらも描く、という行為を、世界中の劇作家は去年からやっていたのだと改めて嘆息した。私は去年まったく描ける気がせず、実際に公演も延期になり再演作ばかりだったので、今年初体験だったからだ。
この思いを抱えながら書き切った作家たちに心から拍手したい。
だから自分にも拍手したい。
芝居を書き終えたとき、いとしい作品が出来たと思った。
上演が出来なくても、仮に出来てお客さんの評価がどうであっても、今日のこの気持ちを忘れないでおこうと思った。

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というわけで、そんな諦念と情熱の狭間で綱渡りしながら劇団員で作り上げた「或る、ノライヌ」。
実際稽古が始まってしまうと易々と諦めを情熱が凌駕し、ひたすら祈りの中で走りました。
おかげさまをもちまして、誰ひとり欠けることなく、無事に千穐楽を迎えることが出来ました。

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ご来場頂いた皆様、本当に、本当にありがとうございました。
今回はお越し頂けなかった方も、配信がありますので是非。
配信に合わせて企画なども考えておりますので、よろしければ。

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このご時世にあって劇場にお越し頂いた皆様へ、深い感謝の気持ちと共に、この四ヶ月を少し振り返って書いてみようと思ったのは、今私の前に、いいようのない寂しさが厳然と横たわっておるからです。

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これだけ必死に走ってきたのに、打ちあげもなく、劇場バラしもまったく役に立たないからと早々にひとりで帰宅してからこっち、この体中を貫くいいようのない孤独は何?
今日は窓を開ければ部屋中にキンモクセイの香り立ちこめるほどの気持ちの良い秋晴れだったにもかかわらず、気を抜くとため息がこぼれる空しさ、感傷、通り越して極端な自暴自棄に駆られる勢いだったので、無駄に言葉を連ねているというわけでございます。

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なのでだらりだらりとした長文、御礼でも何でもないじゃないかとおこられそうな気もしますが、どうぞお許しくださいませ。

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「或る、ノライヌ」について着想したのはいつだったか。
明確ではないけれど、豊橋で「甘い丘」を作っていた今年3月頃、ぼんやりと浮かんでいたイメージは、地味な中年女と犬、使い物にならない若い男と、傷ついた中年男。それぞれに事情のある者たちが出会って結びつく話。
今思えばそれが國子とかつお、誉とジョージの原型だったかも知れない。

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先述の通り、執筆期間は世の中の怒りと不条理なあれこれとにもまれて苦悩する一方、よりによってなんで犬が出てくる芝居にしたんだろ、と、そんなことも苦労した。
人が犬を演じるって、市井の人々ばかり描いてきた私には結構なハードルで、何を言わせても薄ら寒い気がしてしまい、特に冒頭は何度も書き直した。最初はかつお(という役の犬)がひとりで話している設定にしていたけれど、謎の土佐犬ジョージが登場して、ようやく動き出すことができ。

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「犬版「CATS」かと思った」と、いろんな方が感想で書いてくださっていたけれど、実は「CATS」、わたくしミュージカルも映画も未だちゃんと見たことがなく、「CATS」のオープニングが都会のゴミ捨て場に集まる猫たちのシーンで始まると本番に入ってから教わってびっくらしました。
ジョージ冒頭からゴミ漁ってるし、そら言われるなあ。

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ただ実際、稽古してみると、犬はちゃんと犬に見えてくるから不思議。
昔、劇団ブラジルの辰巳智秋という、あらゆる意味で巨大な俳優が、私の産み落とした赤ちゃんという不条理な舞台をやったことがあるけれど、あの時もちゃんと同い年の男が赤ちゃんに見えていた。辰巳の汗さえも愛しくてかわいくて、顔の大きさに似合わぬちっちゃなお口にチュってしたいくらいになったけど、うっすら残るひげの後を見つけて我に返ったことがあった。
役者って凄い。

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今回もそうで、犬だと思うと撫で方も変わる。
うちの猫たちはとにかくお尻(特におまたのあたり)を触られるのが好きなので、ついお腹よりお尻をポンポンしたい衝動に駆られた。そのたび、これは谷恭輔という若い俳優であり、実行すれば大変なことになるぞと己を律した。たぶん、だいじょうぶだったとおもう。

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ちなみにルナは初め、アンゴラ猫の予定だった。
猫と犬がコミュニケーションとれるのか悩み、犬になったけれど。
今もルナが頭にネットのようなヘッドドレスをつけているのは、最初、洗濯ネットに猫を入れて移動していることを想像していた名残り。
(猫は洗濯ネットに入れて移動すると安心するという話があります)

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旅に出る物語を描きたかった。
とにかく私自身が旅をしたかったからかもしれないし、今一番出来ないことを、お客さんも一緒に、みんなでしたかったのかも知れない。
舞台となる北海道の知床は真冬に一度行ったきりで、流れ着いた流氷が美しかった思い出がある。けれど、いつか夏の知床を見てみたいと思っていた。
寅さんの「男はつらいよ~知床慕情編」がオマージュになっている部分はご覧頂いた方ならおわかりいただけるかもしれないが、記憶の片隅には「プリシラ」や「トランスアメリカ」「リトル・ミス・サンシャイン」「ミッドナイトラン」など、好きだったロードムービーの数々が焼き付いている。
そういえば「或る、ノライヌ」は「或る夜の出来事」という古い映画が好きで、そこからなんとなく起案したタイトルだけど、この映画もまたロードムービーだった。

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【或る夜の出来事】

チラシのイメージは「都会に生きるノライヌたち」で、普段私が書くものは地方都市ばかりが舞台になり(地元が地方都市だからそうなってしまうのだけど)、あまり書いたことのない都心の歓楽街を舞台にしようと思って書き始めたものの、やっぱり後半では、物語上の人や犬たちを、海の見える街や、山の奥へ連れて行きたくなってしまった。

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ちょっと話題がそれるのだけど、ひとつ思ったことが。

今回の舞台の、SNSで見つけたわかりやすく辛辣な感想の中に「歓楽街やLGBTなど要らない要素を詰め込みすぎ」というものがあった。
もちろん感想は基本的にありがたく、どんなものがあっても良いし、それは完全にご覧頂く方の自由。例えばその方は「震災による喪失というテーマに絞るべき」というようなことも仰っていて、私の意図はまったくそんなテーマではなかったのだけど、仮にそういうお話であって欲しいと願ったとしても、歓楽街を書かずに被災地を書くべし、という希望だとしても、何も悪いことはない。その人の見たい世界なのだから。

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ただ、劇中に女性同士のカップルが登場しただけで「LGBTという要らない要素」という意見が出るのは、ああ、まだそこなのか、と、私たちの居る世界の現在地を思い知る感じがした。LGBTは特殊であり、あえて必要な要素として物語に機能しないのであれば、出すべきではないという考えだろうか。
仮に舞台が過疎地の閉鎖的な村で、そこに同性の恋人たちが登場する場合は、排他的な村のムードや迫害などが加味されてくるので「要素」といえるのかもしれないが、私にとっては新宿に同性の恋人たちが出てくるのは、新宿に野良犬が出てくるよりよほど自然なことだし、今後も当たり前に登場すると思う。それを「要素」と定義することもない。
例えば会社員という設定の人が出てきたとして「会社員という要素」なんていうだろうか。

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異性カップルも、同性カップルも、不倫してる人も外国人労働者も専業主婦も体が不自由な人も老人も子どもも犬も普通に、この世界に、ただ、いる。それだけ。

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いろんな人を書きたい。いろんな人の目で、世界を見てみたい。

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話を戻すと、今回はとにかくたくさんの、いろんな人たちが「いる」お話ではあった。何十と数える役を、劇団員だけであれこれ演じてもらうのは愉しかった。狭い舞台袖の廊下にはぎっちりと衣裳やメイク道具、小道具が並び、キャストたちはめまぐるしくピットインし、着替えて出て行く。
旅のお話にする時点で一役に絞るのは難しかったし、劇団員だけでどこまでバリエーションが出せるか試してみると、また発見がありそうな気がした。
何気ない通行人に味わいを感じたりすることも多く、面白かった。

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あわせて今回は舞台装置も自分たちで動かす形にした。文字通り、自分たちで場を作りたいという思いからだ。
自分たちだけでなく、お客さんの想像力も借りる。
複雑な動きも多く、劇団員は本当に大変だったと思うけど、物理的に場面を作るだけでなく、自分という存在が居て初めて、その場所が生まれるという実感は、あったのではないかしら。あったらいいな。

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この場所を作っているのはいつだって、
あなたという、私という、かけがえのない存在。

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公演が終わると、いつもぽっかりと穴が開く。
けれど今、味わっているこの胸の空洞は、いつものそれとは違うのかも知れない、と思ったりしている。
「或る、ノライヌ」という舞台を駆け抜けた四ヶ月。この物語と同じく、旅をして、出会い、誰かと通じ合い、或る遠い街へとたどり着いた。

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見たことのない海を見て、新しい風を感じて、もう同じ場所には戻れないことを知りながら、この舞台とお別れする。

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改めまして、お世話になった関係者の方々、スタッフの皆さん、お客様皆様、ありがとうございました。
そして劇団員お疲れ様でした、一緒に走れて愉しかった、ありがとう。
KAKUTA、しばしの・・・。
しつこいですけど、配信ありますからね!!

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皆さん!元気にお過ごしください!
私たちみんな、元気でいましょうね。

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(このくらい元気に)

さまよい、時々まちがい、寄り道回り道、それさえも面白がりつつ、勇気出して歩いて行きましょう。

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だいじょうぶ。
なによりだいじなものは、見つけたらすぐにわかるはず。



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