善光寺白馬電鉄路線図 ー 「廃」と「未」が蘇る

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*白馬駅の様子(2016年7月)。

私は、長野県北部の廃線・未成線である「善光寺白馬電鉄」の路線図を作成した。

善光寺白馬電鉄 

今回私は、この「時空を超える」路線網図作成の第1号として、善光寺白馬電鉄を選んだのである。

私はよく白馬へ訪れる。東京から白馬へは、3つほどルートがある。
①諏訪→安曇野ルート:「あずさ」で中央線から大糸線に抜ける。中央道と国道147号のルート。
②糸魚川ルート:北陸新幹線で糸魚川から南下する。車では使えないルートで、鉄路でも本数が少なく少し使いにくいが、所要時間は長くはない。
③長野ルート:長野から長野と白馬を結ぶアルピコ交通のバスに乗車する。国道406号を通る。

電車で行くならば、本数を考えると、③長野ルートが定番といえよう。
バスに乗っていると、鬼無里という集落がある。鉄道は通らないが交通の要衝、そんな場所で2週間くらい暮らすのが私の夢である。非常にのんびりしていて、これはこれで幸せなことである。

鬼無里地区は大きな集落である。地形的にはフォッサマグナと長野盆地の活断層に挟まれ、谷深い場所ではあるのだが、長野市に編入されていることからもうかがい知れるように、地域交流の側面で言えば需要のある区間なので、昭和初期の新線建設ブームの御多分に洩れず、この国道406号沿いにも鉄道敷設の計画はあったというのだ。

それが善光寺白馬電鉄である。

路線網図を改めて掲載するから、それを見ながら、沿線風景をイメージしてほしい。

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沿線概況・廃止区間

始発駅の南長野駅は、長野駅から信越本線に沿って南に徒歩5分ほどの場所にある。南長野駅跡には今でも善光寺白馬電鉄本社がある。

南長野駅を出ると、大きく右にカーブし、犀川の支流である裾花川に沿って走る。裾花川とはこの先田頭駅まで並行する。

妻科駅は長野県庁の最寄駅である。次の信濃善光寺駅から善光寺までは東へ1.5kmほど距離があり、善光寺へはバスが至便である。

茂菅駅で長野市街地は途切れ、この先は国道406号(鬼無里街道)とも合流し、裾花川の渓谷を進む。蛇行を左岸、右岸、左岸と2本の橋梁で渡ると、裾花口駅まで左岸を走行する。

終点の裾花口駅の手前は裾花ダム建設により水没しており、このことが廃線の決定打になったと言われている。裾花口駅以遠への延伸の際には路線の付け替えが必要である。

茂菅駅ー裾花口駅間は険しい山岳路線ではあるが、善白線は谷形に沿って敷かれており、隧道は長くても100m程度のものが2,3本あったものと思われる。

裾花口駅跡には、善白線裾花口駅の記念碑が残っている。

沿線概況・未成区間

裾花口駅を出ると、裾花ダムの堤体を避けるため、500m級のトンネルで左岸の岩盤を貫く。国道406号は右岸を貫いている。

芋井駅は、ダム湖左岸、芋井集落から下ってくる県道406号と国道の交点付近に設定した。

国道の戸隠橋とともに裾花川を渡り、右岸に沿って進むと、旧戸隠村域に入り少し土地が開け、戸隠駅に着く。平地の奥には常盤石橋駅がある。

左岸を行く国道は大幅な改修が行われ、トンネルやロックシェッドの続く区間であるが、右岸を走行するであろう善白線のこの区間は、難所と呼ばれることになろう。

旧鬼無里村域に入り田畑が見えるようになると、鬼無里駅である。未成区間の沿線で最も人口の多い地域で、鬼無里までは長野駅から路線バスが善白線に沿って走っている。

比較的侵食の緩やかな鬼無里の谷を進み、西京駅、田頭駅と停車する。

田頭駅を過ぎると国道406号と裾花川の支流である天神川とともに進路を南に変える。この渓谷は直線的に続いており、推定活断層により形成されたと考えられる。(長野県活断層分布図、1985)

国道は谷を再奥部まで辿り、短い隧道で峠を越すが、鉄道にこの峠を越えることはできないであろうから、善白線は一気に西進、3km超の長大トンネルで姫川の谷に出る。きっと後世になって善白線が建設されることになれば、国のお金も入って建設が不可能なことはないだろう(?)

ここからは姫川の支流である峰方沢の側を走る。谷を丁寧に擦りながら標高を下げ、左カーブで大糸線に合流して、信濃四ッ谷(白馬)駅に到着する。

スキーブーム、北陸(長野)新幹線の開通、インバウンドの爆発的な増加…構想当時は全く予期できなかったであろうが、構想当時よりも人の往来は多くなっているであろう。この区間は「廃」でありながら、「未」でありながら、強く生き続けているのである。決して過去帳に閉じ込められた場所ではないのだ。

善白線と私

北海道の廃線から「廃」に踏み入れた私にとって、「廃」とはノスタルジーの感情そのものでしかなかった。善光寺白馬電鉄線は、私の「廃」観を大きく変えた。すなわち、「廃」と「未」と「現在」は一つに繋がったのである。

鉄道輸送には向かない輸送量だったかもしれない。しかしながら、善光寺に訪れる人も、鬼無里や戸隠に住む人も、白馬に遊びに行く人も、全員が簡単に迅速に安全にアクセスできるようにすることを、そしてそれが全国の移動ネットワークと結ばれることを、どの時代の誰もが願っているはずである。

裾花川の河川交通に携わった人、国道を作った人、善白線の開通を夢見た人、バス路線を開通させた人、全員がそう思っていたはずである。

時代は下り、鉄道は大量輸送、長距離輸送の手段、車がきめ細やかな輸送と、役割が分かれた結果、残念ながら善白線は役割を終えてしまった。地図に残るのは、国道と県道の座標だけである。バスに乗るまで、残念ながら私はこの地に生きる外部との繋がりに気づくことはできなかったのだ。悔しかった。

「誰かを運びたい」その意思を感じるのが、「網」である。私はあらゆる時空的な「網」の可視化で、無情にも捨象されてしまうつながりを整理したいと感じた。



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