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家族の呼び方

世間にはいろんな形の家族がある。
一見似たような構成の家族でさえ、その中身は家族の数だけ異なる。
今日はそんなありふれているようでいて唯一無二の私の家族の話だ。

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私の父は、父である前に”おとう”だった

、、、

4人いる、兄も姉も”おとう”と呼び(たぶん母もそう)、家を長くあけることの多かった父は、私からするとたまに現れる面白おかしい変な人。だから私は、あれは”おとう”という生き物なんだと認識した。

たまに帰ってくると、不審がられて近寄ってこないので、父は結構ショックを受けていたらしい。でも私の記憶では、帰ってくるたび出迎えに行ったり抱きついたりしてた(我ながら可愛らしい幼少期)。

さて、その”おとう”は外にいる時はめちゃめちゃかっこいいスーツ姿なのだが、家にいるときはパンイチであった(姉は世の中のお父さんはそういうものだと思っていたらしく、友達からそうでないことを聞くと心底驚いたという)。
そして、柔道が好きで息子たち4人と乱闘していた。父は遊んであげているつもりなのだが、4人の子は半ば本気でバケモノと思っていて団結感があった。兄弟喧嘩も停戦して同盟を組まざるを得ない。
油断すると髭ジョリジョリをくらいかねない恐怖の日々に息を潜ませながら暮らし、夜は早く寝ないと鼻チュー(父曰く赤ちゃんの時は鼻づまりで死にそうなところをそれで救っていたらしい)という地獄を見るのだが、哀れな我が同胞は必死の寝たふりを試みつつもバレてやられていた。
今思い出したが、末っ子の私は”おとう”との決戦の時、奥義”死んだふり”を好んで使っていたそうな。

さてさて、そんな”おとう”の誕生は、なんのことない長男が”おとう”までしか言えなくてそれが定着したことによるらしい。母は”ママ”と呼ばれているのでどうして”パパ”になれなかったのか謎である。

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私の兄弟は、ファーストネームで呼び合う。呼び捨てで。

昔はアメリカンなのかなーと思っていたが、これにはどうやら深い事情があるらしい。

それも、親が子を思う気持ちが愛情が込められた事情が。

私は5人兄弟である。その中の紅一点の姉からこの話を聞いた。

5人の子どもは、いわゆる年子で、上二人年子、間開けて一人、下二人年子である。何が言いたいかというと、上の子たちは漏れなく物心ついた頃には”お兄さん”である。
ここで、両親は思った。生まれて一年も経たないうちに”お兄さん”、”お姉さん”として生きていかなきゃいけないのは、可哀想だと。
そこで、気づけば皆呼び捨てで呼び合うようになっていったのである。
ちなみにした二人は名前が長いので端折られて、元のカッコ良さそうの名前から可愛らしい感じにアレンジされている。

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そのときは気にならない些細な事柄が、後々になって人生という道の脇に咲くたんぽぽのように、小さな喜びを届けてくれることがある。




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