君たちはどう捨てるか

どうも、フランケン@BlackSheep8270 氏に、ミニマリズムについての識者だと目されている節がある。

まったくの誤解である。
わたしはミニマリズムについてほぼ何も知らない。「こんまりが片づけをあきらめる」という新ネットミーム誕生のニュースで、こんまり氏の欧米展開が成功していたことを知ったレベルだ。

というわけで、ミニマリズムについてどのような論説が体系化されているのか全く分からない。そういうほぼほぼ無知なうちに、ミニマリズムについての思い出を残しておこうと思う。

数日後にはまるで最初から有識者であるかのしたり顔でミニマリズムを語っているかもしれない。黒歴史は残すに限る。最も頻繁かつ手厳しく自分を裏切るのは常に自分自身なのだ。

さて、ミニマリズムについて、わたしが興味を持ったきっかけは祖父の死である。
父方の祖父は、めったになく偏屈な老人だった。
傍若無人のエピソードには事欠かず、火葬場で遺骨になるのを待つ間、親族による被害コンテストが開催されたほどである。大変楽しく有意義だったので、わたしも死んだらbao被害者コンテストを開催して欲しいものだ。

祖父は偏屈だったが、結婚を二回していた。
わたしが知る祖母は後妻で、柔和で気弱で自己主張をしない人だった。マイルールが激しい祖父と生きるためにはそうするしかなかったのだろう。祖父は、家族の一挙手一投足まで自分の意志通りにするのが己の権利かつ義務だと信じており、「一緒に暮らすのは死んでいるのと変わらない」と人に確信させる存在だった。事実、前妻は上述の言葉を子供に遺して失踪している。

後妻である祖母は一挙手一投足に口を出され、死にたい死にたいと言いながらアルツハイマーを患った。

徐々に、だが確実に何もできなくなってゆく祖母を、祖父は献身的に、筆舌に尽くせない程献身的に介護した。わたしは仕事柄、様々な家庭における家族間の介護を見る機会があったが、愛情深さと細やかさと忍耐力、外界を敵と拒絶する態度において、祖父の態度は夫が妻に対するものというよりは、生まれたばかりの子供に対する母親の態度に近いと感じた。(無論わたし個人のわずかな知見に過ぎない)

出来ることを一つ一つ、全てなくしてとうとう、祖母は祖父にとって理想になったのだと、わたしは思う。

発症から3年経たず、人形の様に軽く小さく痩せて、祖母は逝った。

祖父はこじんまりした二階建ての一軒家に独り暮らすこととなり、そして物を捨て始めた。

まず、祖母の遺骨を大部分捨てた。もう少し詳しく表現すると、分骨用の掌大の骨壺に入る分だけの環椎とわずかな骨片のみを引き取り、残りの引き取りを断った。
次に、祖母の遺品をほぼすべて捨てた。生前使っていたものは茶碗と湯呑みと箸だけが残った。
続いて、自分の物を捨て始めた。趣味で集めていた骨董、書籍を捨てた。衣装、寝具、家具、家電、食器、食料品は、わたしが訪れるたびにその数を減らしていった。

最後に生前の祖父に会った時、寝室に白いグンゼの丸首シャツと、股引と、灰色のスエット上下と、半纏とツイードのジャケットが吊るしてあった。服はもうそれが全てだと祖父は言っていた。

もうテレビは観ないのだと、就職した記念にわたしが祖母にプレゼントした液晶テレビを引き取って欲しいと渡されて、こんな重たいもん持って帰れんと断って帰ったのが、祖父が生きている間に家に行った最後だったと記憶している。

そしてある秋の日に、祖父は死んだ。
死にざまは、客観的には安らかなものだったと思う。

台所には調味料の買い置きはなく、押入れには冬用の布団すらもうなかった。
錆の浮いた菓子の空き缶に、預金通帳と、土地建物の権利書と株式に関する書類諸々が全てまとめて収まっていた。

出来る限り最初から居なかったように、祖父は自分の人生をしまい終えた。わたしたちは、分骨用の掌大の骨壺に入る分だけの環椎とわずかな骨片のみを引き取り、残りの引き取りを断った。

葬儀が終わってしばらくして、雑誌かなにかで、何もない部屋に布団だけが敷いてある部屋の記事を見つけた。祖父の死んだ部屋にそっくりなその部屋はミニマリストの部屋だと紹介されていた。

身軽に生きたいという欲求が、できるだけ最初から居なかったように死にたいという欲求と同じ形を得たことを興味深いと思った。

時間があればそのうち、この続きを書いてみようと思う。

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