落語会の雰囲気(落語の話)

今日は大美落語会に行ってきた。第二十回記念公演と銘打たれているが、スペシャルゲストを招くというよりも信頼のおける腕っこきを集めたような番組。ネームバリューだったら次回出演予定と告知されている南光さんの方が上だもんね。今日の出演者は敬称略で二葉、文三、米二、竹林、文太という面々。キャリアの浅い二葉さんはともかくとして、自分の会を積極的にやっている実力派がズラリ。

大美落語会って好きな会なのだけれど、理由は二つあって、実力派が並ぶのでハズレがないところと、観客に笑いが多くいい雰囲気なところ。今日は高座の最中にケータイが鳴ってしまうことが複数回あって残念だったけれども。

いい雰囲気の会というともう一つ思い浮かぶのが田辺寄席で。こちらは個人的に休みが合わないのでなかなか足を運ぶことが出来ないのだけれど、晴れた日の田辺寄席なんて、もう、最高だ。中入で、池に面した中庭に出て、木陰で主催のみなさんが用意してくれたお菓子をいただきながらお茶を飲んで落語会前半の余韻に浸るとか、ものすごく贅沢な時間を過ごしているなと言う気分になる。

最近思うのだけれど、自分は落語会に「接待」を求めて足を運んでいる気がしている。というと語弊があるかもしれないが、ちやほやされたいというのとはちょっと違う。

いや、実生活において、自分が「歓迎」されているなんていうのは、考えてみるとあまりないもので。そりゃ、買い物すれば「ありがとうございました」は言ってもらえるけれども、あれは歓迎されているというのとはちょっと違う。取引だしね。

そんな中で、「面白い話」「興味深い話」でもてなしてもらえる、その居心地の良さというのは、実によいものでありまして。

だからなのか、横柄に振る舞っているお客さん(たまにいる)を見かけると、こちらも気分が悪くなる。せっかくいい気分になりに来ているのに、なんでそんな、いい気分でもてなしてもらえないような態度とるんだろう。

不思議だよなぁ。私は心地よい気分になりにここまで足を運んだんだけれど、この人はどんな気分になりにここまできたのだろう。

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