艦これとその影響の話

定期的に「艦これでプレイヤーに悪影響が」ってな話が出てくる。それについて現時点で思っていることをメモ代わりに書いておこうと思う。


まず、私はゲームにも歴史にも軍事にも政治にも詳しくない。というか、むしろ疎い方だ。であるから、これから書くことについて、私が持っている知識を根拠に権威づけするってのはほぼ不可能なので、まあ、気楽に。


艦これというゲームの楽しさの理由や魅力については、私はそれを整理して語ることは出来ない。それはもっとゲームに詳しい人がやると良いと思う。私はガッツリはまってますが。

でだ、艦これと言うのは旧日本軍の艦艇を擬人化し、彼女たちの行動を見守り、また自分たちの過去を語らせることでプレイヤーに艦艇への感情移入を促す、という要素がある。

それが史実への誘導としても機能するわけだけれども、それが感情移入を原動力として行われるというのが、一つのポイントだろう。なにせ感情移入しまくっているわけであるから、史実を辿って行くにしても、バイアスがかかる可能性は十二分にある。むしろ、バイアスがかからないほうがおかしい。人間ってそういうふうに出来ている。何人たりともバイアスからは逃れられない。絶対にだ。

また、艦これ内のテキストにしても、艦娘自身を悪者として捉えることが出来るようなエピソードはあまり積極的には語っていないキライがある。かっこよかったり悲劇的であったりはするのだけれども。

では、カウンターとしてそういった「艦これでは触れられていない知識」や「艦これではカバーしきれていない範囲の知識」(戦争に至るまでの話とか、陸軍の話とかね)を吸収しなきゃという話になる。

二通りのルートが考えられる。「艦これと言うコンテンツの内部でそれを行う」というのと「艦これと言うコンテンツの外部でそれを行う」というのと。

あるコンテンツに対する教育的な悪影響というものが批判される時には、大抵この「では必要とされる知識をどこで、どのように教育するのか」という観点が見事なくらいに抜け落ちていることが多い。

おそらく艦これの悪影響を批判的に語る人たちと言うのは、前者、艦これ内でその知識を教育するべきだと考えている人が多いのではなかろうかと推測する。そこまでカバーしていないから、艦これは悪影響を与えるコンテンツである、と。

しかしだ、先に、艦これと言うコンテンツには、バイアスがかかるとはいえプレイヤーを史実へ誘おうとする方向性があると書いた。つまり、艦これ自体は、その教育(というか、プレイヤーが学ぶ機会)をコンテンツの外部に求めているんじゃねーかな。

艦これのプレイヤーには周知の事だろうが、この、外部へと投げられたボール、艦これが人気を獲得した今となってはある意味またとないチャンスを既に生かしている人たちと言うのも存在する。それは現状では出版社であったり、ネットでそういった知識をまとめている人だったりする。

教育の場では、学校ではどうなのだろうか。私は学校とは縁遠い生活を送っているため、どうなっているのかはわからない。これはラッキーと奮闘している教育者もいるのかもしれない。

しかしだ、私はこの、降ってわいたような教育のチャンスを批判することでつぶそうという人を、心の底から軽蔑する。自覚的であるか無自覚であるかにかかわらず。

貴方が夢中になっているコンテンツがあるのなら、その歴史をちょっとググってみるといい。十中八九、そのジャンルは「悪影響を与える」という理由で批判されている。

そして私たちは、過去に批判されてきたコンテンツで、どれほど精神的に救われ、どれほど多くの事を経験し、学習してきたことか。

そしてそして、私たちが何かを学び、何かを経験するのはある一つのコンテンツによってのみなされるのでもなければ、ある一つのメディアによってのみなされるのでもない。私たちは種々雑多なコンテンツ、種々雑多なメディア、様々な環境、数えきれない周りの人たち、そういったものから多様な情報を得ることで、学習し、経験を重ねていく。

そのことに気が付かないふりをして、ある特定のコンテンツやジャンル、ある特定のメディア、そういったものの危険性を過大に見積もり、それを批判する人にはぜひ立ち止まって、もう一度考えてもらいたいと思う。

貴方が目的としているのはなんなのか。悪影響を「減じる」ことなのか。いい影響を「与える」ことではないのか。

悪影響を減らせばいい影響は自動的に増える、そんな単純なことではないのではないか。

学ばせようとするのではなく、情報を遮断したり、またその情報をたわいもないと軽視させるように仕向けることで、いい影響を与えることは出来るのか。

私は「否」だと思うが、これは根拠があるというよりも信念みたいなもんだ。だからまあ、受け流しといて。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?