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犬に成った人のお話


こんにちは、ばんけんです。


突然ですが私は犬に成りました。




皆さんの頭の中は


「犬?」


といったところでしょうか?





それとも



「犬か、羨ましいな」



と想ってくださるのでしょうか。




今日は


「私が犬に成った理由」を書き綴っていきます。







私は

「世の中の一般的な普通」

というものが分かりませんでした。




それは

この世に生まれ、自我を持ち始めてからずっと。






だからこそ世の中が謳う





「普通」というものへ対して

「考える」ということを




23年間続けてきました。



しかし






未だにそれが分からない。





つまり「普通」というコトバは


人それぞれ

自分の中に在るものであり






それを

「他人へ押し付ける」行為は間違いだと想いました。







しかし

世の中は甘くはありません。




コーヒーに喩えるならば


「苦い」と感じる人も

「美味しい」と感じる人も居るのです。







そうして私は




世の中の「普通」に呑まれ


「普通」とは何かを考えて





それを踏まえた上で







犬に成ったのです。






「飼い犬」というよりは

毎日を生きるということを噛みしめる

「野良犬」といったところでしょう。









例えば、私は自分とお話をします。

それはこころの中に「番犬」を飼っているから。





番犬という言葉は

【番犬】
害をするものが近づかないように番をする犬

ということを表しています。





私の中には「こころ」は在りますが

それを世の中には受け入れてはもらえませんでした。






ですので


こころの中に「番犬」を飼うことにより

自分のこころを守って生きてきました。









例えば、私は友人と遊んでいる時間でも

ゴミ拾いをするような人間です。






その行為に対して友人は

「恥ずかしいから、やめなよ」

という言葉で返してくれました。






これを聞いた時に私は

「なにがダメなの?」

と、思いましたし




私では到底理解ができないコトバでした。






私の中では

「そこにゴミが在ったから拾った」

ただそれだけです。







最近散歩をしている時に、ふとそれを思い出しながら

「いや、本当に何がダメなん?」と

一人でツッコミをいれていた次第です。







そして、このコトバを思い出しました。









【気付かない人より、気付いて何もしなかった人のほうが罪は重い】








私はこのコトバを思い出した時に





「世の中の普通って、異端だね」

こう思う様になった訳です。







私はすぐ迷子になります。

それはせかいを観ているから。




私はすぐ話しかけます。

それはせかいとお話をしているから。




私はすぐに足を止めます。

それはせかいを伝えたいと想う人がいるから。







私が「人を異端だ」と想うように


このお話を読んだ誰かもまた


「私を異端だ」と思うでしょう。






しかし、私は自由主義の犬なので

意味のない争いは必要ありませんし

微塵も興味がありません。






では


「私が犬に成ればいいのでは?」








そうこう考えた結果

犬に成ることを選んだのです。





そうすると私の中の「異端」というものも

「普通」に通じるのでは、と




何かあったとしても

「だって私、犬だし」

この一言が全てを解決してくれる。





これは自分を守るために必要なことでした。





きっと





こころの中の「番犬」が

私のこころを守るために

表に出てきてくれたのでしょう。







いつも私を守ってくれてありがとう。






そしてまた


どこからか聴こえてくる声が、私へ話しかけてくる。






「犬に成ったんだよな、君は


  世界から愛されるために。


 せかいへ愛を伝えるために。」






また誰かへ


幸福をもたらす犬に成れますように。

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