あの人


さて、この人がどんな人かよく分からないままお話が終わってしまいましたが


皆さんはどんな人を想像しましたか?


面白い人?

怖い人?

優しい人?


なんにせよ変わった考えを持っていると感じたことには変わりないでしょう。



それでもきっと


同じように考える方は少なからずいたのではないでしょうか?





そんな貴方はきっと優しさや愛で満ち溢れているのでしょうね。


この方のように。




では本題に入りましょう。


「生きていく中で必要のない全て」って何?

とゆうところからでしょうか?



それとも

「現代が創り出した新しいコトバ」 

についてから話しましょうか。


きっとこちらの方がみなさんがふれる機会が多いでしょうし、普段何気なく使っているコトバも実は「現代が創り出した新しいコトバ」だったりするんです。


確かに、と頷いた方はきっとこの先も楽しめるでしょう。




さて、皆さんは

「病は気から」

という言葉をご存知でしょうか?



学生の方だったりすると、まだご存知無いかもしれませんね。



私がこの言葉を知ったのは17歳の頃だったと思います。




私がこの言葉に最初に感じたものは


「放棄」でした。



分かりやすく言うと「哀しさ」ですね。


哀しさと言う言葉の意味は

【哀しさ】
1.心が痛んで泣けてくるような気持ちである。 嘆いても嘆ききれぬ気持ちだ。


という意味です。



私がこう感じた理由は

「その言葉を投げかける相手が、もし本当に重い病気だったら?」

というものでありました。



そう考えると

言葉というものの重みを感じませんか?


もしも今この話をお読みなっている方の中にこの言葉を人へ向けて投げかけたことがある方は


なにか背中に重いものが乗ったような感覚に陥るかと思われます。





しかしあの人はこう考えました。




きっとこの言葉を創った人は

「自分を救いたかったのだ」と。




「自分を?」



私は考えました。



きっとあの方はこの言葉を

「人に対して使う言葉ではない」と

本能的に感じたのでしょう。




少し話は逸れますが

「お客様は神様」という言葉をご存知でしょうか?




こちらの言葉の中にある真意は


「舞台に立つとき、真っ新(まっさら)な心で神に手を合わせたときと同様に、心を昇華しなければ真実の藝(芸)は出来ない」


という歌手の三波春夫さんが遺した名言だということは皆さんはご存知かと思われます。


しかし現代ではどうでしょう?

このような本質の意味を込めて使う方は少ないのではないでしょうか?




言葉というものは

本質を知って更に輝くものであり

知らなければ輝きは失うどころか、本質さえも打ち消してしまうようなものになってしまう



そんな繊細なものだと感じました。



あの方は言葉の本質を

そして何を伝えたかったのかを

きっと見つけだしたのでしょう。


「自分を救いたかったのだ」と。

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