24/03/01 おれの解釈/あなたの解釈/だれかの解釈

最近朝食に卵かけご飯のバリエーションしか食べてない気がする。バリエーションといっても納豆を足すかめんつゆを足すかの主に2択しか選択肢は無いのだけど。今日はツナ缶を足してみたら美味しかったので今後は3択になった。おれは卵かけご飯に何を入れても良いと思っている。でもキッチンで適当に思い付きそうなちょい足しを粗方やってみて上の2択に落ち着いたので、意外とオールラウンダーではなかったことがわかった。場当たり的な探求。「これ炒めたら美味いんじゃないか?」と思って炒飯を再発明した時がピークだった。

お役立ち情報:卵かけご飯にソースを掛けてもあまり美味しくない。

ロック・オペラ『ジーザス・クライスト・スーパースター』の「Superstar」という曲が劇場版レヴュースタァライトの「スーパー スタァ スペクタクル」のモチーフ元だということ、パンフレットで読んで知ってはいたが聞いていなかったので聞いたところ、展開や音の使い方などを結構そのまま引用していて感動した。映像面でのオマージュは話題になるけど音楽面でもこんなことしてたのか~。『ジーザス・クライスト・スーパースター』と『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』は内容的関連も語られていて、「神の子」と「ただの人」の間で揺れるジーザス・クライストと、TV版で完全な主人公として「舞台装置」になってしまった(と、監督がなにかのインタビューで言っていた気がする)華恋が「一人の人間」としての人生を劇場版で解き明かされる様子は、方向の差はあれど相似形に見える。

こういうのおもしろいですね~。元ネタの発見を踏まえた上で、なぜそのモチーフが引用されたのか?というところまで掘り下げて考えられると広がりがあってよいかもしれない。この場合の「なぜ?」に対する正答は存在しないので、自分で納得できる理屈であれば何でも良いと思っている。作品鑑賞において作者の意図というものは単に"事実"であって、そこからのズレを基準にした正解/不正解の2軸に持ち込むこと自体が誤謬だと考えている(ただし"事実"ではあるので別の意味がある)。基本的には作品を観て自分が何を思ったのかが絶対的に重要だと思うので、なんでも他人にツッコミを入れられてしまう情報化社会には少々難儀だが、各々が自分の理屈として解釈できるように心がけておくべきだな~と思っている。"解釈違い"とか簡単に言うな!!という話でもある。

すごいな~。おれもまた海老名に見に行きたい。

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