24/02/12 信頼できるアニメアイコンたる生活

「信頼できるアニメアイコン」とは、何年か前に某氏が自分とその場にいたもう一人を形容した言葉である。どのような会話の流れだったか明確に記憶していないし当人が意図した意味は定かでないのだが、皮肉とかではなく字義通りの意味で仰っていたことは感覚として覚えている。個人的に、一般にバカにされる時代が長かった(今もか?)アニメアイコンを長く使っていることに妙な愛着と意地があったので、そこを指摘してくれる人いるんだ、というのが強く印象に残ってそれ以来頭の片隅にずっとある。

アニメアイコンとおれの人生は不可分である。大層な話ではなく、単純に中学生くらいから音無小鳥アイコンでTwitterをやってきたというだけの話だが、その音無小鳥アイコンでリアル用途のアカウントも兼用していたことが人生との接続を強めている。Twitterを始めた当初に「現実とインターネットで人格のA面/B面を作ってはいけない」というツイートを見たことに強い影響を受け、リア垢というものを作らずに一本のアカウントで戦ってきた。さらに、BaN長という名前もリアルのあだ名由来なので、結果として自分は生活すべての場所で「音無小鳥アイコンのBaN長」になってしまったのである。逃げ場のない大変な事態だ。

かくしてアニメアイコンであることは自分のアイデンティティの一部となったが、アニメアイコンはインターネットで十把一絡げに揶揄されてしまう対象であるという現実があった。呂布カルマ的態度とまでいかずとも、自分が中高生であった2015~2018年あたりは今よりも風当たりが強かったような気がする(オタクの自虐が再帰した結果のそういう風潮ということもあるだろうが)。そういう揶揄に弱い自分の性格を考えると、「それ」というだけでバカにされないような穏当なアイコンに変えて運用していった方が精神的には健康であっただろうが、なぜかそれに屈したくない対抗意識があって変えてこなかった。好きなキャラを置いているというよりも「自分」であるからそうしているので、音無小鳥さん以外の顔であることに違和感があったのだろうな。

そういう積年の経緯があった上で、自分がバトってきたアニメアイコンのイメージとは反対側にある「信頼できる」という接頭辞とともに形容してもらったことは、これまでの生活が軽く報われたような気分になったのだった。それ以来、その信頼に悖るようなことはしたくないなと思いながらインターネットをやっている。そういう生活です。



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