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コミュニティという言葉の落とし穴

SNSで人間関係の繋がりが爆発的に広がり、ビジネスの交流や普段の日常は「リアルとネット」になって、バンドマンの集客もライブハウスの出口でコピーしたチラシを配りハガキのライブのお知らせからTwitterやInstagramなどに変わって行きました。
時代に即したネットを活用したアピールも、あえて前時代のリアルにこだわり続けること。
やり方は人それぞれ。
どちらも間違いではないので、そこは何も問題ありません。

令和のはじめに言われ出した事

ここ数年の思考の変化・動きだとは思いますが、広がりすぎた「広く浅く」の輪よりも、ダイレクトに課金してくれる方を特に大事にする「コミュニティの力」と言うのが言われ始めました。

世の中に情報や娯楽が溢れて、人がもつお金・自由に出来る時間をどのエンタメが奪うのか。
「ライブハウスに数時間いるより映画一本見たほうが楽しい」と思われないためにアーティストは趣向を凝らしたりクオリティを上げたり頑張っています。

こうやって「コアな固定客」をもつ事で安定した活動に繋がります。
ライブにはだいたいこの人たちが来てくれる。
グッズを出せばこの人たちはだいたい買ってくれる。
映画よりショッピングよりデートより自分たちの活動に自分の時間とお金を費やしてくれる。

だから「ここでライブをしよう」「こんなグッズを作ろう」となるわけです。
売上がある程度見込めているので安心です。

とは言いつつ、コミュニティ依存の落とし穴

コミュニティとは、昔からの悪い表現をすると「内輪」です。
コアなお客さんを中心とした、アーティストだけでなく良い意味の第三者委員会を作って、内外からの発想をもってやっていく事は今のやり方でありこれから重要になってくる事だと思います。

ですが、内輪はヨソから見ると寒いものとなる場合もあります。
こうならないためにお客さん側に第三者委員会を作っている?問題はそれがイエスマンの集まりだったら?
客観視になりませんよね。

強いリーダーは必要ですが、そのリーダーは常にコミュニティがイエスマンだから同じ方向を向いてるのか、みんなで考えて強い団結力で同じ方向を向いているのかを常に見続ける必要があると思っています。

ここを見誤ると、鎖国したまま孤立し、気がついたら「こんなはずじゃなかった」となる仲間も出てきます。

時代の流れを見つつ、仲間を見つつ、周囲を見る。
難しい時代になってきてますが、上手くいくと沢山の仲間と航海するワンピースみたいな楽しさを味わって活動できると思います。

アーティスト活動だけじゃない話かなとも思っています。
頑張りましょう。