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塞ぎ込んでしまったもの

何種類ものシャーベットを宝石箱に思える気持ちは、埃被ったアルバムの中に置いてきてしまったかもしれない。

ある時、小さい頃の写真を見ることがあり、スプーンを小さな口に近づけ、いちごアイスを食べようとしている写真を見かけた。

お出かけ中に公園に行き、移動販売型アイスクリーム屋さんで買ってもらった時のものだった。

大きなパラソルの下、たくさんの文字と絵でメニューが書かれた看板を見上げ、読めないながらも、たくさんの味があると感じた。

頭の中では、ぶどうやリンゴ、キウイにイチゴが混ざった、世界に一つだけの味が広がっていた。

単純な少年の口は、食べてもいないのに、世界に類をみないアイスから生まれるヨダレで満たされていた。

「夕ご飯があるから、1種類だけね」

なにげなく放った母親の言葉は少年を戦慄させ、今まで優しさに溢れる聖母だと錯覚していたことに気づき、実は黒い羽と剥き出しの牙を持った悪魔だったのだ。

小さな勇者はだだをこねる攻撃で必死に抵抗するものの、我が家の財務省と総理を兼任する母に、勝てる術などあるはずがない。

おとなしくイチゴのアイスだけを頼んでもらい、近くの椅子に座った。

隣で食べていた方は、なんと5種類ものアイスを2人でシェアしていて、彼らを羨ましそうに眺めていた。

半泣きの眼前には、キラキラ光る5色の万華鏡に入り込んでしまったようだった。

写真を撮るために、食べる瞬間のポージングをさせられたが、目線がカメラと別方向を向いていたのは未来まで残る大きな抵抗だった。

時は過ぎ、改めてたくさんのシャーベットを眺める。

ドキドキワクワクしていた気持ちは薄れてしまったが、大人になることで塞ぎこんだ何かが湧き出してきた。

簡単には手に入らないからこそ得られた感動とは違い、自由に使えるお金で得られる征服感のようなものが表れてくる。

大人買いとはこのような感じなのだろうと思った。

それは失われた宝石箱でもあり、開けることをためらうパンドラの箱でもある。

たくさんのシャーベットを見たとき、どんな気持ちが湧き上がってくるだろうか??

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