五感を通じて世界を観測してしまっている

今日は、自分の世界認識の話。

量子力学では、世界を構成する最小の物質を量子としたときに、
量子は粒子の性質と波の性質を持つと考えられている。

「二重スリット実験」が有名だが、
二重スリットに電子(=量子)を打ち込んだ時に、波の性質をもつ干渉縞が現れるが、スリット部分にそれぞれセンサを置いてどっちを通ったかか観測すると、干渉縞は現れず、粒子が衝突した跡だけ現れるというものだ。

観測している時点で、何らかの影響を量子に及ぼしてしまっていて、事象が確定し、その結果粒子の振る舞いしか現れないということだけど、観測しなければ量子そのものは波と粒子の両方の性質を併せ持っているということになる。

波の方程式を表すシュレディンガーの方程式は、実部と虚部が存在している。虚部とは、二乗すると-1になる世界のことだ。
現実の物理現象を数字で表すのに、二乗すると-1になる世界の存在を認めないと表現できないということは、人には知覚できていない二乗すると-1になるような世界が同時に存在しているということを示していると思っている。

大事なのは、観測すると、粒子としての振る舞いしか観測できず、観測しない状態ならば波の性質も持つということなんだけど、
人はこの世界をどう認識しているか?というと、様々な感覚器官(五感を含む)を通じて観測した信号・刺激を脳で変換したものを自分たちは世界としている。つまり、私達が見ている世界、触っている世界、嗅いでいる世界、聞こえている世界はすべて観測してしまった世界であり、つまり粒子の振る舞いしか受け取れない世界になっている。
けど、この世界の現象は、虚部を認めないと表現できず、そして虚部は観測すると現れない(=波の振る舞いを消失してしまう)ということであり、
人は虚部を知覚することはできないのだけれど、確実に自分たちが感じているこの実部の世界と直交する虚部の世界も存在すると自分は信じている。

人間の脳みそは世界の理の3%しか理解できないとかいう話を何かで見たけれど、自分たちはこの世界を観測することでしか捉えることができないのだから、その観測結果を処理している脳みそなんかで理解できることは確かに少ないのだろうなぁということも腹落ちしている。

だから、自分は理解できないものが間違っているとは思わないし、それって虚部と実部のどんな相互作用なんだろう?と考えたりする。
ソクラテスの無知の知ってやつだと思っている。

まぁただ、このよくわからない虚部にすべての願いを託し、人の都合の良いように作用するみたいな考え方するということはないけどね。あくまで虚部という人の知覚できない世界が必ず同時に存在しているということと、頭で理解できないことも事象として必ず存在しているし、むしろそっちのほうが多数を占めるということ。
それは、人はこの世界を認識するために、感覚器官を通じた刺激を脳で処理しているだけであり、これは観測しているのと同義だということ。

最後に、仏教とかでいう神通力というのは、虚部にアクセスする力なのかもな?と思ってる。

読んでくださってありがとうございました。感謝します。

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