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つまりはセンス・オブ・ワンダー

こんにちはこんばんわ、しろばなさん といいます。

8/31ミク誕ですね。13回目の誕生日おめでとうございます。


今回の記事を書くに至った直接のきっかけはマイリスコンピ2さんの以下ツイートでした。


マイリスコンピはニコニコ動画のマイリスト機能を使って主にボーカロイド音楽の仮想のコンピレーション・アルバムをつくって共有する遊び。
今のようなSNS全盛時代の以前から続けられてきたオールドファッションなスタイルですが、その手軽さも手伝って脈々と受け継がれてきた強度の高いコンテンツでもあります。

今回は中々考えさせられる深いお題ですが、選定するにあたっていろいろ思うところがあり記事を書きました。
まぁ…とはいえ、何か特段高尚な話をしたいわけではないので、スナック感覚で軽く読み飛ばして下さい。





さて、テーマ「出逢い」です。


私個人は趣味としてボカロ曲を熱心に掘るようになって10余年が経過した身でもあり、ボカロを掘ること・聴く事が最早アイデンティティの一部となって久しく、思い至るエピソードは枚挙に暇がありません。

それ自体はセンシティブな事件であり、今の自分の骨格になっていると言っても差し支えないものですが…あくまでパーソナルな出来事の集積である為に、仮想コンピと言えど誰かに見てもらうのであれば少し換言が必要かと思い、至った結論が次の通りです。


ボカロとの出逢い、それはつまるところ

「センス・オブ・ワンダー」な音楽体験である。



センス・オブ・ワンダーとは元々レイチェル・カーソン女史が唱えた概念ですが、現代においては主にSF愛好家が好んで使う言葉であると説明した方が良いでしょう。
諸説ありますが、意味としては「認識の拡張」とでも言いましょうか。今まで知らなかったけどこういうものがあったのか!こういう世界があったのか!こういう発想があって良いんだ!…という、新しいモノに触れた時に時折感じるアレ。特有の”ぶっ飛ぶ”快感のことです。未知との遭遇ですね。


2017年AlphaGOに敗れた棋士がその手筋を見て「我々は思ったより囲碁のことを知らないのかもしれない…」と評したのは当時大きなニュースになりましたが、ボカロというツールにも同じようなことが言えるのかもしれない、というのが私見です。我々は思ったより歌と音楽について何も知らない。


本記事では、2020年の今の感覚・今の耳で聞いても未だにそんな感覚がぶり返す10曲を選んでみました。
いくつかのサブトピックに沿って追っていきましょう。



①自由なヴォーカル

初音ミクの登場からわずか3か月(メルトより前!)で世に出た「Melancholoid」は未だにオーパーツ的な立ち位置で語られることも多い1曲。その最大の特徴はヴォーカルの声色がシームレスかつ、生身の人間ではありえない変化を見せることでしょう。各種パラメーターを弄り倒しているのは言うまでもありませんが、GEN(男声・女声の寄り具合を決める重要なパラメーター)までもその対象に含めるのはそれ以前にはあり得ない発想と言えます。


人間の身体性が知らず知らずのうちに作る発想の枷にフォーカスした例としては「私はクズです」も挙げるべきでしょう。
古楽に見られるメリスマ歌唱(1音節に多音譜を割り振る)が前面に押し出された1曲ですが、超高音かつ連続したメリスマ歌唱を可能にするのはボカロというツールありきの発想でしょうか。


「自分の音楽からは逃れられない」では、上品なアンビエントR&Bのトラックに合わさるヴォーカルの処理がこれまた印象的です。
この曲でのヴォーカルは常に声と音の狭間を揺蕩っているようなキメラ状態にあり、吊り橋を渡るような、水面の糸を手繰り寄せるような危うくも絶妙なバランス感覚。
歌詞の文節すらもお構いなく言葉が奇妙に紡がれていく様は、聴き手を引きずり込む魔力があります。



②逆立ちするヴォーカル

前提として、ボカロはあらかじめプログラムされたように歌うソフトウェアであり、またそのようにしか歌えないという特徴があります。
つまりはバックトラックに左右されずそれ単体で作り込める再現性の高い歌手であるため、たびたび実験的な楽曲のお供にされてきました。


「39転調」では、凝りに凝ったコード進行と無限に繰り返される転調に一切惑わされることなく、健気に/軽快に歌い続けるヴォーカルに思わず舌を巻いてしまいます。ヴォーカルがブレないことを利用してトラックの方が冒険するという、言わば逆立ちした発想ですね。


「エイリアン・エイリアン・エイリアン」では、意図的にグリッドをずらしたモタつくビートに対して触手めいたフロウが絡みつくという、化け物じみた展開が披露されています。
生身の一発録りであったら到達し得ないであろう練り込まれたドラッギ―な快感も、ボカロというツールによって開拓された一面かもしれません。




③増殖するヴォーカル

ポリフォニーな音楽に端を発する、原則すべてのパートで歌手が等価な楽器として扱われるべき、という考え方はあくまで理想を謳ったものであったはずですが、ボカロという楽器が登場したことにより完全に同質なヴォーカルを安価に増やすことが可能になり、その認識は変容の時期を迎えています。


「ジャヌカン「鳥の歌」を歌ってもらった」は、人間同士が完全に同等に声をぶつけ合うことなどそもそも不可能なのだ、という前提をボカロによって鮮やかに解決して見せた象徴的な作品でしょう。ここにきて、かつて叶わぬ夢として終わっていた筈の理想が結実しているのは非常に興味深い。(2:50からの展開がすごいです)


「Walk With You」では、ミックス自体は聴きやすく控えめに処理されているものの250人分の声を圧縮して盛り込んだコーラス表現の厚みが最大の特徴です。いわゆるポップ・レクイエムの一種ですが、なんとも力づくで葬送されそうな、圧力めいたパワーすら感じさせる表現に仕上がっています。


近年の作品として「akane」にも触れないわけにはいきません。デジタルクワイアと呼ばれる最先端の技法にボカロを用いたのが特徴ですが、等価なヴォーカルを極端に歪ませながらクワイアさせることで、あらゆる感情が同時に鳴っているような、極北の表現に到達しています。



④イノセントなディーヴァ

ボカロは常にキャラクター性/或いは”人非ざる者”という事実が付随する為、その点にフォーカスした一種の認識トリックを用いた作品が紡がれてきました。

「思慮するゾンビ」は初音ミクをいわゆる哲学的ゾンビに見立てたもので、”居る”とは。”在る”とは。一体何なのか。と問いかけて来ます。
ループ感のあるトラックも相まって、意図せず思考の螺旋に引きずり込まれる…まさしくセンス・オブ・ワンダーなオーパーツ的作品。


「違います」はバーチャルアシスタントsiriと初音ミクのやり取りを切り取ったもので、聴き手は意図せず、噛み合ったり噛み合わなかったりしながら徐々に捻じれていく会話の観測者にさせられてしまいます。くすぐったさなのか、もどかしさなのか。この奇妙な感情はいったいなんなのでしょうか。




以上、計10作品をご紹介しました。いかがだったでしょうか。
少しでも興味の一端に触れたなら幸いです。


いい機会ですし、皆さんもご自身とボカロ音楽における
センス・オブ・ワンダーについて、少し振り返ってみませんか?



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