離れたのか、離れられたのか
東京ドームが終わって、「あと少しだけ青春にお邪魔します」って気持ちでいた僕にとって、彼女の卒業発表は大きすぎた。
全部終わっても良い、そう思ってた僕にとって東京ドームは一筋の光だった。まだ終わらないんだ、余白があるんだ、それはもちろん勝手に彼女の姿ありきのもので考えていた。
ちゃんと見届けようと思って、苦しくても番組を見たり、MVをチェックしたりした。「飛行機雲ができる理由」のMVを見た時に「もう無理だ」と諦めた。
変な使命感を原動力にして行動しても何も生まれない。
曲はものすごく好きだった。グループの曲で見てもかなり上位に入り込むくらい。でも一回しか見てない。苦しかったから。僕の心のキャパはそんなに大きくない。
それからはクラッチを切り離した。見れるものでもあえて見ないようにした。見る手段を消していった。気づけば見ないようにするのではなくて、見なくなっていた。流れてきた写真を見たりしたら可愛いなと思うけど、それ以下の感情も生まれなければそれ以上の感情も生まれない。
完全にファンを離れたといって良いと思う。
ドームの前から少しづつモチベは下がっていて、それは終わりが近づく気配を感じていたからだったんだと思う。でもさっきも言ったようにドームはこれからの希望を感じさせてくれた。キラキラしていた。でも今の僕にとっては散り行く瞬間の最後の美しさになった。
僕から見たらドーム前のグループとドーム後のグループはメンバーが同じでも別のグループに見えている。そこに日向坂46はあるけど、僕が好きな日向坂46ではない。次の目標があることはわかっているけど、その目標に向かう感じが僕には見えない。作る世界が見えない。
アイドルが好きな人たちがアイドルに求めるもの。色々あると思う。顔が好き、ダンスが好き、歌が好き、会いに行ける(話せる)距離感が好き。
僕がアイドルに求めるものは、、、そうだな、、、。
おそらく顔が好き、曲が好き、作り出す世界が好き。大きくはこの3つかな。その中でも作り出す世界が1番大事な部分を持っていて、そこがないと「推す」までは至らない。
あいにく顔が好きってだけで推すことができるほどまっすぐな心も経済力も行動力も持ち合わせていない。それを持っていたら僕はこの世に推しだらけだ。
そしてそんな姿に見えてしまっている僕が思ったこと。
どこに行くかが1番だったのかな。
東京ドームっていう大きい目標を追うたびに、そこに行くことが彼女たちの中で1番になってたのかな。だからきっと終わった後のふわふわした空気感が生まれたのかな。もしかしたら映画にはその部分が描かれているのかもしれないが。
こんなことを思っているオタク、僕は嫌いだ。でも今はその嫌いなオタクに自分がなっている。きっとこのまま離れられない人たちが自分のエゴを押し付けて、傷を負わせる人たちだ。
このまま見ていても苦しくなるだけ、辛くなるだけ、だから。
きっと自分から離れたし、向こうも僕みたいなやつからは離れた。
最後にこれだけは言っておきたい。けやき坂の最後らへんからドームまでの約3年。もらった幸せと感動は数えきれない。素敵な思い出は嫌というほどもらった。その思い出が色褪せることはないし、色褪せさせない。
僕の人生の一部になってくれてありがとう。
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