私を支えてくれたもの
最近、昔の自分は生きずらかったんだ、と気がついた。
周りから見たらそんな風には見えなかったと思うけれど、小さな頃から疎外感とか孤独感を強く持っていた。そういう自分が変なんだと思っていた。
でも最近、自分がHSPだと知り今までの生きずらさが腑に落ちた。自分が変な訳ではなった。そういう気質だったのだ。
どうしても湧き上がってくる「人と違う自分」という思いをなんとか自分で消化しようとしていたことを思い出した。
昼寝をする祖母と一人で遊ぶわたし
私は母方の祖母が大好きだった。いとこ達も近くに住んでいたし、親戚が頻繁に集まっていたのだが、なぜか祖母と二人きりの記憶が多く残っている。
通っていた小学校は祖母の家からの方が近かった。祖母の家から自宅へはバスで帰るほど遠くなってしまうのだけど、私は学校帰りによく祖母の家に寄った。
思い出す光景は日の当たるソファーで、テレビをつけたまま昼寝をしている祖母だ。足元側のソファーを背に座り、私は絵を書いたり、ぬりえや、貼り絵なんかで一人で遊んでいた。一人で遊んでいるのになぜか私は楽しかった。楽しいというよりは、穏やかな気持ちだったのかもしれない。
今も人の中に居て疲れると、一人で静かなカフェに寄り、手帳を書いたり雑誌をなんとなく読んだりしてから帰宅することがある。
小さいながらも周囲へ気を使い、心のエネルギーを消耗していたと思われるので、祖母の家で心を落ち着けていたのかもしれない。
自分の心地よい空間を想像するといつも、明るい日の差す空間が思い浮かぶのだけれど、小さな頃の祖母との記憶と結びついていたのかもしれない。昼寝をしている祖母との穏やかな時間は、小さな私にとっての癒しだった。
書くことで消化していた
中学生の頃は自分の中のモヤモヤをノートに書きなぐって消化していた。
小学生の時から日記はつけていたが、日記だけでは吐きだし足りなかったのかもしれない。
中学生の時、新聞係が楽しくて新聞記者になりたいと思っていた。そこからモヤモヤノートを書くようになった気がする。ノートのタイトルは「私の考え」。当時流行っていたローマ字のスタンプで表紙に「WATASHI NO KANGAE」と押していた。思春期ってなんだか恥ずかしいね。
内容は、思いやりってかけられた相手にとっては重い槍になることもあるよねとか。人と違う私の言葉の解釈なんかを書いていた気がする。
自分の中に湧いてくるモヤモヤをどんどん吐きだす事で、とても気持ちが楽になった。そして、作文が得意になった。中学生の時が一番頭が良かったんじゃないかと思うくらい、スラスラ文章が書けるようになっていた。大学ノートで3-4冊びっしり自分の中のモヤモヤを綴っていた。あのノートは実家にあるのかな。あるなら今すぐにでも燃やしたい。
でもあのノートがあったお陰で、文章の中では本来の自分が少し出せるようになった気がしている。思いついた自分を褒めてあげたい。
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