1年

先日、動画を1本公開しました。

家のいくつかの場所でジャグリングを撮影して、つなぎ合わせて1つのルーチン動画にしています。

タイトルは「理想的な月の写真」。少し気取った題名です。

折角なので文章を残してみようと思いました。この1年間を時系列で振り返りながら書いていきます。

昨年の4月、僕は就職しました。

かなりの田舎に配属になりました。人生で一度も訪れたことのない土地です。夜に街灯の明かりが十分あるような公園はないし、体育館も行動範囲内にはありません。仕事が終わった後に練習しようと思ったら、自然と自分の家で練習するようになりました。

幸いなことに、就職とともに割り当てられた職場の宿舎は室内練習環境としては優秀でした。なにしろ4DKの平屋一戸建てでしたから(昭和30年代築の古い家ですが)。荷物をほかの部屋に置いて1室を練習部屋兼居間として空けることができたし、床も畳敷きなので裸足で動きやすい。ほかの居住者の家とも道を隔てているので騒音を気にすることもありませんでした。

こうして、ジャグリングをする余力が残っている平日は自室で黙々と練習する夜が続きました。

ジャグリングの知り合いが1人もいない土地で夜な夜なボールと語り合うのは、今までにない体験でした。就職したて特有の不安感、慣れない土地での淋しさ。精神的にそれなりにギリギリの状態であるときもありましたが、ジャグリングをしているときは静かな気持ちよさがありました。

新しい発見もありました。広い体育館や公園ではなく、天井の高さも限られた狭い室内という「制限された環境」は僕のジャグリングに変化をもたらしてくれたのです。これはうまく言い表すことができないのですが、室内練習環境においてボールと僕の距離が近くなった、と言うのでしょうか。単純に高く投げ上げる技はできないこともあり、ボールが体のさまざまな部位に触れる技を練習するようになりました。いわゆるボディバウンス系・ボディストール系です。(就職前からそのような技系統を見据えていたこともあるでしょうが。「そうせざるを得ない」環境に置かれたことが本質だったのだと思います。)このとき練習環境がジャグリングに影響を与えるということをはっきりと認識しました。

同時に、部屋という練習場所の存在感を意識するようにもなりました。毎夜毎夜、この過疎地で僕1人だけが、この部屋でジャグリングをしている…。その情景を少し離れた視点から想像したとき、まるでそういった類の「上演」みたいだと思いました。

就職してから半年ほど経ったとき、そんなことを丹さん(ジャグリングカンパニーCircus without Circle代表)に話しました。ここからのことは丹さん本人もTwitterで書かれています。

多少ダブってしまいますが僕の視点で追っていこうと思います。確か僕は最初は次のようなニュアンスで言ったと記憶しています。「この日この時間に開演すると決めて、そしてそれを誰にも告げずに時間どおりにパフォーマンスを上演したい。」

そのあとにおそらく丹さんから、つまりこういう感じ?という風に「やっていることは観客に周知して彼らが思いを馳せる」という形式を提示されたのだと思います。観客に上演の事実を周知するかという点で両者は異なりますが、この場では僕にとっては同じことでした。なぜなら、前者においても僕は、誰にも告げず1人上演を遂行する僕を少し離れて眺めている僕という「仮想観客」の視点から想像していたからです。上演の事実を知っている他人がいるなら、その人の視点に立って同じく想像するだけです。

そこから、丹さんは西崎憲さんの短編集「飛行士と東京の雨の森」の中の「理想的な月の写真」を教えてくれました。ちなみに僕は丹さんのその会話の運び方に教養を感じて勝手に感じ入っていました。

その後CwCの第7回公演に出演することになり、またすぐ丹さんに会う機会ができました。そのときに短編集を貸していただきました。理想的な月の写真まではすぐに読み、丹さんの話していたとおり、先日の話の趣旨にそぐう内容だとわかりました(ちなみにこの短編集はめちゃくちゃ面白かったです)。

さて、実はCwC出演とほぼ時を同じくして、関西玉宴という企画が進行していました。関西地方の大学のジャグリングサークルに所属している同期ボールジャグラーで集まってルーチンの発表会をしようというものでした。社会人になって発表の機会が激減した僕にとって渡りに船の企画でした。

出演者で話し合い、3月に行うことになりました。だいたい10月前後に持ち上がった話だったと思うので、約半年間このルーチンの制作と練習にあてました。日々のジャグリングはすべて家で行っているので、ルーチン中の技や動きも自ずと全て部屋の広さ・高さに制限されたものになっていきます。作成当初は気づきませんでしたが、本番間際になって、「このルーチンは普段僕がジャグリングをしているこの部屋の規模感や質感を再現する内容になっているみたいだ」と思いました。会場は区民センターの広くて高いステージです。そこでこのルーチンをやるのは、1年僕がジャグリングをしてきたこの部屋をまるでそのまま会場に持っていくようで、面白いと思いました。

そのころ、各々のルーチン(アクト)にタイトルをつけて当日パンフレットに掲載する運びになったので、僕はこのルーチンのタイトルを「六畳一間天井2.5m」と名付けました。あまりに直接的ですが、そこまで強力で魅力的なコンセプトでもないので、わかりやすくするのは悪くないかなと思いました。

残念ながら、関西玉宴は延期することになりました。これ自体は仕方のないことですが、ルーチンをどういった形式で発表するかに困りました。玉宴が終わったらボールと練習していく技を変更するつもりだったので、延期した玉宴まで今のルーチンを練習することはできません。直近で飛び入り参加できる発表の場も心当たりがない…。ただ、せっかく作ったので何らかの形で公表はしたい。結果として、動画公表を選びました。

動画を撮るうえで、(ほかに撮影場所がないこともありますが)この家のいろんな部屋で撮影したクリップをつなぎ合わせることにしました。なんというか、この家と僕のジャグリングの関係みたいなものを示したいと思ったのです。撮影と編集を終えてみると、僕としてはひとまず満足のいくものになりました。玉宴時にステージで表したかったものが、より分かりやすい形で出せている動画だと思いました(まさにこの家で撮影しているので、当然ですね)。

動画をvimeoにアップして、視聴可能になるまで待っている間、タイトルをどうしようか迷いました。玉宴のときの「六畳一間天井2.5m」は、この動画に名付けると部屋のことだけに言及しているようで安っぽい気がしました。

そのとき咄嗟に浮かんだのが、数か月前に読んだ短編のタイトルでした。


稀に見る傑作だな。
https://vimeo.com/395709377
ジャグリングっていう特殊な物の扱いが方が何気なく見過ごしている物との関係を魅力的に見せる。
劇場や体育館でやるジャグリングはただジャグリングをみせる。でも、道とか部屋でやるジャグリングはノイズになりそうな背景をこそ際立たせる。それが道や部屋でやるジャグリングの良さなんだよな。
窮屈な部屋でボールをあまり高く投げれないところとか、後ろになぜか固定されてるコードとか体と絶妙な距離に置いてあるスマホがすごく「触覚的」に見えてくるのよな。
魚眼レンズの質感といい。
10年ぐらい前のyoutubeでみていたジャグリングを思い出すねー。

後日中西さん(ジャグリングユニット ピントクル代表)にこのような感想を書いていただきました。

僕が思っていたこと、さらにその1歩先まで踏み込んで読み取っていただいて、大変うれしかったです。


4月から異動が決まりました。この家を離れることになります。今よりも都会に住むことになります。夜でも練習できる公園がありそうです。平日夜でもジャグラーと会うこともできるかも。

次はロシアンボールを使おうかな。

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