伊藤美来 No.6/気づかない?気づきたくない? もっと夢中になりたい至福のとき

つい先日、ライブツアーを無事に成功させた伊藤美来さん。素晴らしい体験をありがとう。

いつも新曲が出ると、最初にCDをずーっとリピートにして、歌詞カードとにらめっこをして楽曲の風景を思い浮かべたり感想を書いたりなんたりしているが、たまには趣向を変えてこの素敵なMusic Videoから味わっていきたい。そのほうがこの曲をより分かってあげられるような気がしたのだ。

No.6

3月に行われたライブ、Rhythmic BEAM YOUではダンサーズを従え、パリッと決めたパフォーマンスを魅せてくれた。そのライブがとても心に残っていたから、彼女が一人で踊り続けるこのMusic Videoが公開されたとき少し驚いた。

”秘密結社をイメージした”という振り付けもライブで見たとき、僕はもう少しヒーローっぽいと思ってそういうツイートもした。ああ、なるほど。これは僕の見当違いだったなと画面に向かって素直に謝る。

そしてそのテイスト、色は色とりどりなRhythmic Flavorと対照的に白と黒の2色だけ。サスペンダーにパンツスタイル、スカート、黒い襟付きのシャツ、ローファーとローカットのブーツ(服のことはよくわからなくて間違っていると思う、申し訳ない)。衣服の一つ一つが彼女のためにあるかのような、ハイセンスで魅力的な姿。

パントマイムや影絵、大道芸のエッセンスを感じる大きくて快活な振り付けも相まって、僕には白黒の無声映画のような第一印象を受けた。タップダンスのように蹴り出すステップ、頭を軸に彼女のその笑顔とメッセージをブレなく伝えてくるサビ。

スクリーンの前で踊る演出は孤高の光 Lonely Darkの大宇宙(?)を彷彿とさせるが毎度本当に見事である。丸だから丸、バツだからバツを描くのではなく、丸やバツを想起させる図形の組み合わせ、彼女自身に投影され歪むモチーフや彼女を切り取るスポットライトが狙ったあとに揺れる不完全さが、軽快にビシバシ入れ替わるダンス映像へのアクセントになっている。

模倣的白黒映像に色を付けるのは彼女の眩い笑顔と歌声、そして実にカラフルな楽器の音である。

園田健太郎作詞・作曲、千葉岳洋編曲、Lowland Jazz演奏。

この曲が持つハッピーさ、キャッチーさを存分に楽しんでいるのは、演奏しているLowland Jazz自身に違いない。生の楽器は演奏している人間の表情、心情、そういったものを実に雄弁に語ってくれる。

No.6という楽曲に於いて重要な役割を果たしているのはフルートであると、僕は思っている。一般的なホーンセクション…トランペット・トロンボーン・テナーサックスだとかっちりしすぎてしまう空気に、HAPPYな心持ちを軽やかに付加している。トリルが印象的。

とても気持ちよさそうに譜面が伴奏から主旋律にシフトしていく各パートはブラスバンド経験者ならわかる、「気持ちがいい」ポイントだ。伊藤美来の歌声とそれぞれの楽器が手を取り合いユニゾンを繰り返していく。伴奏になったらすっと音を引いて次のパートにバトンを渡す。ソロパートも含めて「おっ」と思わせてくれる見せ場がふんだんに散りばめられているのは、生粋のジャズバンドが演奏を行った最大の功績ではないか。

そしてハッピーな曲調とダンスに反して、歌詞は実に達観していて示唆に満ちている。

踏み出す前に一瞬考えてみてもいい
正解へのパターンなんて 何通りでもあるよね?

断定的に告げようとしているのに、「何通りでもある…よね?」と確認的に問いかけてくるところに”らしさ”を感じる。この曲にはそんな雰囲気が実によく似合う。絶妙な揺らし方なのだ。

白黒の映像と衣装に楽しげな振り付けと映像カット、達観した歌詞に人間味のある雄弁なブラス、種々のアンバランスさを絶妙に組み合わせたNo.6という作品は、Rhythmic Flavor、Rhythmic BEAM YOUを超えた先で人間性・音楽性の”伊藤美来らしさ”を追求したい、そんな探究心を満たしてくれるのである。

気づかない?気づきたくない?

トレンディ・ドラマのようなダンス・ポップ。竹内アンナの楽曲提供。BEAM YOUのその先で身につけたもの、ラジオのチューニングを操るような細やかな機微をたたえた歌声。

雨の真夜中に「会いたい」の一言で呼び出して、ハイウェイをコンバーチブル・トップの”国産車”で疾走する。会話はそんなになくて、カー・ステレオからはこの曲「気づかない?気づきたくない?」が流れていて。たぶん今夜関係が決するんだろうっていう予感はどちらにもあって、だからどちらも踏み出せない、そんな微妙な間合いを感じているふたり。というイメージ。

これはくだらない妄想だけど…。代々木から首都高に乗って、汐留へ…みたいな。一時停車はできない。

イメージ…妄想させるのはシンセ・ブラスとファンキーなギターの音色。そしてブリッブリなシンセ・ベース。

この曲がもたらす伊藤美来像を、生で歌う彼女を目にする前に決めつけてしまうのは非常にもったいない。歌詞に赤裸々に語られる感情の揺れ動きを、彼女の歌声はぐっと抑えて歌う。艶めかしい。ラップに気を取られがちだが、Aメロ・Bメロの「何気ない Talking そのひととき」の歌い方なんて、頭を痺れさす毒のようだ。ゾクゾクする。

彼女はこの曲をどんな表情で歌うんだろう。
どんな仕草で歌うんだろう。

ごくり。僕は思わず生唾を飲み込んだ。
いやぁ…好きだなぁ…これ…。狂おしいほど、好きだ。

おわりに

ぱちっとスイッチが入って得意げに、自信ありげな表情で愛らしさを振りまくのに、メイキングで見せる慎ましやかな彼女に好感を持つ。その表情や姿勢が切り替わる瞬間が美しい。プロフェッショナルな横顔とむじゃきな笑顔。

ちょうど今の彼女くらいの髪の長さが僕は好きで、結んでいる髪型も、おでこを出した方も両方素敵だ。セミロングは可能性の宝庫だ。でも敢えて言わせてほしい。もうすっかり大人の女性のはずなのに少女のような快活さを兼ね揃えたポニーテイルの彼女の魅力には抗えない・・・。まあつまるところ僕は、”ポニーテイルで、サスペンダーで、パンツスタイルで、ローファを履いた●を掲げる伊藤美来”が好きだ。

すっかり伊藤美来は僕を絡め取っている。彼女から繰り出される音楽、歌声、身振り、表情。このまま僕はどこまで行ってしまうのだろうか。

過去に書き連ねてきたとおり、伊藤美来の音楽は僕が経験して血肉にしてきた音楽的趣味(それは性癖と言って良い)を実に的確になぞりとっているのだ。僕が彼女の音楽を好きだということ、文字通り四六時中聴いていることはなにかのパフォーマンスでも誇張でもなく、事実として只々好きなだけである。いつ・どこで・だれと・どんな精神状態でもすぽっと僕の心の形に当てはまる音楽がここにはある。それは彼女を全肯定しているのではなく、彼女を受け入れることのできる僕を僕が全肯定できると言えるのかもしれない。

楽曲リリース記念のイベントで穴井ディレクター自身が話す楽曲の意図・演出・ビジョンは実に的確で、満足度をあげてくれている。僕は常に尊敬と憧れ、彼女の良き理解者として親近感を持っており、その言葉ひとつひとつを心底心待ちにしているのである。

僕自身も良きファン、良き理解者で在りたいと思うが、言葉を綴っていると自分が間違っている気がしてならない。自信を失いかけながらも(?)書き続けるのは、大好きな人の大好きな楽曲に書きたくなる、書かざるを得ない気持ちが呼び起こされるからだ。いつものことだが「大したことねぇな」と鼻で笑ってほしい。



親愛なる伊藤美来さん、そしてスタッフの皆様へ。
これからももっと、夢中にさせてくれるよね?




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