石原夏織 SUMMER DROP レビュー 届いているよ、Happy beam

先日披露したアルバム・レビューに対して、SUMMER DROPについて書き足りなかったこと、そしてやっとこさ視聴したMusic Videoについて書いていく。

Face to Faceから怒涛のMV攻勢を仕掛けてきている石原夏織陣営。力を入れて作り込む部分と、演者や受け取り手に委ねる部分のさじ加減がナチュラルに神がかってきている。

アルバムにおけるSUMMER DROPの立ち位置は非常に重要なものだと思っている。(以下過去掲載より一部引用)TEMPESTまでの音楽的挑戦を経て、ここからはまたいつもの私たち。新しい世界も楽しかったでしょうと笑い合う。明るくて楽しいメロディなのにどこか寂しい夏の夕暮れのような空気を胸いっぱいに吸い込んで只々切なくなる。メリハリが美しい。そしてここでも歌詞に出てくるのは「届け Happy Beam」。フィービー・フィービーの”Beam”と”Beat"を石原夏織はアルバムの中で見事回収して魅せたのだ。これが「偶然って 必然に つながったドア」なのかもしれない。感じてるよ、届いてるよと、熱くなった心で応えたい。

まず白Tシャツにリボンの衣装が良い。リボンに束ねられた外ハネ、肩丈の髪の毛がふわふわと揺れる。うまく言葉には出来ないけれど、ダンサーに対して派手すぎず、ダンサーの衣装も地味すぎない感じ。シューズの色までさり気なくコーディネートされている。

他の可愛い系オープンカーを差し置いてコペンが置かれている理由も、ミニやビートルだと小柄な夏織ちゃん&ダンサーズにズームしきれず画が間延びしてしまいそうだからだろう。セットの中で存在感を持ちすぎず、不自然すぎず、斜に構えすぎず”この中の誰かが乗ってそう”というイメージがある。敢えてセット感を出しているにもかかわらず、「眩しい日差し浴びて~」のところ、CGともリアルとも錯覚する絵に書いた海からズームアウトしていくことで、何だセットじゃんって一瞬思うんだけど、それこそが狙いのような気もする。これから描くのは夏織ちゃんが想像した”とびきり楽しい夏”と受け取るのは穿ち過ぎか。

髪型にもなにか仕掛けがありそうで、踊ったときに揺れる髪型の人数が2人前後くらいなのも気になる。夏織ちゃんの髪が動くときはほかの人はまとめて、夏織ちゃんの髪が動かないときは、他の人は振り回す、みたいな。(言い方)そういう見せ方にもなにか理由があるのかもしれない。(ないかもしれない)同様に衣装も夏織ちゃんの衣装が動くときはダンサーの衣装が動かないようになってたり。こうしたポイントが特にSUMMER DROPでは気が付きやすい気がする。

Dメロ~落ちサビのドラマティックさ、エモさはとっておきの必殺技。そしてこのエモにたどり着けるのは1曲フルで聴ける人だけなのだ。さらにいうとここのダンスの振り付け・表情・フォーメーションにもストーリーがあって、それをフルで楽しめるのはまた特典のDance Ver.だけという、とても贅沢なつくりなのだ。本編のリップシンクが混じるのも素敵なんだが、いかんせんここは夏織ちゃんの立ち位置が刻々と変化して、夏織ちゃんのダンスが波のようにダンサーに伝わっていく場面だからDance Ver.でフルで見てほしい。

歌詞で好きなポイントは「勇敢さも 大胆さも 夏のせいにして さあ 飛び出そう!」「きっと 待ち焦がれてたの これが運命って 思えるような瞬間をずっと…」この歌詞単体が好きというよりも、このワードをきっかけにストーリーに変化が訪れるところがだ。Aメロで比較的抑えていたフレーズが、この歌詞から一気に加速する。2A・2Bは1番に準じて進み、SEで楽しさ、変化を得て、ここでも「叶えたいな 叶えようよ…」とテンションを育んでいるが伴奏が1番と劇的に変わるわけではないので凝ったことをしすぎて胸焼けしないのも一歩一歩ずつ感があって好きなところ。間奏のギターは視界を早回ししてDメロで急激に切なげに減速する。シンセクラップが入っているが、僕は聞こえないはずの波の音、風の音を幻聴する。日が沈む。

何度も言うけどフィルターで音を開いていくのはずっるい。サマーチューンやダンスミュージックの王道的盛り上げ方もしっかり押さえてあってとても好き。こう来るだろうって僕らが想像していたところはちゃんと押さえて、こう来るかーってありきたりになりすぎない感じ。

Face to Face、Face to FACEを経てカメラワークも確かに進化している。プロデューサー・ディレクターはシングルFace to Face、そしてライブFace to FACEを手が掛けた KEYAKI WORKS。彼女の表情にフォーカスしながら、キレのあるダンス、ダンサーとの掛け合い、そしてダンサーの表情までも程よくミックスしている。僕らが見たい、見たかった、いつもの、そして見たことのない彼女がちゃんと詰まっている。

メイキングに突入するといつものぐへぐへ言ってる夏織ちゃんで安心する(褒めてます)。「この画はかわいいと思うわ~」という彼女と、左腕を指でなぞる彼女が同一人物だと思えない(褒めてます)。「こうすれば大人っぽい表情になるでしょ」とメイキング笑う彼女は全然大人っぽくなくて、本カットの中の彼女とは別人じゃないかと思えてしまう(褒めてます)。あとは色んなスタッフの仕事に夏織ちゃん自身が触れていくのも良い。確かにこのMVの主役は石原夏織だけど、(当然ながら)すべてのスタッフの成果を背負って表に立つのも彼女ということが伝わってくる。敢えてチープ感を出してる映像も、もとはこんなんだったんだよと示されれば僕らには違う見え方がしてくるものだ。

”プロ意識”と言ってしまえば簡単だが、誰かの努力や技術の結晶を背負って立つというのは簡単なことではない。(自分に重ねてみれば、どんなに完璧なクルマを用意してもらって、得意なコースで、絶好のコンディション(気候)でも、たった一つ些細ななきっかけを掴みそこねて、すべてを失ったこともある。そして往々にしてそれは迷いだったり、欲張った瞬間だったり、虚栄を張った瞬間だったりするものだ。)閑話休題。兎に角どれだけ最高な環境が用意されていてもうまく往かないことは往々にして在る。彼女が10年以上かけて積み上げてきた経験と磨いた才能、そして研ぎ澄まされた感覚を持ってしてもなお、であろう。無理無茶無駄と挑戦は違う。最大のパフォーマンスを発揮できる環境を自分で作る、作ってもらえるように振る舞えるのがプロの証なのかもしれない。

と、また勝手なことを言っているが、本当に本編・Dance Ver.・Makingどれも繰り返し見るたびに自分の中に新しい感情が生まれていく。

大前提として僕らファンは石原夏織が死ぬほど好きなのだ。

その容姿、人柄、考え方、歌声、笑い声、謎の(?)行動全てが好きなのだ。だから音楽だけ世界的に有名な○○を連れてこられたって、ハリウッドの○○にMV作ってもらったって、有名俳優の○○に出演してもらっても面白くないわけだ。さらに言えば、音楽・MVだけでも満足しないわけだ。それが他のミュージシャン(アーティスト)と決定的にことなる点で、たった1枚のアルバムタイトルだけでリリースイベント、雑誌掲載インタビュー、そしてライブまで夢想する。そしてそれらに相関関係があれば在るほど喜んでしまうのだ…。

本当に今、夢じゃないかと思うくらい幸せな日々に僕は生きている。

これだけ僕らは彼女たちにたくさんのものを与えられて、何を返せるのだろうといつも考えてしまう。彼女の負担になってはないだろうかと。

でもこうして楽しそうに自分とその音楽について語る彼女を見てたらそれは明らかに考えすぎだし、僕も笑って、また彼女に会える日まで頑張ればいいだけだと思った。


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